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「どこいく家康」JR東海が静岡県へ大攻勢――ただし観光で

杉山淳一鉄道ライター
「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」出演者の等身大パネル(筆者撮影)

2023年4月13日から14日にかけて、JR東海のプレスツアーが開催されました。テーマは「どこ行く家康キャンペーン」です。NHKで現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』にちなみ、静岡県の家康ゆかりの地を訪ねる。いわば大河ドラマの聖地訪問。プレスツアーはそのキャンペーンのエッセンスを「つまみ食いしよう」という趣向です。

JR東海と静岡県といえば、リニア中央新幹線の南アルプストンネルの件で微妙な関係です。それなのになぜ静岡の観光キャンペーンを始めたのでしょうか。その辺を探るつもりで参加してきました。なお、本記事はプレスツアーのレポートなので、旅費、食費などはJR東海の提供を受けておりますことをご承知おきください。

私が乗った「ひかり」は静岡駅に停まらない!!

旅のスタートは失敗談から。4月13日の集合場所は静岡駅前に11時10分でした。東京方面からこの時刻にピッタリ間に合う列車は「ひかり507号」です。私の最寄り駅の新横浜駅を10時21分に発車し、静岡駅11時02分着です。私はかなり早めに新横浜駅に着き、トイレに行ってプラットホームにあがると、ちょうど「ひかり」がやってくるところ。9時51分発の「ひかり637号」です。よし、予定より30分も早い発車だけど乗っちゃおう。集合場所に一番乗り、なんて思ったんですけど……。

よし、1本早い「ひかり」で行こう! と思ったら(筆者撮影)
よし、1本早い「ひかり」で行こう! と思ったら(筆者撮影)

発車後に車内の電光掲示板を見たら、停車駅は小田原、名古屋……え? 静岡に停まらないの? ええええ驚いた!!

そうです。「ひかり」は停車駅が一定ではなく、すべての列車が静岡駅に停まるわけではありません。乗り鉄の私としたことがウッカリしすぎ。そういえば、過去にこのタイプの「ひかり」に乗ったことがありました。静岡県内すべての駅を通過して米原駅に停車します。米原駅経由で北陸方面へ向かうときに便利な列車でしたっけ。

あわてて小田原駅で降り、後続の「こだま715号」に乗り換えて、静岡駅の到着時刻は11時18分。30分も早い列車に乗ったのに8分の遅刻でした。こういう場合も「乗り遅れ」でしょうか。

小田原駅で後続のこだまを待つ。通過列車が恨めしい(筆者撮影)
小田原駅で後続のこだまを待つ。通過列車が恨めしい(筆者撮影)

ところで静岡駅と言えば、かつて「のぞみを静岡駅に停めないなら通過税を取る」と発言した知事さんがいました。せめて「ひかり」の全列車を静岡駅に停めてほしい、と交渉すれば、少しは違う結果になったかもしれませんね。

家康ゆかりの地を巡ります

ドラマ『どうする家康』は、家康の駿府時代から始まり、岡崎、遠江、京都、金ケ崎、浜松と移ったところですね。私は歴史の勉強が苦手だったので、展開が読めない。だから物語が新鮮で楽しく観ています。本編終了後の「紀行潤礼」も旅心をそそります。松重豊さんのナレーションで、ときどき松本潤さんはじめキャストも登場します。これも楽しみの1つ。

今回のツアーは第1話の「紀行潤礼」で登場した「久能山東照宮」、「静岡浅間神社」と「大河ドラマ館」、「静岡市歴史博物館」などを巡りました。静岡の魅力たっぷりな内容でした。行程順にご紹介します。

訪問先です(地理院地図を筆者が加工)
訪問先です(地理院地図を筆者が加工)

1日目のランチは「三笑亭」

まずは腹ごしらえ、ということで静岡の名店「三笑亭」ですき焼きをいただきます。JR東海の担当者からツアーの趣旨などを説明していただきます。言わば打ち合わせの会なので、わざわざ書かなくてもいいような気がしますが、料理も建物も素晴らしいのでご紹介します。

