「遅刻に寛容」な職場と「1分遅れでも始末書」の職場 人はどちらが働きやすいのか?

「やべー、遅刻だ!!」(写真:アフロ)

■ルールについての厳しさは千差万別

職場には、無数のルールがあります。明文化された「制度」レベルのルールもあれば、なんとなくこういう場ではこうするものと空気感で圧力をかける「不文律」もあります。これらのルールが厳格に守られているかどうかは、職場の雰囲気や組織文化を決める大きなポイントです。

会社によっては、1分遅刻しただけで始末書を書いたり、社長に報告されたりするところもありますし、逆に、報酬や昇格を決める資料でさえ、期日を守らなくてもなんとなく許されてしまう職場もあります。さて、ルールを守る職場と守らない職場、どちらが働きやすいといえるのでしょうか。

■全体の利益が「マイノリティの不利益」になることも

そもそも職場のルールとは、そこで働く皆に守ってもらうために作るものですから、ルールを守る職場の方がよいに決まっているように思えます。守らないでもよいことを前提に作られるルールなどありません。

守らない人がいれば、ルールによって達成しようとしていた職場へのメリットを生み出すことができません。皆がルールを守ることで、全体の利益になる、すなわち働きやすい職場になるだろうということです。

ただし、この場合の「全体の利益」とは、「全員の利益」のことではありません。たとえ少数の犠牲があったとしても、できるだけ多数の人が幸福になり、全員の幸福の総量が最大となることが、ここでいう「全体」の幸福です。

つまり、ルールに厳しい職場とは、職場の多数者の意見と異なる意見を持つ「マイノリティ」にとって厳しい職場といえるかもしれません。例えば、職場でBGMをかけたほうが、仕事がはかどってよい、シーンとした職場はどうも気持ちが悪いという人がいます。その一方で、BGMは集中して仕事をする邪魔になるので嫌だ、という人もいます。

BGMをかけてもかけなくても、少数派にとっては自分が快適ではない方のルールが適用されることになります。ルールが厳格な職場とは、そのルールに賛成でないのに多数派の意見により導入されてしまった少数派にとっては、働きにくい職場となるかもしれません。

■ルールに厳しい職場は「硬直的で息苦しくなる」

ルールに厳しい職場の弊害は、他にもあります。「例外のないルールはない」という言葉があるように、ルールを作る際にありとあらゆるケースを想定することはできず、想定外の事情によってルールに外れたこともしなければならなくなることもよくあることです。

ルールに厳格な職場は、そういう例外対応が面倒なことが多い。誰もが「この場合はルール適応範囲外だよね」と思っていても、職場の空気として「自分勝手な判断でルールを逸脱してはいけない」「ルールを変えたいなら、ちゃんとした手続きを踏まえて」となっていれば、なかなか勝手な例外対応はできないでしょう。硬直的になり、素早く臨機応変に動けないことで、さらにいろいろ問題も出てくるかもしれません。

また、民法などの法律などを見ていても、性悪説の匂いのぷんぷんする「べし・べからず」集となっているように、基本的にはルールとは息苦しいものです。放っておくとしないことを義務付けたり、逆に放っておくとしてしまうことを禁止したりするものが多いです。

ルールとは人間本来の持つ思考や行動の傾向とは反対のことが多く、基本的にルール自体の多くが、もともと不快なものなのです。人は放っておくと不倫に走りがちだからこそ、仏教には「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」という戒律があるのです。

毎日の通勤ラッシュを待ち望む人はいませんが、それでも遅刻をせずにルールを守ろうと頑張って、満員電車に揺られているのです。このようなルールの持つ特質を考えれば、やはりこの点でもルールに厳しい職場は辛い職場といえそうです。

■それでも「泣いて馬謖を斬る」理由

このように、ルールに厳しい職場は何かと窮屈なものですが、だからといって、ルールに緩い職場を推しているわけではありません。ルールに緩い職場にも、当然たくさん問題があります。納期や予算等々、決めたルールを守らない人がいることで、仕事に直接的な悪影響が生じ、進む仕事も進まなくなります。

ルールを守らない人が増えても放置すれば、ルール自体を重視しなくなります。何を決めても「守らなくても罰せられることはない」と思う人が増えれば、ルールで組織を統治することが難しくなります。だから、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」(諸葛孔明が軍律を破った愛弟子を処刑した)という故事成語があるのです。

ルールに緩い職場は、やはり多くの人にとって不快です。頑張ってルールを守っている人にとっては、軽くルールを破る人がいるのが不公平と感じるでしょう。ルール破りによって、チームで成し遂げようとしていたことができないかもしれません。

ですから、私は基本的にはルールは作る以上、絶対に守る、でないといけないと思います。決められたルールがしっかりと守られている職場の方が、上述の様々な問題があったとしても、相対的にルールに緩いズルズルの職場よりはよっぽどマシです。

■理念で「緩く縛る」のが理想の形では

その上で、さらに今よりよい職場を作り上げるためには、ルールに厳格な職場の持つ問題点に、何か手当をできないかということを考えることです。一つの方法は、ルール自体を緩く作っておくことです。明文化・制度化したとしても、曖昧に抽象化できるところはそうしておくことで解釈の余地が生まれます。そうすれば、例外対応もしやすくなるでしょう。

非常に多くの会社が、組織文化や求める行動規範を表す文言として「企業理念」や「クレド」、「ビジョン」や「ミッション」「バリュー」などと呼ばれるものを制定しているのも、この理由です。私も昔はあまり必要性がわかっていなかったので人のことは言えませんが、若手社員など入社してきたばかりの人が、その会社の理念などを朝会等で唱和しているのを馬鹿らしいと思うことはよくあります。

確かに、単なるお題目で全く実践されていないということではダメでしょう。しかし、抽象的で何を指しているのかよくわからない、こんなもの意味があるのかと多くの人に批判される「理念」は、社員を妙に厳しく縛りつけることをせずに組織を統制できるように、わざと緩くしているのです。

経営側からすれば、「理念」が浸透すれば、細かいことを言わなくてもよくなり、マネジメントコストが下がる。社員が自らの「心の欲する所に従えども矩を踰えず(正道を外れない)」となれば、自由にさせてあげることができます。そして、自由を得た社員は創造性やモチベーションが高まる。それを目指しているのです。

ルールは厳しく取り締まるべき。でも、その弊害を最小化するためには、何でもかんでもルールにしないで、理念など文化で緩く縛ること。これが理想ではないかと私は思います。

キャリコネニュースで人と組織のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。