葛西紀明が断然、格好良く見えるわけ。

スポーツ観戦をしていると、衝撃的なシーンに遭遇することがある。アステカ2000スタジアムで見たマラドーナの60m5人抜きシュートはその代表格。感動、感激のあまり、記者席にいたにも拘わらず、拳を突き上げ、我を忘れて飛び跳ねた記憶がある。

だが、それがダントツの一番かというと必ずしもそうではない。

酔いしれたのは、ボール操作の粋。超高度な技術だ。非人間的な理解不能なプレイではない。きわめてスポーツ的なもの。すなわち人間的なものだ。マラドーナはあくまで生身の人間に見えた。

とても人間ワザには見えないもの。非現実的なもの、光景にしか見えないもの。そうした意味での衝撃に襲われたのは、ジャンプのフライングを見たときになる。

ジャンプ競技は通常、K点が90mのノーマルヒルと120mのラージヒルの2種目で行われる。五輪も同様。W杯でフライングが行われるのはシーズンに数えるほどしかない。K点180m超。そんなドでかいジャンプ台は、世界に数えるほどしかないからだ。日本にはもちろん存在しない。

K120のラージヒルでも、K点を超すジャンプは人間業には見えない。そこで130m以上のジャンプを見せられると、人間の身体に揚力という見えざる力が働いていることが分かる。その見えざる力に驚愕する。十分、感激、感動させられる。

フライングは、そのスケールを遙かに凌ぐ。K点は180m超。非現実的な世界をこれほどたっぷり堪能させてくれる競技も珍しい。人間がグライダーのごとく、完全に浮いた状態にあることを、現実のものとして確認できる。

選手の動きは明らかに不自然、異常だ。スキーの板だけを装着した人間が、上空に浮いたまま、なかなか落ちてこない。揚力という目に見えない力の存在を、ハッキリと確認できる瞬間だ。飛行機はなぜ飛ぶのか。よく分かる瞬間でもある。それがショーではなく、純然たる競技スポーツであるところに価値がある。というか、恐ろしさがある。

競技に参加している選手は、どんな神経をしているのか。常人にはとても理解できないものがある。

99年3月、スロベニアのプラニツァで行われたジャンプW杯を取材したとき、その飛び出し口に立ってみた。

場所は山の中腹。そこから細く長い助走路が、谷底に向かって、見た目ほぼ真下に伸びている。のぞき込んだだけで、もう両膝はガクガク。身動きできないほど痺れてくる。そしてその視界の先に、実際は大きなハズの観客席が小さく見えてくる。その枠内に、飛び降りることができるのか、恐ろしく不安になる。上からはランディングバーンの平らな部分しか見えないが、それがものすごく狭く小さく見える。

極細なボーリングのレーンに立つような感じだ。いまにもガーターしてしまいそうな恐怖に襲われる。少しでも風が吹いたり、踏切を間違えたりすれば、即ガーター。そしてそれはほとんど死を意味する。これほど危なっかしい競技を僕は他に知らない。

かつて日本を代表するジャンパーだった秋本正博さんは、バート・ミッテルンドルフで行われたフライング選手権で着地に失敗。足を複雑骨折する重症を負った。「ランディングバーンで転倒したとき、自分の足の裏がこちらを向いていた」と、秋本さんは言った。あらぬ方向に折れ曲がった自分の足を、滑り落ちながら自分の目で確認するという恐怖体験をしたわけだ。

99年3月、プラニツァで行われたW杯でも、日本人選手の派手な転倒シーンに遭遇した。西方仁也選手は空中のあるところで突然、墜落。バーンに叩き付けられ、担架に担がれ退場した。「エアポケットに入ってしまった」とのことだが、それはショッキング映像そのもの。一瞬、命の心配をしたほど絶望感漂う光景だった。

そのW杯は3日間連続してフライングが行われたが、その最終日、見事優勝を飾ったのが葛西紀明だった。飛距離は正確に覚えていないが、220mは超えていた。彼はまさに人間グライダーと化していた。そのフライトの軌道は、いまだ脳裏に焼き付いている。

「本当は一刻も早く着地したいんですよ。怖いから。でも身体が落ちてくれない。上空にいる何者かに、首根っこを掴まれ、上に引っ張り上げられている感じ」。彼は試合後、そう言った。

その1年前、葛西紀明は、長野五輪で不遇を味わっていた。

最初に行われたK90のノーマルヒルでは7位。彼は当然、次のK120ラージヒルにも出場できると思っていた。だがメンバーの実力差は紙一重。実際に出場したのはK90のノーマルで補欠に回った岡部孝信だった。K120で行われる最後の団体もその流れで岡部が出場。葛西は五輪の金メダリストにはなれなかった。

あとで聞いて驚いたのは、葛西がラージヒルの前日まで、出場メンバーに入っていると思い込んでいたことだ。メンバーの発表をしっかり聞いていなかったためにおきた悲劇だが、本人としては、それぐらい当然の話だと思い込んでいたわけだ。ラージヒルに備えたトレーニングは、最後までみっちり積んでいたという。本番を飛ぶつもりでいたために。それだけにその話を聞かされたときは、ショックだったという。だが、チームプレイなので、そうした姿を仲間に見せることはできない。一人辛い立場に追い込まれていた。

その話を聞かされたのは、そのおよそ1年後。しかし、驚いたのは、そうした裏話を、他のメンバーも同様に知らなかったことだ。

「えっ、そうだったの?」

こちらがそのことについてコメントを求めたことで、初めて知った様子だった。

金メダリストになり損ねたことは確かだが、それには、さらなる尾ひれ話がついていた。仲間の誰にも漏らしていないところに、そのショックと悔しさ、意地とプライドのほどが偲ばれた。41歳のいまなお、現役を続けている理由の一つだと思う。

先日、バート・ミッテルンドルフで行われたW杯のフライングで優勝。次戦でも、2本目に最長不倒をマークし3位に食い込んだ葛西。凄いのは、他のソチ五輪の日本代表選手が、欠場する中、ただ一人参加したということだ。フライングに怪我はつきものだ。五輪競技でもない。この大会に出場するリスクは大きい。他の選手が欠場した理由は、何となく推測できる。

ジャンパーの本質はできるだけ遠くまで飛ぶこと。長時間宙に舞っていること。五輪の金も重要だが、追求すべきものはそれだけではない。葛西はそう無言で語っているような気がする。大ベテランなのに無謀なところ、常人ではないところ、突き抜けた感覚の持ち主であるところになにより好感が持てる。格好良さを感じる。

欧州での知名度は、むしろ日本国内より高い。本田や中田に負けないものがある。スポーツ選手本来の格好良さはこちらにあり。僕はついそう言いたくなるのだ。

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、2018年ロシア大会で連続10回現地取材となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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