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芸能界随一の語りの面白さ 爆笑問題・太田光が「ダサいけどいいか」と覚悟した芸風

鈴木旭ライター/お笑い研究家
(写真:つのだよしお/アフロ)

1988年に「爆笑問題」としてデビューし、今年で35周年を迎える太田光。漫才師、司会者、タレント、文筆家など様々な顔を持つ彼だが、いわゆる“語り”の面白さが一般に認知されたのは『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ制作/日本テレビ系)と『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)ではないだろうか。

2002年~2006年まで放送されていた『爆笑問題のススメ』は、基本的に作家をゲストとして迎えトークを繰り広げる深夜番組だ。独自の視点でニュースに切り込む企画をメインとする『号外!!爆笑大問題』(および『秘密の爆笑大問題』『秘密の超爆笑大問題』・1998年~2002年終了)の後続番組で、太田が時事ネタや記念日などをテーマに語る「今週のコラム」だけが「今週のあとがき」として引き継がれた。

もっとも印象に残っているのは、番組の最終回に放送された「死ぬまでに読め!のススメ」だ。太田が何冊かの本を紹介するシンプルな企画ながら、この時の語りが実に魅力的だった。とくに現在の所属事務所・タイタンの由来となったカート・ヴォネガット・ジュニア著『タイタンの妖女』を紹介する太田の言葉には目を見張るものがあった。

「この『タイタンの妖女』ってのは、いわゆる主人公がそういう(筆者注:未熟な自分のように)まったくへっぽこなやつなんですよ。これはSFですからね、いろんな時代に連れてかれちゃあ何かそこである使命を持って『タイタンっていう土星の衛星に、ある物を届けろ』というようなことで、その間にずーっとタイムスリップしながらいろんな時代をやりながら。最終的にその使命っていうのが『どういうことか』っていうのが明かされるんだけど、これがね、実にくだらない。

(中略)僕はこの本を読んで号泣したんですけど、すっごい感動的な気持ちになるのね。涙がダーっと出てくる。というのは、すごい優しいと思ったわけ、ヴォネガットがね。要するに俺たちはよくさ、『何のために生きているんだ』とか悩むわけじゃない?だけど、『大したことのためじゃないよ』ってヴォネガットは言うわけです、そこで。『人間が生きている意味なんて、大した意味なんてありません。だから安心して』って言ってくれるんだね」

『爆笑問題カーボーイ』の中でも、三島由紀夫の『金閣寺』やジョン・スタインベックの『エデンの東』など国内外の小説を紹介しており、こちらもつい聴き入ってしまう魅力があった。熱量を持って「何が面白いか」を語る。まるで、その行為そのものが表現なのだとリスナーに訴えかけているようだった。

向田邦子には圧倒的にかなわない

たびたび太田が取り上げる作家がいる。その1人が、ドラマ脚本家、エッセイスト、小説家として知られる故・向田邦子だ。

幼少期、太田は『時間ですよ』(TBS系・1965年、1970~75年、1987年~89年、1990年と単発、連続ドラマで放送。向田は1970年代に脚本を担当)や『寺内貫太郎一家』(同・1974年、1975年に放送。その後、単発で何度か復活)といったコメディータッチのホームドラマを毎週楽しみに見ていた。

当時は向田脚本だと知らなかったものの、子ども心に「コメディアンになりたい」と感じた原点だったという。その後、家族や友人などの間で生じる微妙な人間模様を描いた『阿修羅のごとく』(NHK総合・1979年、1980年放送)や『あ・うん』(同・1980年、1981年放送)の世界にハマり、向田作品を強く意識するようになった。

しかし、1981年8月に向田は飛行機事故で急逝。本人に会うことは叶わなかったが、芸人になってから様々なメディアでその魅力を発信し続けている。

例えば2005年に放送された『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 向田邦子~女と男の情景』(NHK教育・現Eテレ)では、向田脚本のドラマ『阿修羅のごとく』にスポットを当てた講義を担当し、2011年には向田作品に対する評論などをまとめた『向田邦子の陽射し』(文藝春秋)を出版している。

全4回に渡って放送された『知るを楽しむ~』のラストでは、向田の妹でエッセイストの向田和子と対談。自身が魅了された作品や作者像を語るだけでなく、関係者や本人のもとへと実情を聞きに出向くあたりが実に太田らしい。

