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バルサ化を放棄した最下位・神戸。代表監督選びに、あるコンセプトを失った日本代表との共通点

杉山茂樹スポーツライター
(写真:ロイター/アフロ)

 国内ナンバーワンの予算規模を誇る金満クラブが最下位に低迷する。世界広しといえど、ここまで費用対効果が悪いクラブも珍しい。不名誉な笑えない話とはこのことである。

 ヴィッセル神戸の話だが、クラブはミゲル・アンヘル・ロティーナ監督を解任。吉田孝行氏を三たび監督に招聘した。吉田が、三浦淳寛、リュイス・プラナグマ・ラモス、ロティーナに続く、今季4人目の監督であることにも驚かされるが、筆者がそれ以上に格好悪さを覚えるのは、あれほど話題になった「バルサ化」が、立ち消えになっている点だ。

 アンドレス・イニエスタさらには、バルサのトップチームでほんのわずかだけ出場歴のあるセルジ・サンペール、ボーヤン・クルキッチはいる。だが、それをもってバルサをイメージしろというのは無理だ。

 フアン・マヌエル・リージョを監督に迎えた段までは、ギリギリセーフだった。2018年シーズン後半の話だが、2019年シーズンの4月に彼がチームを去ると、こだわりは不鮮明になっていく。吉田を挟みトルステン・フィンクが監督の座に就くとバルサ化は事実上、終焉を迎えた。三浦さらにはロティーナに監督が変わると、それは決定的なものになる。

 ロティーナを攻撃的サッカーの信奉者だと評する人は、少なくともスペインにはいない。バルササッカーと対極に位置する人物であることを、筆者自身もスペイン取材を通してとくと確認してきたつもりである。

 あの宣言はいったい何だったのか。一時の妄想だったのか。J2降格が現実味を帯びているいま、宣言どころではないのかもしれないが、宣言が軽薄に思えて仕方がない。本当にバルサが好きなのか。リスペクトしているのか。バルサの成り立ちや経緯を理解しているのか。バルサ化を耳にした瞬間、筆者はそう思った。

 哲学は成績によって変化するものではない。クラブにとっての不変のテーマだ。神戸はその自覚や覚悟がないまま、ファッションでバルサ化と叫んでしまった。

 会見に臨んだ永井秀樹スポーツダイレクター(SD)はこう述べた。

ヨハン・クライフ
ヨハン・クライフ写真:アフロ

「ヴィッセル神戸はビッグクラブなので、結果にフォーカスする必要がある。時間をかけて2つのことを同時に進めることは理想ではあるが、やはりクラブの大きさを考えると、結果が先になる」

「2つのこと」の一方が、結果であるとすれば、一方は哲学であり理念となる。つまり、この台詞はバルサ化の断念を意味する台詞になる。しかし、先述の通りバルサ化は3年前に事実上、終わっている。現在の横浜F・マリノスのサッカーをバルサ度8とすれば、神戸はせいぜい5、6。神戸のサッカーを攻撃的サッカーだと評する人はいない。

 哲学を失い、成績も出ない。あるのはお金だけ。神戸はバルサから学んでいないことになる。世界に比べて30年遅れでバルサ愛を叫び、成績が出ないからと言って、わずか数年でその旗を降ろす。彼らが口にするバルサ愛に、筆者は嘘臭さを覚える。

 バルサ化とは言わなかったが、日本サッカー協会も日本代表に攻撃的サッカーを求めようとした過去がある。2010年南アフリカW杯終了後の話だ。「攻撃的サッカー」をコンセプトに、代表監督探しの中心を担ったのは、バルサ的なサッカーに心酔していた時の技術委員長、原博実氏だ。日本サッカー協会はそれまで、代表監督をサッカー的な方向性に基づいて招聘したことはなかった。これが初めてのケースで、遅すぎるとも言えたが、日本の過去を考えれば、画期的と言うべきだった。

 その結果、アルベルト・ザッケローニが新監督に就任した。しかし彼は、実際には攻撃的サッカー度で7に届くかどうかという監督だった。次のアギーレも同様のコンセプトで招聘された。こちらの攻撃的サッカー度は8あった。ところが協会はアギーレをわずか10試合で解任してしまう。アギーレが、サラゴサ監督時代に八百長に関与したのではないかとスペイン当局から目を付けられると即、解任してしまった。ところがその結果、急遽招いたヴァヒド・ハリルホジッチの攻撃的サッカー度は、6に届かなかった。

 攻撃的サッカーをコンセプトに掲げながら、それに相応しい合格点が付けられる監督は1.5人という感じだった。だが3人目のハリルホジッチを解任したとき、原氏さらにはその後任として技術委員長職に就いた霜田正浩氏は、その職を解かれていた。代表の現場から去っていた。

 その後、技術委員長の職に就いていた西野朗、原と会長選挙を争って勝利した田嶋幸三会長に「攻撃的サッカー」は、引き継がれなかった。ロシアW杯の2ヶ月前に就任した西野監督も同様である。

原博実と霜田正浩
原博実と霜田正浩写真:アフロスポーツ

 ロシアW杯後に就任した森保一も、西野氏に続き、攻撃的サッカーの信奉者という縛りがない中で招聘された監督だった。日本代表サッカーのコンセプトはいま、とても分かりにくい状況にある。

 田嶋会長はサッカーに詳しそうではない。反町康治技術委員長は、Jクラブの監督を長年勤めていたので、そうしたこれまでの経緯は知らない可能性が高い。肝心の森保監督は、言質をとられることを恐れているのか、サッカーについて多くを語ろうとしない。代表監督に相応しい言葉を持ち合わせていない様子である。

 神戸と日本代表。攻撃的サッカーというコンセプトが失われた状態にあるという点で、両者は一致する。コンセプトが絶対に欠かせないものかと言われれば、そんなことはない。だが、あった方がサッカーらしさは発揮される。サッカー界が他では味わえない魅力に包まれることは確かである。

「いいサッカー、面白いサッカー、綺麗なサッカーをしても負けてしまえば何も残らない」とは、よく言われる台詞だが、それは一般論ではないか。他の競技のコンセプトを、サッカーに当てはめたがっているように見える。「ただ勝つだけではダメだ。勝利と娯楽性はクルマの両輪のように追求すべし」とは故ヨハン・クライフの言葉だが、このある意味での理想論を、バルサは彼が監督を務めていた時代から追求してきた。

 攻撃的サッカーと言えば、ともすると冒険的なサッカーと同義語に映る。実験的サッカー、楽天的サッカーにも受け取られる。サッカー以外の概念に照らせば、かなり危なっかしいプレースタイルに見えるが、実際はサッカー的に言えば、守備的サッカーより現実的だ。もはや攻撃的サッカーは理想論ではなくなっている。

 だが神戸の永井SDの認識は違うようだ。まずは結果だと述べた。2つ同時に追求することは難しいという。これでは世間から一目置かれない。従来の枠から抜け出せない非進歩的サッカーに映る。従来型サッカーでJ1残留をはたしたら、神戸はバルサ化を再び叫ぶつもりなのか。

 J2に転落しても何も残らない。結果に加え哲学も失う。いずれにしても格好悪い。

 神戸も日本代表も、世間からサッカーは違うね、進歩的だね、他にはない概念が満載されているねと敬われる集団であって欲しい。サッカーがピッチ上のプレーで、哲学や価値観を表現できる競技であることを忘れてはならない。それを証明した先駆者がバルサなのだと筆者は考えている。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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