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「笑いの正体」を考える 舞台衣装、テーマ、観客との関係性、システム漫才の誕生…漫才の進化とは何か

鈴木旭ライター/お笑い研究家
(写真:つのだよしお/アフロ)

ここ最近でお笑いファンがもっとも熱くなった番組といえば、先日3月21日に放送されたNHKの特番『笑いの正体』になるだろう。

「漫才はどのように進化を遂げてきたのか」「漫才はなぜ面白いのか」をテーマに、当事者である漫才師たちが漫才ブームやM-1グランプリ、先輩芸人からの影響などについて語っていく。ダウンタウン・松本人志から霜降り明星・粗品まで、幅広い世代の芸人による赤裸々な言葉が実に刺激的で見応えがあった。

1970年代まで漫才は、“大阪で人気のある芸”だった。その状況は1980年代初頭の漫才ブームによって一変する。若者を中心に爆発的な人気を博し、漫才は全国区のものとなっていった。

いまだ漫才が高い人気をキープし続ける背景には、番組ではクローズアップされなかった複合的な要素があると考えられる。漫才はそのほかの芸と何が違い、どう進化していったのだろうか。

衣装は「どんな芸人か」を表す

漫才師と言えば、背広というイメージがあるかもしれない。それは、しゃべくり漫才の先駆者である横山エンタツ・花菱アチャコが背広を着て舞台に立ったことによる。1930年代当時、芸人のスタンダードは和装。そこに革命をもたらしたのが2人だった。

一度定着すると、今度は背広が王道になっていく。これを脱したのが、ジーンズとトレーナーで舞台に登場した中田カウス・ボタンだ。その後の漫才ブームで、島田紳助・松本竜介がリーゼントにつなぎの作業着という“当時の不良少年”を思わせるファッションで注目を浴びている。

1990年代半ば、ダウンタウン・浜田雅功が好むようなアメカジファッションに身を包む若者は「ハマダー」と呼ばれていた。当時人気絶頂だった安室奈美恵のファッションを真似した女性を指す「アムラー」から派生したものだ。

2009年まで恒例だった『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)のトークコーナーを漫才とするかどうかは別として、漫才コンビの1人が“ファッションリーダー”と称されていた事実には変わりない。

M-1でも、アフロヘアで登場したトータルテンボス・藤田憲右、角刈りにダブルのスーツを着たミルクボーイ・内海崇らは、外見を含めたキャラクターで笑わせている。

漫才はコントと違い、芸人の個性がそのまま笑いへとつながりやすい。だからこそ舞台衣装は、「どんな芸人か」を表すために重要なファクターとして機能するのだろう。

庶民的なテーマからコンビならではの世界へ

漫才で扱うテーマも、時代とともに進化していった。たとえば漫才ブームで活躍したB&B、島田紳助・松本竜介は、「紅葉まんじゅうVS白桃」「公立高校VS私立高校」など相方との“VS構造”を軸にネタを披露している。

「どっちの地元が田舎か」「どっちの高校が賢いか」といった庶民的な押し問答であり、とくに若者が共感しやすいネタだ。これに加えて島田紳助は、宇宙船がどうやって飛ぶかを説明するにあたって「(国民が注目していたら)飛ばなしゃあないやんけ」とボケた。つまり、“宇宙船を擬人化する”という感覚的な笑いも盛り込んでいる。

このあたりのニュアンスが、ダウンタウンへと引き継がれて進化したように思う。「誘拐」「クイズ」といった代表的なネタは、すでに定番となっていたサスペンスドラマやクイズ番組の一幕をモチーフとした漫才コントだ。言わずして同時代的な共通認識を提示し、イメージしやすい展開を利用してシュールかつ感覚的なボケを繰り出していく。このセンスが新しかった。

2000年代に入ると、笑い飯の「奈良県立歴史民俗博物館」、ブラックマヨネーズの「ボウリングの球の扱い方」、チュートリアルの「バーベキュー」など、非常にピンポイントでありながら“なんとなくわかる”という種類のネタが増えた。

わかりやすいテーマにまつわるエピソードを断片的につなげるのではなく、そのコンビならではの世界を構築して観客を巻き込む。M-1がスタートしたことで、“漫才の強度”が増していったような気がしてならない。

見る者を教育するスタンス

観客と演者の関係性も、漫才ブーム以降に進化したように思う。ツービートは、普段見過ごされがちな出来事を漫才の中で毒気たっぷりに斬った。「言われてみればたしかに」と膝を打つような切り口も多く、“こちらが笑わされてしまう”ことも少なくない。