三笑亭は明治10年代に鰻屋として始まりました。すき焼きは明治28年から。肉料理の許可証がいまも残っているそうです。順調に商っていたところ、昭和16年の安倍川の大火で全焼し、4年半をかけて建物を再建。さあ開業という段になって昭和20年6月の空襲でまた全焼、10年かけて再建したそうです。支援者のおかげで良い材料がそろい、廊下の屋久杉の一枚板は見事です。

店名は中国の故事「虎渓三笑」からいただいたとのこと。物事に熱中しすぎてほかのことを忘れてしまう。たしかに、美味しいすき焼きを食べていたら、ほかのことは忘れそう。そういえば『どうする家康』でも、獣肉を食べて美味に感動する場面があったような。ちなみに家康の好物はうさぎだったそうです。

長年受け継がれた割下と小さめの鍋、おいしさの伝統を守ります(筆者撮影)
長年受け継がれた割下と小さめの鍋、おいしさの伝統を守ります(筆者撮影)

家康を神と祀る「静岡浅間神社」

家康が元服したとされる神社です。創建は約2100年前の神部神社です。駿河開拓の始神、駿河の国魂の大神として鎮座されました。その後、約1700年前に大歳御祖神社が商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀されます。そして延喜元年(901年)に浅間神社が富士山本宮より分祀されました。この神社が置かれた賤機山(しずはたやま)が静岡の地名発祥とのこと。

大拝殿は高さ25mもあり、漆塗り神社建築として全国唯一無二だそうです。その姿は富士山を模しているそうです。大拝殿の奥に浅間神社と神部神社が並ぶ特徴的な配置です。その建築技法、装飾などは圧巻です。

賤機山が武田氏の城塞だった頃に、家康はいったんこの神社を焼き払って武田氏を攻略します。その後家康は約束通り、荘厳な神社を再建しました。このときに全国から職人が集められ、手に職を付けた末裔たちが定住しました。彼らは職人としてモノ作りに励み、その技術がプラモデルの金型などへ継承されます。

静岡浅間神社の大拝殿は文化2年に起工、9年かけて竣工しました(筆者撮影)
静岡浅間神社の大拝殿は文化2年に起工、9年かけて竣工しました(筆者撮影)

大河ドラマ館

『どうする家康』とコラボした展示施設は4カ所あります。静岡、浜松、岡崎の「大河ドラマ館」と、NHK名古屋放送局の「NHK大河ドラマプラザ」です。静岡市の大河ドラマ館は静岡浅間神社の境内、静岡市文化財資料館だった建物です。ドラマで使われた衣裳や小道具、特別映像などがあります。

もっとも人気のある展示物は、実際に松本潤さんが着用した衣裳です。袖口にドーラン(撮影用化粧品)がついているので、松本潤さんファンがこぞって撮影しているそうです。なお、ドラマの撮影が進むと、使用済みとなった小道具や衣裳が追加されていくそうです。年末にもう一度見学したくなりました。

瀬名役の有村架純さん、家康役の松本潤さんが実際に着用した衣裳があります(筆者撮影)
瀬名役の有村架純さん、家康役の松本潤さんが実際に着用した衣裳があります(筆者撮影)

静岡市歴史博物館

駿府城公園の東南で、内堀の外側にあります。今年(2023年)1月13日に開館したばかりの清潔感あふれる建物です。1階の大空間は「戦国時代末期の道と石垣」の遺構を残しています。駿府の人々が歩いた道。家康も通ったかも知れません。