2011年に他界した落語家・立川談志にしろ、アメリカの小説家・ジョン・アーヴィングにしろ、イギリスのコメディーグループ「モンティ・パイソン」のメンバーで映画監督のテリー・ギリアムにしろ、実際に会って話を聞く探求心と行動力には感服してしまう。

2021年11月に放送された、没後40年特別企画『向田邦子に“恋”して』(BS-TBS)でも、生前に向田と親交のあった黒柳徹子と対談している。その中で語った言葉からは、迷いながら何かを捉えようともがく太田のスタンスが垣間見えるようだった。

「自分がもどかしいのは、何でも言葉で説明しようとするんですよ。もうそれは、自分の番組でも何でも。それで自分でこんがらがって、結局言いたいことは何も言えないっていう。向田さんは何も言わずに言いたいことを全部伝えるっていう、そこがもう圧倒的にかなわないって。

それは男と女の違いなのか。たしかに女はおしゃべりですよ。でも、本当のこと言うと、男のほうが自分のことを説明したがるじゃないですか。『俺はこう思うんだ』『どう思うんだ』って。男のほうがよっぽど言ってんだけど、ちっとも伝えられない」

『太田総理』で見せた濁りなき説得力

作品や作家をテーマとする語りばかりではない。3度の特番を経て2006年~2010年までレギュラー放送された『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(以下、『太田総理』)』(日本テレビ系)でも、太田は特有の弁舌を見せた。

『太田総理』は、総理大臣役の太田、または議員役の1人が様々なマニフェストを掲げ、スタジオにいる出演者が「賛成」「反対」「保留」の3つの立場に分かれて討論を繰り広げる番組だ。

議員役の出演者は、タレントや政治家をはじめ、評論家、デイトレーダーのほか、高校生や小学生まで幅広い。過半数の賛成を得て可決されたマニフェストが「現実の国会に陳情される」という点も含め、ゴールデン帯としては異色のバラエティーだったと言える。

自民党の石破茂ら政治家との議論も見ものだったが、何より覚えているのは「アメリカと1年間国交を断絶します」というマニフェストを巡る議論の中で太田が発した言葉だ。ファッション・映画・音楽といった文化、何よりも民主主義と自由と平等を日本に教えてくれたアメリカ。しかし、時代を経て多様性が進む中で、アメリカのやっていることが「押しつけになっていることがある」と太田は熱弁をふるう。

なぜ情報が明らかでないまま、アメリカが主体となって始まったイラク戦争を日本は支持したのか。アメリカの価値観に追随するだけで良いのか。こうした太田の疑念に対し、国際コラムニストのケビン・クローンは「朝鮮戦争とベトナム戦争のおかげで日本は経済成長したんです。戦争のおかげ」と反論をぶつける。すると、太田はこう続けた。

「ケビンが言ってるのは、アメリカ人の考えてることの多くの部分を言ってると思う。っていうのは、アメリカ人は戦争で反省したことないんだ。負けてないから。(ケビンから『ベトナムで負けてますよ』との指摘を受けて)ベトナムで負けても、結局『罪を償わさせる』ってことはされてないでしょ?国際的に。

日本って国はずーっと第二次世界大戦で原爆を落とされるまで戦争続いてた。戦争勝ち続けて来たけど、初めてあそこで敗けて(筆者注:1945年に降伏して)『あ、戦争やんなきゃ良かった』ってみんな思ったわけですよ。だけど、アメリカは1回もそれ思ったことないんですよ。そこが問題なんだ。そこが日本とアメリカの違いなんだよ。アメリカが知らなくて日本だけが知ってることっていうのはそこなんですよ」

毎度、太田の主張には妙な説得力があった。一見、突拍子もないように思えるマニフェストを掲げるものの、そこに濁りがないのである。

今までにないものを見たいんだよ

ゲストの大学教授や専門家とトークを繰り広げる『爆笑問題のニッポンの教養』(NHK総合)も、太田を語るうえで外せない教養バラエティーだ。

『ニッポンの教養』は、2006年に放送された『爆笑問題×東大 東大の教養』(同)が好評を博し、2007年~2012年までレギュラーとなった番組で、『太田総理』が始まって間もなくスタートしている。

2つの番組で異なるのは、議論を前提としていない点だ。とはいえ、太田はこの番組でも好奇心から来る疑問をゲストに次々とぶつけていく。基本的には和やかに進行するのだが、時折太田と熱いトークバトルを交わすゲストも登場した。

