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「人生のやり直し」を阻むものは誰か〜リスクを取らない面接担当者が人の可能性を殺す〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
たった一度の失敗で、やり直しを阻まれるような社会は、良い社会でしょうか。(提供:barks/イメージマート)

■「キャリア」とは恐ろしいもの

採用面接の仕事をやっていると、「キャリア」「経歴」というものは恐ろしいものだと感じることがあります。それは一度作ったキャリアは二度と消えないということです。ある会社に入れば、たとえ3カ月で辞めたとしても、「なかったこと」にはできません。そして、その後何年経っても、人生の節目で自分の経歴を説明する際に、その理由を何度も問われ続けることになります。

キャリアは大事なものだからこそ、人は真剣に考え、決断を下すであろうから、その人らしさがよく表れているはずです。だから、その人のキャリアの特徴的なポイント(その多くは、表面的にはネガティブに見える部分が多い)について、問われるのは当然と言えるでしょう。

しかし、自分のことを考えてみればすぐわかると思いますが、「なぜそういう経歴になったのか」については、自分の内心に生じた様々な複雑なプロセスを踏まえて本当のところを説明するのはなかなか難しいことです。ましてや、履歴書や職務経歴書などの紙上にどこまで表現しきれるものでしょうか。

■リスクを取らない面接担当者

面接担当者の側から見ると、採用面接では「落とすこと」には心理的負荷が比較的少ないものです。それは、落とした人については検証されることがほとんどないからです。

一方、「次の選考に上げる」と、上位の面接担当者から「なぜ、このような人を上げたのだ」と問われ、説明責任が生じてしまいます。人や組織という曖昧な対象を扱う面接担当者にとって、「見る目」を疑われることはリスクなので、少しでも明確な(表面的な)懸念がある人については「落とす」ことで、面倒な説明責任を回避するインセンティブが生じてしまうわけです。そこで、「よくわからなければ、落としてしまえ」、となることがあります。キャリアというものがそもそもわかりにくい中、このようなインセンティブが働くと、「説明しやすい」キャリアの人だけが採用されていきます。

学歴から始まり、以前の会社の知名度、職務経験の年数、資格、語学・・・などの明確な「事実」が(もちろん重要事項だが)過度に考慮されることになります。裏を返せば、早期退職や経歴上のブランク等々の「わかりやすいNGポイント」のある人は、面接担当者の「リスクを避ける心」が強くなればなるほど、採用されるのは至難の業となっていきます。

■失敗経験はダメなのか

しかし本当は、「説明しやすい人」がよい人で、「説明しづらい人」(あるいは「ダメだと説明しやすい人」)がダメな人とは一概には言えません。むしろ、大変な実績を挙げている人の中にも、何らかの挫折経験を持っている方は大勢います。私が以前採用責任者をやっていた会社では、あえて挫折経験のある人を積極的に採用していたほどです。

自分の信念や思いを強く持っている人であれば、一度や二度の無謀な戦いに挑み、敗れていることぐらいはあってもおかしくありません。そうすれば、傷も負いますし、漂流もすることでしょう。そしてそれは、表面的にはキャリア上の「わかりやすいNGポイント」に見えるかもしれないのです。

しかし、それで人生から締め出されていたとしたら、彼らの今はありませんでした。独力で乗り越えた人もいるでしょうが、多くは誰かに見出されて復活しています。誰かがリスクを背負って、その人に期待をかけたから今があるのです。それなのに、リスクを取らない面接担当者が、過去に失敗はしたが可能性はある人々の、未来の芽を摘んでしまってどうするのでしょうか。

■誤った採用基準でも、一度できると変えるのは難しい

もちろん、自社に適するキャリアはどんなものかを考え、選考基準を明確化し、採用活動を効率化しようと試みるのは当然のことです。「真の効率的な選考基準」は個人にも社会にも重要で、適材適所を行うコストが高い組織や社会は、結局人を生かせないでしょう。しかし問題は、その「基準」が「真」か、どれだけ検証されているか、科学されているかです。

人事コンサルティングにおいて、様々な会社の採用選考基準を見てきたのですが、信頼性の高い適性検査などを使ったり、統計的に検証を施したりと、きちんと科学されているところももちろんありますが、過去の事例を単純に「過度に一般化」して基準を設けているところも多いと思います。

「ブランク3カ月以上」「30代で4社目」「○○業界出身者」「○年以下の経験」「これこれのスキルを持っている」「○○資格」等々の基準で、デジタルにOK/NGとしているようなところでも、聞けば、たった数名、そのようなNGケースがあったというだけの場合もあります。

しかし、いくら根拠が薄くても、一度作られた基準を変えるのは難しいです。その基準で落とした人に「実はいい人がいた」ということは証明できないため、きっかけがないからです。本当は採用してみたらうまくいっていたとしても、検証されることはほとんどないのです。

■今の日本に人を無駄遣いしている余裕などあるのか

このような恣意的で狭量な(しかし表面的には明確な)基準による採用選考は、キャリア上の可能性を失う当人はもちろんですが、組織や社会にとっても損失です。

こうした採用が各所で積み重なれば、一度の挫折によってやり直しがきかない社会となってしまう可能性があるからです。固定的なキャリアコースしかない、流動性の低い「格差社会」は、人生の自由な選択肢が少ない窮屈な社会ではないでしょうか。

組織にとっても、無意味に厳しい選考基準によって、せっかくの採用母集団を不要に削ることになります。人の表面的な情報だけしか見ず、「ポテンシャル」「潜在的な可能性」を見抜く採用ができない組織は、「(表面的に)明確に良さそうな人材」という競争の激しいレッドオーシャン市場で人材確保をせねばならず、本来の力よりも低いレベルの人材確保しかできなくなります。本来持っている有限な人的資源を生かせなくなれば、競争力は下がっていくのは当然ですが、そんな人材の無駄遣いをしている余裕のある企業は果たしてどれほどあるのでしょうか。

■採用面接担当者の覚悟が、人や組織や社会の可能性を生かす

だから、最初は非効率であっても、人事は労を厭わずできるだけ大勢の人に会って、可能性を探ることが重要ではないかと思います。

権限を持っている人(経営者や上司や現場の方々など)の言うことを鵜呑みにし、ただ粛々と選考するだけではいけません。言い訳のつく人だけを上げているだけではいけないのです。「(今の明示的な基準には合っていないが)こんな人も自社に、この仕事にフィットするのではないか」と考える人を上げていかねば、その人の可能性は失われ、組織もポテンシャルのある人材を取り逃がすことになっていくのです。

採用面接担当者が、説明責任から逃げることなく、勇気と覚悟を持って自分が良いと信じる人の可能性をどんどん提案していくことができれば、組織や社会はそこに生きる人にとって、自分の可能性を広げてくれる場になっていくことでしょう。また、このことを通じてのみ、組織は、表面的でも恣意的でもない「真の選考基準」を作ることができるはずです。

企業の採用面接担当者とは、このように多くの人にとって組織や社会の入り口を担うことになるからこそ、これを全うする社会的な責任があるのではないでしょうか。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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