2階は駿府城と今川義元、徳川家康に関する展示があります。3階は静岡藩から近代への資料です。昭和30年代の静岡市を再現したジオラマがあります。

3月25日から5月7日まで、企画展「駿府の華」として静岡浅間神社の所蔵品を展示しています。静岡浅間神社と合わせて訪れたいところです。

ただし、ドラマを楽しんでいる人は気をつけて。ドラマ館も博物館も、実際の家康の生涯を「すべて」紹介しています。つまりこれって「ネタバレ」じゃないですか。あんなに愛した○○を××するなんてショックだ……(笑)。

発掘された道と石垣を覆うように博物館が建てられた(筆者撮影)
発掘された道と石垣を覆うように博物館が建てられた(筆者撮影)

まぐろ専門店 焼津港みなみ静岡店

夕食は海の幸。こちらはすき焼きと違って家康公も食したはず……と思ったら、当時は下魚だったようで、これは庶民的キャラに設定しても無理っぽい。

まぐろの歴史は古くて浅いようです。縄文時代から食べられていたけれども、江戸時代までは下魚扱い。理由は腐りやすかったから。江戸時代に濃い口醤油が誕生して「漬け」が広まり、その後、冷蔵技術が発達してこんにちのまぐろ文化があるそうです。

[参考]マグロの歴史 - マグロ専門仲卸 丸長

しかし、こんな説もあります。家康は軍事上の理由から、漁船の櫓を7本以下とし速度を制限しました。ところがこれだと家康の船を護衛するにも追いつけない。そこで焼津のカツオ漁船だけは8本の櫓を認めました。なんだかズルイ気もしますが、この「八丁櫓」によって焼津の漁業は大発展していきました。

[参考]家康の遺産? いぶく伝統の味 | NHK

なるほど、それで店名に「焼津港」とあるんですね。

静岡の海の幸。焼津ブランドは家康のおかげかも。(ツアーカメラマン提供)
静岡の海の幸。焼津ブランドは家康のおかげかも。(ツアーカメラマン提供)

日本平夢テラスで天下を見渡す

翌日は家康の墓所がある久能山東照宮へ。歴史を勉強しなかった私は「家康の墓所って日光東照宮じゃなかったっけ、いや、高野山でも見かけたな……」と思っていました。久能山といえば石垣イチゴの産地という認識です。

久能山東照宮は駿河湾から日本平へ向かう山腹にあります。久能山下から久能山までは1159段の石段です。私たちはツアーバスで日本平へ。そこからロープウェイで降りて久能山を参拝。久能山下でイチゴを楽しみ、ツアーバスを待ちます。こういうツアーが一番ラクだなあ。デブな私は石段を下るだけで膝がキツイ。上るなんてとんでもない。

公共交通を利用する場合は静岡駅から日本平行きのバスがあります。日本平~久能山~石垣イチゴと降りていき、久能山下から清水駅行きのバスがあります。どちらのバスも運行本数が少ないので予定をしっかり立てましょう。

(左)下の石畳から久能山東照宮まで1159段 (右)運動のあとのイチゴソフトクリームがうまい(筆者撮影)
(左)下の石畳から久能山東照宮まで1159段 (右)運動のあとのイチゴソフトクリームがうまい(筆者撮影)

日本平は眺望の名所。駿河湾、三保松原、富士山をいっぺんに観られるところです。2004年にデジタル放送用の電波塔が作られ、2018年に静岡県が隣接地に日本平夢テラスを開設しました。入場無料です。1階は日本平の歴史と地理の展示。駿府の地形と町の発展をプロジェクションマッピングで表現した展示が楽しい。

日本平夢テラスは八角形の建物で、内部は中央に階段と吹抜け。その周囲にフロアを配置しています。2階はカフェ、3階は全方位の展望フロアです。隈研吾設計事務所の設計で、建築ファンも注目しているそうです。隈研吾氏は新国立競技場を手がけたかた。鉄道ファンには高輪ゲートウェイ駅で知られています。建物外のテラスも心地よく、眼下ではツツジが咲き始めていました。

