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鎌田大地と前田大然がカタールW杯で、アーセナルの黄金期を築いた10番と9番の関係になる可能性

杉山茂樹スポーツライター
(写真:ロイター/アフロ)

 4-2-3-1の1トップ下と言えば、相応しい背番号は10である。しかしアメリカ戦に先発出場し、エクアドル戦では途中から出場した鎌田大地は、背番号10ではなく15を付けてプレーした。実際に10番を背負っていたのは、エクアドル戦に先発し、後半22分に鎌田と交代でベンチに下がった南野拓実だった。

 鎌田と南野。15番と10番のこの2試合における出場時間を比較すれば、森保監督の胸の内は容易に推察できる。カタールW杯までおよそ50日に迫った段である。鎌田の優位性にもっと早い段階で気付けなかったものか。見極める目の鈍さを恨みたくなる。

 1トップ下が決まらなければ1トップも決まらない。チームの方向性は定まらない。9番ではなく、10番至上主義が前時代的な発想であることは承知しているが、日本代表の1トップ争いは、1トップ下争い以上に混沌としている。第一人者の大迫勇也がコンディションに不安を抱えることも輪を掛ける。エースストライカー不在の状況にある。

 その前に1トップ下で鎌田の優位が明確になれば、こちらを拠り所に1トップとの関係を考察して行くことが現実的な選択となる。1トップ選びは鎌田との相性のよさが大きなテーマになる。

 鎌田は南野との比較で言えば、高い位置でプレーすることを苦にしない選手だ。下がってボールを受けることもあるが平均的な立ち位置は高い。MFと言うよりアタッカー。鎌田が4-2-3-1の1トップ下をベストポジションとするならば、南野は3-4-1-2、あるいは中盤ダイヤモンド型4-4-2の2トップ下となる。

 1トップ下と2トップ下。トップ下には2種類ある。筆者が4-2-3-1の3の真ん中を「トップ下」と言いたくないのは、3-4-1-2あるいは中盤ダイヤモンド型4-4-2の2トップ下との違いをハッキリさせておきたいからである。前方で構える選手が1人なのか、2人なのか。「トップ下」に求められる役割、キャラクターは、その人数次第で大きく変わる。MF的な10番か、FW的な10番か。

 かつては、トップ下と言えば2トップ下と同義語だった。1トップ3FWのスタイルを取るチームが少なかったからだ。オランダ、バルセロナなど攻撃的サッカーを標榜する、ごく一部のチームに限られていた。

 攻撃的サッカーの興隆とともに4-2-3-1という新しい布陣が生まれ、その反動で守備的な3-4-1-2が生まれたのは1990年代後半。攻撃的サッカー陣営と守備的サッカー陣営の対立関係は、激しさを増していた。

 攻撃的サッカー陣営の代表はオランダ、スペインで、守備的サッカー陣営の代表はイタリア、ドイツだった。チャンピオンズリーグを中心に両陣営は激しい攻防を展開した。その結果、攻撃的サッカーが勝利。2000年代に入ると3-4-1-2、守備的と言われた4バック=中盤ダイヤモンド型4-4-2はみるみる衰退していった。

 それはトップ下の概念が変わったことを意味した。「2トップ下」から「1トップ下」へ。10番の概念も同様に変化した。ゲームメーカー、司令塔ではなくなった。

写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 しかし日本は、この流れから大きく遅れることになった。1998年から代表監督の座に就いたフィリップ・トルシエは、3-4-1-2(フラット3)をこよなく愛したため、2トップ下の概念は崩れなかった。2002年に代表監督に就任したジーコも、4-2-2-2(中盤ボックス型4バック)と3-4-1-2で戦った。

 少なくとも2006年あたりまで、日本には中田英寿、中村俊輔に代表される10番タイプの攻撃的MFで溢れることになった。「中盤天国」と言われたものである。ウイング天国の様相を呈している現在から振り返ると、隔世の感を禁じ得ない。南野は中盤天国の生き残りのように見える。

 10番像の変化を象徴する出来事として想起するのは、2010年南アフリカW杯を目指した岡田ジャパンだ。岡田監督は最後の最後になって本田圭佑を4-3-3の1トップ(0トップ)に起用。中村俊輔と主役をすげ替えて臨んだその采配は、ある意味で画期的だった。

 鎌田は4-3-3の0トップも張れる10番だ。1トップと1トップ下を同時にこなすことができる選手だと筆者は見る。4-2-3-1の1トップ下もいいが、4-3-3の0トップも見たい。2010年の本田のように使った方が日本のマックス値は高まる可能性を秘めている。

 10番というより9.5番。今日の10番は、2トップ下時代の10番と比較するとポジションを、0.5番分だけ1トップ寄りに上げた格好になる。

 欧州で10番像の変化を最初に強く実感した選手は、アーセナルのデニス・ベルカンプになる。1995年から2006年まで12シーズン、アーセナルの10番としてプレーしたオランダ代表選手である。

写真:ロイター/アフロ

 4-4-2を敷くアーセナルで、ベルカンプはフランス代表FWティエリ・アンリと2トップ組む関係にあった。アンリの背番号は14番ながら、両者の関係は一応9番と10番だった。ストライカーと「1トップ脇」の関係である。ベルカンプはアヤックス時代、3-4-3(3-3-3-1)の「1トップ下」を務めていて、高い位置で構える10番として知られていたが、アーセナルではポジションを「下」から「脇」へと、さらに半列分、上げてプレーすることになった。

 しかし実際に構えた位置は「脇」よりさらにもう一息、高かった。相方のアンリは、スピード系のストライカーで、そのスピードを活かそうと左に流れて、半ウイング的にプレーする傾向があった。真ん中にはベルカンプが立つことになった。0トップという言い回しが広く知れ渡ったのは2000年代の中頃で、ローマの監督、ルチアーノ・スパレッティが、1トップ下だったフランチェスコ・トッティを1トップでプレーさせたことが発端とされる。

 しかし、それ似たものに遭遇することはあった。アーセナルのベルカンプがまさにそれで、10番ながら高いキープ能力、トラップ能力を備えたポストプレーヤーとして、兼9番の役を果たしたのだ。ゲームメーカー、司令塔と呼ぶには、構える位置が高すぎた。

 日本国内を見回してもまるで存在しないタイプだった。こちらの10番像を覆した、カルチャーショックを覚えずにはいられない選手だった。それだけに本田を見た時、ピンときたものだ。彼なら0トップで行けるかもしれない。左利きと右利きの違いはあるが、本田にはベルカンプに近い適性があると筆者は見た。

 鎌田は右利きなので、本田より分かりやすい。和製ベルカンプになれる。南野より断然、新鮮に映った。その流れで行くと、先のアメリカ戦に鎌田と1トップと1トップ下の関係でプレーし、及第点のプレーを見せた前田大然にも、淡い期待を寄せたくなる。褒めすぎを承知で言えば、和製アンリである。アンリのようにサイドに半分流れてプレーすれば、そのサイドはダブルウイング的な構造となり、攻撃力は倍加する。

 鎌田を1トップ下に据える日本代表には、強かった頃のアーセナルとイメージが重なる箇所がある。和製ベルカンプをどう有効利用するか。浮沈のカギはここにあると考える。

写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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