ダウンタウンの漫才も、初見では面白さがわかりづらかった。1989年に『ガキの使い』がスタートした当初、まだフリートークはなく漫才を披露していた。その時の観客の反応は、今では考えられないほど悪かったと記憶する。

東京での知名度の問題もあっただろうが、何よりも彼らのオリジナリティーがそれまでにないものだったからだろう。漫才からフリートークに切り替わった後も観客の反応は今一つだった。しかし、ダウンタウンは自分たちの姿勢を曲げなかった。

「いつもスタッフに頼んでんのは、僕らふたりがおもしろがってる姿を映してくれ、と。客が笑ってなくても、『こいつら、こんなことでおもしろがるんや』とわかってもらえたらそれでいいんですよ」(伊藤愛子著『ダウンタウンの理由』(集英社)浜田雅功の発言より)

松本のわかりにくいボケを、浜田が丁寧になぞってツッコむ。時に浜田が「引くな!」と観客に吠えて笑わせながら、時間を掛けて見る者を教育し、自分たちの世界へと引き込んだのである。

『笑いの正体』にVTR出演した霜降り明星・粗品は、「ツッコミの人が言葉を発するまで、何のボケしてるかわからん状態で泳がして。手を洗う時にめっちゃしつこく洗って『ん? これ何のボケなんや』って考えさせる。(そのうえでツッコミが)『お前、人殺したんか』って全員の客の想像を上回る」という点が、自分たちの漫才の特徴の一つだと口にしている。

ボケとツッコミがニコイチで機能し、意図的に“ツッコミで笑いをとる”ようになったのはここ最近の傾向だ。漫才はクイズのように「客に考えさせる」という要素さえ取り込んで進化している。

システム漫才とオリジナリティー

M-1以降に現れたのが、“システム漫才”と呼ばれるものだ。一つのパッケージ(漫才の型)を軸にテーマを変えて披露される漫才で、笑い飯、ナイツ、オードリー、ハライチなど、大会で脚光を浴びたコンビも多い。

古くは「昭和のいる・こいる」のように、お決まりのやり取りで笑わせる漫才もあった。どんな話であっても、ボケが「しょうがない、しょうがない」「ダメダメダメ」などと受け流して笑わせる。こうした手法が“パッケージ”という概念で定着したのがシステム漫才なのかもしれない。

先人たちと大きく違うのは、M-1という注目度の高い賞レースをきっかけに多くのコンビが活用するようになった点だ。「4分間をどう使うか」という課題に対して「特徴的なパッケージを生み出す」のは、そのほかの漫才師との差別化を図るにあたって非常に有効だった。

パッケージ化することで、笑い飯のようなボケとアホという特殊な掛け合い、ナイツのような小ボケ量産型まで「何をどう見せたいのか」が明確になった。初見であっても1本見ればコンビの特徴がわかり、次にどんなテーマがきてもスッと頭に入ってくる。こうしたメリットから、システム漫才は広く浸透したのだと思う。

とはいえ、新しいシステムを生み出したからといって、芸人の持ち味がフルに生かされるとは限らない。ここが漫才の難しいところだ。昨年のM-1決勝戦の終了後、2021年12月23日深夜に放送された『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の中でNON STYLE・石田明はこう語っている。

「これまではシステムがどうだっていう感じだったんですけど、それが弱くなっていく予兆がしましたね。(中略)マユリカ、男性ブランコとか、めちゃくちゃシンプルな漫才コントなんですけど、ボケが強い。シンプルに筋肉をつけてきた人たちが強くなってきている」

どんなものでも、進化の過程でカウンターが現れる。とくに笑いにおいては、意外性こそプラスに働くのだからかなり流動的だ。そんな中でブレないのは、漫才の核となるオリジナリティーしかない。

今の若手芸人がダウンタウンの漫才やコントを、レンタルビデオやYouTubeを通じて知ったという話を何度か聞いたことがある。やはり面白いものは、どんな形であれ若い世代に受け継がれていく。そして、それは漫才がたどってきた進化の歴史そのものとも重なるのではないだろうか。

ライター/お笑い研究家

2001年から東京を拠点にエモーショナル・ハードコア/ポストロックバンドのギターとして3年半活動。脱退後、制作会社で放送作家、個人で芸人コンビとの合同コント制作、トークライブのサポート、ネットラジオの構成・編集などの経験を経てライターに転向。現在、『withnews』『東洋経済オンライン』『文春オンライン』といったウェブ媒体、『週刊プレイボーイ』(集英社)、『FRIDAY』(講談社)、『日刊ゲンダイ』(日刊現代)などの紙媒体で記事執筆中。著書に著名人6名のインタビュー、番組スタッフの声、独自の考察をまとめた『志村けん論』(朝日新聞出版)がある。

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