5周年を迎えた日本海平テラス、250万人が訪れたそうです(筆者撮影)
5周年を迎えた日本海平テラス、250万人が訪れたそうです(筆者撮影)

久能山東照宮

徳川家康の遺言により、二代目将軍秀忠の命によって創建された神社です。祭神は徳川家康。それより前は推古天皇の時代に補陀落山久能寺が開かれ、後に武田信玄が久能城を築きます。家康が武田氏を滅ぼした後に「久能山は駿府城の本丸」と軍事上の重要性を説き、死後はここに葬るように遺言しました。駿府城で家康が生涯を終えると、その日のうちに埋葬されました。1159段の高さを急いで運んだんですね。石段もなかったことでしょう。たいへんなことですよね。このような労力を惜しまぬほど、家康は尊敬されていた、ということでしょう。

彫刻のひとつひとつに物語があります(筆者撮影)
彫刻のひとつひとつに物語があります(筆者撮影)

家康はこの場所に「西を向けて葬れ」と遺言しました。「座して葬れ」という説もありますが、日光東照宮宮司によると「立ったまま」だそうです。久能山東照宮はその翌月から建設が始まりました。静岡浅間神社と同様に、建築、彫刻の見事なこと。静岡浅間神社の職人たちが魂を捧げた作品です。

そして家康の墓は約100年間、一般の参拝はできなかったといいます。

家康、ここに眠る(筆者撮影)
家康、ここに眠る(筆者撮影)

久能山東照宮から1年後、関東を鎮守するために日光東照宮が建てられました。日光東照宮も家康のお墓と信じられています。日光は「霊廟」つまり「家康の魂のおわすところ」です。久能山東照宮は「神廟」です。「神、家康」のおわすところです。江戸幕府は東照宮の建立を推奨したため、各地に700以上も作られたそうです。現在は全国に52社あるとのこと。

徳川家康をまつる東照宮、全国にどのくらいあるの? | 知っトク東北|NHK

境内に併設された久能山東照宮博物館は、徳川家康の日用品などが残っているほか、歴代の15将軍が正統な後継者の証として納めた刀が全部。そして甲冑は63領(領は甲冑の数え方)、将軍、准将軍の甲冑師、岩井家が手がけたすべての甲冑が残っているそうです。

徳川家と言えば三つ葉葵の家紋ですが、歴代将軍の家紋は少しずつ異なり、同じ紋はないそうです。そう言われると集めたくなりますね。なお、久能山東照宮博物館の収蔵品は2000点以上あり、3カ月に一度、入れ替えるとのこと。

武具や日用品までを収蔵する博物館。家康の暮らしぶりがうかがえる。ガイドブック「久能山東照宮博物館100選」を買いました(筆者撮影)
武具や日用品までを収蔵する博物館。家康の暮らしぶりがうかがえる。ガイドブック「久能山東照宮博物館100選」を買いました(筆者撮影)

うなぎ専門店 うな助

ランチは掛川の老舗で鰻重でした。創業70余年の「うな助」さん。特上は鰻重の上に蒲焼きが追加されます。まず蒲焼きを酒肴とし、次いで鰻重をいただくというスタイルでしょうか。デザートのメロンも掛川の名産品です。

徳川家康のころ、鰻の食べ方は切って串に刺して焼くだけ。筒状のうなぎが蒲の穂に似ていたので「蒲焼き」と呼ばれたそうです。江戸の開発で干拓した湿地で鰻が増殖し、労働者の食糧となっていました。蒲焼きが形を変えて「身を開き味付けをした料理」になったきっかけは、前出のまぐろと同じく濃い口醤油が発達してからでした。

天下太平だったからこそ、江戸時代は食文化が発展したのかも(筆者撮影)
天下太平だったからこそ、江戸時代は食文化が発展したのかも(筆者撮影)

掛川花鳥園で鷹匠体験

ツアーの最終目的地は「掛川花鳥園」でした。花と鳥とのふれ合いを楽しめるテーマパークです。冷暖房完備の大きなガラスハウスに入ると鳥たちが待っています。あらかじめチケットを購入すると、各コーナーで餌と交換できます。体験と言いますか、餌を持っているとコガネメキシコインコの大群がやってきます。すごい!

