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幻に終わった”キャッチャー”川崎宗則! 工藤監督が明かした仰天プラン

田尻耕太郎スポーツライター
ブルージェイズ時代もマスクを被ってキャッチボールを(写真:ロイター/アフロ)

9回、最後の捕手に代打を送った

せっかくならば、見てみたかった…かな。

10日、ソフトバンクは阪神に1対5で敗戦。9回裏、キャッチャーの鶴岡慎也に代打を送って反撃を試みるも及ばなかった。

だが、この代打は奥の手、いや、禁じ手に近い作戦だった。ソフトバンクのベンチに控え捕手はもういなかったのだから。

現在一軍のベンチには3人の捕手が入っている。この日、スタメン出場の甲斐拓也は5回に代打を送られて退いた。ただ、2人目の高谷裕亮が8回の守備で右手に打球を当てた影響もあり、9回表の守備から3人目の鶴岡が出場していたのだ。

工藤監督「決めてましたよ。メジャー帰りの…」

結局、9回裏の反撃は見られずに敗れたが、もし4点を奪って追いついていたらどうするつもりだったのか。

試合後、工藤公康監督への囲み取材では当然質問が飛んだ。すると、工藤監督は「決めてましたよ」と当然とばかりに答えた。

「メジャー帰りの方がね。(甲斐)拓也よりも俺の方が肩が強いって言っていましたし、やったこともありますと彼の方から言ってきた」

そういえば、4月のホークス復帰入団会見でこんなやり取りがあった。

川崎「向こうに行ってポジションをたくさん出来るようになった。ピッチャーをやれと言われれば、やります。真っ直ぐとナチュラルのカットしかないですけどね」

工藤監督「ポジション? うーん、どこでもと言うし、キャッチャーの練習もして頂きますかね(笑)」

マリナーズ時代「第3捕手」に指名されていた

もちろん気の利いたジョークともとれるが、川崎は本気だった。

「やったことがある」

試合出場こそなかったが、渡米1年目、シアトル・マリナーズ時代の5月に「第3捕手」に指名され、全体練習ではキャッチャー防具をフル装備してブルペンに向かい練習に励んだことがある。チームの緊急時の要員として川崎の名が上がり、打診を受けると即決で快諾したとのことだった。

川崎のポリシー「どこでも出来るのが野球選手」

復帰会見の席で、川崎はこうも言っていた。

「どこでも出来るのが野球選手というのが僕のポリシーなので。監督が僕を好きなように使ってくれて、それに僕は日本人らしくイエスと言いたいと思います」

結局、この日は幻に終わったものの、工藤監督は「ベンチに3人の捕手を置いているが、故障者が出ることもある。(捕手を)できる人間がいるならば、普段からちょっと練習をしてもらうとか考えないといけないと感じました」と話していた。

ペナントレースはまだ折り返し地点の前。

ムネリン捕手が実現する日は、はたして来るだろうか。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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