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そもそも「働きやすさ」とは何か〜どんな人がそこにいるかでどんな職場が良いかは変わる〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
人によって職場に求めるものは違う(写真:milatas/イメージマート)

■一般的に「働きやすさ」とは

一般的に「働きやすさ」とは、職場・労働環境のことと捉えられがちで、客観的事実として比較的表しやすいものと考えられています。例えば「適正な労働時間・休暇」「ワークライフバランスに配慮した柔軟対応」「福利厚生制度が充実している」ということなどです。

しかし、実際には他にも、心理的で主観的な、働くこと自体への喜びや幸せに関する要素も「働きやすさ」につながります。例えば「仕事を通じて成長できること」「会社に競争力、成長力があって、貢献欲が満たされること」「公正に評価してくれる社内風土、風通しのよさ」などです。本稿では、今一度「働きやすさ」について整理してみたいと思います。

■「主観的なもの」と「客観的なもの」の関係

「働きやすさ」と似た概念に、「働きがい」というものがあります。毎年「働きがいのある会社」を調査してランキングを発表しているGreat Place to Work(R)という機関があります。私も以前、ライフネット生命にいた際に参画し、ランク入りした経験がありますが、そこで定義されている「働きがい」が参考になります。

彼らは、「信用」「尊敬」「公正」「誇り」「連帯感」の5要素が働きがいを構成し、それを向上させていくために、マネジメント上の重要な場面や機会として「組織目標を達成する(触発する、語りかける、傾聴する)」「個人能力を発揮する(感謝する、育成する、配慮する)」「ひとつのチームや家族のように働く(採用する、祝う、分かち合う)」という3領域9要素があるとしています。

ここでわかるのは、働きがいそのものは「信用」や「連帯感」のような主観的、心理的なもので、冒頭で述べたような職場・労働環境や人事制度、マネジメント手法など客観的、物理的な要素は、それを実際に向上させる「手段」であるということです。

■結局、人は心の中で生きている

私もこの考え方におおむね賛成です。人は結局自分の心の中で生きているわけで、そこで働くことによる幸福感が生じているかどうかが、最終目的である「働きやすさ」なのではないかと思います。

素晴らしい職場・労働環境や革新的な人事制度の存在を指して、即「働きやすい」としてしまってはいけないということです。もっと言えば、それらの物理的な「手段」があることは、「働きやすさ」と相関はあると思うのですが、必要条件ではないと私は思います。

恵まれた環境で働いていても、地獄を感じている人もいれば、外からみれば貧相な環境で働いていても、天国を感じている人もいるということです。

人には様々な価値観がありますので、フリーランチ(無料昼食サービス)に価値を感じる人もいれば、外食したい人には無価値であることもあります。リモートワークの推進も、一体感を感じて働きたい人にとっては、むしろ寂しいことかもしれません。

■「革命家」と「宗教家」の幸福論

「働きやすさ」に最も関係する価値観の違いだと私が思うのは、「幸せになる方法」の違いです。人には2種類のタイプがあり、ひとつは比較的他責で、物事の原因は(自分ではなく)環境や他者によるものであると考えて、自分が幸せになるために環境自体を変えてしまおうとする「革命家」タイプです。

もうひとつは、逆に自責で、物事の原因は自分自身にあると考えて、自分を変えて解決をしようと、自分の心のうち、環境の捉え方、認識の仕方を変えることによって幸せに感じるようにしようとする「宗教家」タイプです。

企業変革には「革命家」が必要であったり、組織の安定には「宗教家」が必要であったりと、両者とも組織には必要な人ですが、「働きやすさ」という点においては、どちらが良いのでしょうか。

■環境の改善には限界があり、満足の保証もない

まず「革命家」ですが、彼らが望む環境などの外的要因を改善するのは限界があります。企業側が環境改善をする資金的、人的リソースに限界があり、お金がなければきれいなオフィスは作れません。また、リソースが十分にあったとしても、実際に環境を変えようとすることには、そのための準備をしたり、反対する人を説得したり、時間もかかります。

さらに、もし環境改善が実現したとしても、革命家タイプはすぐそれに慣れてしまい(元々、人間は刺激には慣れていくものです)、さらなる改善を目指すことでしょう。経営的には素晴らしいこととも言えますが、「改善が必要」と思うのは一種の欲求不満です。いつまでも彼らは満足することなく、幸せになれないかもしれません。

一方で「宗教家」の方は、山上の垂訓の「心の貧しい人々は、幸いである」や、龍安寺の「吾唯足知(われただたるをしる)」ではありませんが、環境を変えることなく、心の持ちようで幸せになることには限界はありません。しかも、面倒な手続きなどはありませんので、一瞬で変わることができます。

そう思える、思えないは、なかなか自分でコントロールできるものではありませんが、まったくトレーニングできないことではありません。よく「意味づけ力」と言ったりしますが、自分の身に起こっていることにどのような意味があるのかを常に考えて、自分にとって一番モチベーションの湧く意味づけをしていくことで、物事を前向きに捉えられるようになることも不可能ではありません。

■両者がバランスよく存在することが大切

以上のように、両者は「働きやすさ」を感じるという点においては一長一短です。もし、職場の多くが「革命家」タイプだった場合、どんどん職場は物理的に改善されていくでしょうが、人々の内心は不満足かもしれません。組織目標達成との関係で、職場環境の改善だけを追求していくわけにもいきません。

逆に、多くが「宗教家」だった場合、どんな状況でも満足している人が多いのでしょうが、そのために物理的な環境はいつまで経っても変わらないままかもしれません。劣悪な職場環境の下で心理的要素を強調しすぎると、いわゆる「やりがい搾取」的なことも起こりやすくなります。

結局は、あまり極端に両者のどちらかに寄るのではなく、会社ごとに適度に両者がバランスよく存在しているということが大切ではないかと思います。あるいは、一人の人間の中で、その両者の考え方をバランスよく持ち、思い切って環境改善に動く場面と、我慢して自分の心の持ちようを変える場面とを使い分けることが必要ではないでしょうか。

キャリコネニュースにて人と組織に関する記事を連載しています。こちらも是非ご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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