Yahoo!ニュース

五輪のサッカー中継。その解説者の一言は誰に向けられた指摘なのか。選手ではなく監督ですよね

杉山茂樹スポーツライター
(写真:ロイター/アフロ)

 様々な競技が、次々と画面に登場する五輪のテレビ中継。お茶の間観戦していると、サッカーの特殊性に改めて気付かされる。

 五輪のテレビ中継はどの競技も、実況アナと元選手だった解説者のやりとりで進行する。ほぼ応援報道だ。NHKを含めて、中立の立場ではなく、日本側に一方的に肩入れするスタイルを取る。それが王道を行く中継スタイルとして定着している。

 サッカー中継も例外ではない。その昔はそれほどでもなかった。日本と他国が対戦する国際試合では、実況アナは中立性を装おうとしていた。「やった」とか、「やられた」とか、自らの立場が鮮明になるような言い回しは避け、言葉を選び、感情を抑えながら淡々と喋っていた。それでもその言葉の端々に、日本贔屓の言動がチラリと覗いてしまうところに、人間臭さというか、奥ゆかしさを覚えた印象がある。

 それが、気がつけば、直情型の応援報道に一変していた。その流れを加速させる役割を果たしたのが、ドーハの悲劇(1993年)やジョホールバルの勝利(1997年)だ。日本代表がW杯初出場を逃したり、悲願を達成したり、ドラマ仕立ての戦いを繰り広げている間に、実況、解説のスタイルもサポーターと一体化していくこになった。

 それからうん十年。筆者は何を隠そう、相変わらず自らの立場がバレないように心がけている。先日のように、日本対フランス戦で日本が大勝しても、変に喜ばないようにしている。とはいえ、テレビをはじめとする大喜びしがちなメディアに、苦言を呈する気持ちは湧かない。それがあるから、一介のライターとして存在感を維持できていると考えるからだ。

 とはいえ一方で、応援報道に無理を感じる瞬間があることも確かである。サッカーの本質に照らしたとき、辻褄が合わなくなる矛盾した事例にしばしば遭遇する。今回の東京五輪中継も例外ではない。

 実際にサッカー観戦していると、誰しもが、もっとこうした方がいいのではないかと、注文をつけたくなる場面に出くわすはずだ。先日の中継でも、実況アナが、日本が攻めあぐむとたまらず、傍らの解説者に「日本はここでどうすればいいのでしょう」と問いかけていた。

この記事は有料です。
たかがサッカー。されどサッカーのバックナンバーをお申し込みください。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

杉山茂樹の最近の記事