印象深いのは、東京大学や慶應義塾大学といった大学に出向いて行われる放送時間を拡張したスペシャル版だ。教授や生徒たちの率直な反応も相まって、テレビ画面越しにも現場の高揚感が高まっていくのが見て取れた。

とくに2008年3月に放送された「京大スペシャル」が忘れられない。「独創力」をテーマに白熱した議論を展開する中で、ある生徒から「独創力があることと、わかりやすさは矛盾しないか」という趣旨の質問が挙がる。これに太田が「矛盾しない」と返し、さらに生徒から「独創力とわかりやすさの芸は両方とも必要なんですか?」と問われると、太田は語気を強めてこう語った。

「当たり前じゃないかよ。そりゃそうだよ、だって今までにないものを僕らは見たいんだよ。見たくない?今までにないもの。そういうことに感動しない?『(筆者注:世の中に)役立つかどうか』なんてどうだっていいよ、そんなの。自分が楽しきゃいいじゃないか。(生徒に『それで本当にいいんですか?』と聞かれて)本当にいいよ、俺は。それはまったく何のくもりもないよ。

(中略)『キミがどうやって感動したか』を表現することによって、京大の学生じゃなくても、ぜんぜんそんなこと(筆者注:研究職などを)志してる人じゃなくても、『あ、そうなの!?』っていうことを表現できると思うの。(生徒から『そこに僕の独創力は必要ですか?』と聞かれて)必要だと思う。それはキミ自身の経験と独創力がなければ……キミが感じたことなんだから、キミのまったくオリジナルの経験じゃないとキミが感動した体験ってのはできないんだよ。

(中略)俺が表現者だとするとね、自分がもしその経験をしたら、『それを今度他人に同じ経験をさせたい』と思うわけ。そうすると、それがやっぱり自分の人生っていうか、自分の生きて来た過程をヒントにしないとその表現ってできないと思うのね。で、なおかつ俺は欲張りなのかもしれないけど、それがテレビのゴールデンタイムでやって『誰もが面白い』ってものにまでできるはずだと思うわけ」

格好いいコメディアンにはなれなかった

バスター・キートン、古今亭志ん朝、明石家さんま。彼らは決して多くを語らず、自身の芸をまっとうする。そんな猛者たちにあこがれを抱きつつも、太田はペットボトルから吹き出す炭酸水のように自身が感じたことを語ってしまう。

政治家と討論する『太田総理』は、ある意味で転換期だった。『FRIDAY 2023年3月3日・10日号』(講談社)のインタビューの中で太田はこう語っている。

「『ダサいけどいいか』って覚悟したのは、あれ(筆者注:『太田総理』)が大きかったかもしれないね。石破さん(茂・66)とかと、青臭い正論をマジメに激論するみたいな番組だから。最初は『ここまで政治について語るのは、コメディアンがやることじゃないんじゃないか』って迷いながらだったけど、そんなこと言ってる場合じゃなかった。そういう仕事が来て引き受けちゃったから、中途半端にはできないしね。我ながら格好いいコメディアンにはなれなかったけど、今思えば、その選択は良かったのかもしれないですね」

コンスタントに事務所ライブの舞台に立ち続ける一方で、昨年夏からYouTubeチャンネル『爆笑問題のコント テレビの話』を開設。毎週1回ペースでコント動画を配信している。また、今年3月には近未来を舞台とする『笑って人類!』(幻冬舎)を上梓するなど、前進し続ける姿勢は変わらない。

「未来はいつも面白い」。かねてより太田が気に入っている言葉だ。童話『みつばちマーヤの冒険』のセリフ「未来はとても面白い」から変化したもので、太田自身のスタンスにも通じているような気もする。

格好悪くても、悪口を言われても、失敗しても、最後はすべてを笑い飛ばす。その姿をありのままさらけ出してくれるのが、太田光の最大の魅力ではないだろうか。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ライター/お笑い研究家

2001年から東京を拠点にエモーショナル・ハードコア/ポストロックバンドのギターとして3年半活動。脱退後、制作会社で放送作家、個人で芸人コンビとの合同コント制作、トークライブのサポート、ネットラジオの構成・編集などの経験を経てライターに転向。現在、『withnews』『東洋経済オンライン』『文春オンライン』といったウェブ媒体、『週刊プレイボーイ』(集英社)、『FRIDAY』(講談社)、『日刊ゲンダイ』(日刊現代)などの紙媒体で記事執筆中。著書に著名人6名のインタビュー、番組スタッフの声、独自の考察をまとめた『志村けん論』(朝日新聞出版)がある。

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