コガネメキシコインコと遊ぶ筆者 (ツアー参加者提供)
コガネメキシコインコと遊ぶ筆者 (ツアー参加者提供)

ガラスハウスの奥にハシビロコウの「ふたばちゃん」がいました。当園きっての人気者。写真集も出しています。売店で「スタンディングハシビロコウぬいぐるみ」を買いました。今も窓辺にいます。かわいい。

毎日、10時30分、13時、15時にバードショウを開催します。15時の「ワールド鳥ップ」を観覧。フクロウが頭上を飛び、ペンギンが歩いてきます。楽しい。

しかしここと家康との関係は? どうなの家康?

それは「鷹狩り」です。家康の趣味は鷹狩りでした。駿府城に立つ家康の銅像も、左手に鷹を載せています。掛川花鳥園の屋外広場で、鷹狩気分を楽しめる「ホークフライト」を期間限定で実施中です。自分の腕をめがけて、ハリスホークの「よしのちゃん」が飛んできます。これで気分は家康!!

鷹匠体験を楽しむ鉄道カメラマンの村上悠太さん(筆者撮影)
鷹匠体験を楽しむ鉄道カメラマンの村上悠太さん(筆者撮影)

徳川家康、JR東海と静岡県の仲を取り持つ?

徳川家康は岡崎(愛知県)で生まれ、駿府(静岡県)で生涯を終えます。縁のある土地は西の大阪(大阪府)から東の江戸(東京都)まで、東海道本線、東海道新幹線と重なります。JR東海としては国民的ドラマの人気にあやかるチャンスです。

JR東海と静岡県と言えば、現在はリニア中央新幹線の南アルプストンネルで課題解決のための協議が行われています。過去には「のぞみ停車要請(のぞみ通行税)問題」「静岡空港駅建設問題」があり、静岡県の要望をJR東海が拒否する状況がありました。

リニアのトンネル建設拒否は静岡県の意趣返しと対立をあおるメディアもあります。しかし実際は、両者が守るべきものが違うからです。JR東海は「東名阪の交通」であり、静岡県にとって「水と環境」です。

ただし、意見が異なるからといって、両者が対立しているわけではありません。JR東海の静岡県観光キャンペーンはもっと前から行われていました。例えば伊豆について、デヴィ夫人を起用したキャンペーンを中京、関西向けに展開しています。これは関東の人々はご存じないでしょう。関東で伊豆のキャンペーンを宣伝しても、JR東日本の列車に乗ってしまいますから。

JR東海にとって静岡県の観光資源は重要です。リニア中央新幹線開業後、東海道新幹線の収益源のひとつになるからです。静岡県にとっても東海道新幹線の駅は観光客の玄関のようなもの。リニア中央新幹線が開通し、静岡県の観光需要が高まれば、静岡県内に停まる「ひかり」も増えるでしょう。

それまでは「ひかり」の停車駅に十分ご注意ください!!

(取材協力 JR東海 どこ行く家康)

(2023年5月1日10時45分 「うなぎ専門見せ うな助」は「うなぎ専門店 うな助」です。訂正してお詫び申し上げます)

(2023年5月1日16時12分 誤字などを修正しました)

鉄道ライター

東京都生まれ。信州大学経済学部卒。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。出版社でパソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当したのち、1996年にフリーライターとなる。IT、PCゲーム、Eスポーツ、フリーウェア、ゲームアプリなどの分野を渡り歩き、現在は鉄道分野を主に執筆。鉄道趣味歴半世紀超。2021年4月、日本の旅客鉄道路線完乗を達成。基本的に、列車に乗ってぼーっとしているオッサンでございます。

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