■猗窩座、無惨に叱責される

テレビアニメ「鬼滅の刃」の2期「遊郭編」が始まりました。冒頭で、鬼殺隊(鬼を退治する部隊)の柱(最上位の隊員)の1人である煉獄杏寿郎を倒したものの、他の隊員を取り逃し、目的を達することができなかった鬼の猗窩座(あかざ)が、鬼の首魁である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に報告しました。一応、敵のリーダーを倒したわけですので、猗窩座は「命令通り」に柱を倒してきたと報告したところ、無惨は激怒し、他の隊員を逃したことや彼らから一撃を喰らい、鬼殺隊の殲滅はできていないのに柱を倒しただけで首尾よくいったように報告したことを罵倒し、「失望した」と返しました。

■「叱責」か「慰労」か

猗窩座は、無惨からの叱責を受けたことで、取り逃した鬼殺隊のメンバーであり主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)への敵意がますます募るということとなったのですが、これを一つのマネジメントの問題としてみた場合、上司・無惨の部下・猗窩座への対応は正しかったのでしょうか。ミスをした部下に対しては、厳しい「叱責」を行うという選択肢と、ミスをするほど大変な状況に対峙したことを「慰労」するという選択肢の2つがあります。現実的には多くの場合、どちらか一方に振れるのでなく適度に両者のバランスを取るのでしょうが、究極的には「叱責」と「慰労」はどちらがよいのでしょうか。

■「罰」の効果には様々な仮説がある

実は、叱責などの「罰」に関しての研究では、意見が一致していません。ある人がある行動を取った際、叱責などの「罰」をその人に与えるとその行動が減少することはよくありますが、「罰」がなくなると再びその行動を取るようになってしまうこともあり、「罰」の効果は一時的であるという人もいます。罰の強弱が関係あるのではないか、強い罰であれば効果があり、永続的であるのではないかという仮説もあります。実際、飲酒運転厳罰化で、死傷事故は2001年から2020年で8分の1になりました。ただ、この10年間ほどは減少幅が縮小し下げ止まっており、結局、厳罰でも限界があるとも言えます。

■「罰」を与えると、忠誠心や創造性が減少する

さらに言うと、叱責などの「罰」は、相手の忠誠心を損ねるという傾向もあります。ある人に「罰」によって強制的にある行動を取らせる(止めさせる)ことはその人の自尊心を傷つけます。自尊心とは自分についての評価ですが、自発的ではなく、強制的に他人に動かされれば低下し、そうした相手への忠誠心が減少するのも当然です。また、「罰」は人にミスを恐れて、リスクを取らせないように仕向けます。新しい創造的なことをしようと思えばリスクはつきものであることを思えば、「罰」は創造性も阻害してしまう可能性があります。

■「厳しさ」よりも「優しさ」が人を惹きつける

そう考えると、叱責などの「罰」で人をコントロールすることは難しく、副作用もあるため、慰労などの「報酬」でマネジメントした方がよいかもしれません。実際、厳しさでなく優しさを感じさせる人当たりがよいことはリーダーに利点となることもわかっています。「報酬」による思いやりあるマネジメントを行う方が、罰によるマネジメントを行うよりも、職場のストレスは少なく、忠誠心も創造性も高くなり、結果、従業員の満足を生み出し、離職率も低下するということです。リーダーは部下がミスをした時、怒りに任せて部下を叱責するのではなく、ミスした部下の気持ちに寄り添って許し、冷静な対応をするべきなのです。

■「優しさ」と「甘さ」の微妙な違いにご注意

ただし、「優しさ」と似て非なるものである「甘さ」にならないように注意しなければなりません。部下がミスをしても「自分が相手から恨まれたくない」「面倒な人間関係になるのは嫌だ」という理由で毅然とした態度を取らないといった利己的な姿勢は「優しさ」ではなく冷酷な「甘さ」です。そういう上司は結局、部下の成長など(さらに言えば会社のことさえも)どうでもよいのです。そうではなく、「罪を憎んで人を憎まず」的に、人に対しては優しくあっても、した行動自体、ミス自体に対しては、きちんと指導をしなくてはいけません。だから、鬼舞辻無惨が猗窩座に叱責した内容は間違っていません。しかし、命をかけて戦っていた部下・猗窩座に対する「優しさ」が足りなかったではないかと思うのです。でも、彼らは鬼ですから、人間とは違って、優しさなど必要ないのかもしれませんね。