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ジャマイカにおけるマリファナ規制の歴史(2/4)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:イメージマート)

■マリファナ規制のはじまりと重罰化、そして非刑罰化

1. ガンジャ法(1913年)の成立

 ジャマイカのガンジャ規制は、社会的要因と歴史的偏見にもとづく制限と禁止の歴史である。過去に医学的な観点から、規制の根拠が真剣に議論された形跡がない。ガンジャとその効果に関する限られた知識と偏見が、厳格で懲罰的な措置を強めていった。

 19世紀の終わり頃までには、ガンジャは人口の圧倒的多数を占める黒人たちの日常生活に浸透し、イギリス人にとっての紅茶、アメリカ人にとってのコーヒー、あるいは日本人にとっての緑茶のように、かれらは毎日ガンジャ茶を楽しんだ。

 ガンジャをジャマイカの重大な社会問題として捉えていたことをうかがわせるような記録は、何も存在しなかった。

 ところが1912年、唐突にジャマイカの福音主義教会が、(ガンジャ茶によるマリファナの経口摂取ではなく!)ガンジャの喫煙が人を不道徳にし、精神のコントロールを失わせて深刻な社会混乱を引き起こすという懸念を表明した。さらに、このような習慣は、移民労働者としてこの島に連れてこられたインド人にも見られるものだとも主張した。

 これにジャマイカの有力紙であるデイリー・グリーナー(Daily Gleaner)紙が反応し、「この植民地の先住民に対する危機としてのガンジャ喫煙」(Ganja Smoking as a Danger to the Natives of this Colony)という社説を掲載し、ガンジャ喫煙が労働者の士気を奪い、犯罪問題に深刻な影響を与えると警告した。

 そして、ジャマイカの立法評議会でも議論が起こり、1913年にガンジャの栽培、所持、使用を禁じるガンジャ法(Ganja Law)が制定された。これがマリファナに対する懲罰的立法の始まりである。ただし、表向きは前年にハーグで調印された万国阿片条約の批准による国内法整備のためだというのが、直接の立法理由であった(批准はイギリスからの要請だった)。違反に対する罰則は、最高100ポンド*の罰金または12カ月以下の懲役、重労働であり、懲罰的性質を強くもっていた。この法律は、1924年危険薬物法(The Dangerous Drugs Act)として生まれ変わり、罰則が強化された。

  • *当時の100ポンドは、今の日本でいえば「数百万円」くらいに相当するだろうか?(→参考サイト

 この間の立法動向を一言で表すならば、ジャマイカ政府が抑圧的な統制によって(仮定の)社会問題に対処しようとしたのだといえる。それは、下層階級の集団蜂起に対する過度の恐れに対処しようとした結果であった。

2. アメリカの影響

 これらの動きに強い影響を与えたのがアメリカであった。

 1910年にメキシコで革命が起こり、マリファナ喫煙の習慣があった多くのメキシコ難民がアメリカ南西部の州に流れ込み、社会問題となった。そして彼らのマリファナ喫煙が外国人排斥の象徴となり、また黒人の間でもマリファナ喫煙が広まっていたことから、南西部の州でマリファナ禁止の立法が相次いだ。

 これをさらに全米に拡大したのが、連邦麻薬局初代長官のハリー・アンスリンガーであった。彼は全米に反マリファナ・キャンペーンを展開し、マリファナを吸って狂った者が殺人やレイプを犯していると煽り、国民にマリファナの恐怖を植え付けた。モラル・パニックの中、世論は一挙にマリファナ規制に流れていった。

 アメリカが連邦レベルでマリファナを規制したのは、1937年のマリワナ税法(Marihuana Tax Act*)を嚆矢とする。連邦議会は、禁酒法を廃止してアルコールを合法化したわずか4年後に、マリワナ税法を声による投票の圧倒的多数で可決した。当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は、この法案に何の違和感もなく署名した。

  • *Marihuana Tax Act、現在はマリファナの綴りは「marijuana」であるが、当時は「j」ではなく「h」と書かれた。外国人には分りにくいが、この「h」には差別的なニュアンスがあり、それをそのまま意図的に法律のタイトルに使ったのだといわれている。本稿ではそのニュアンスを表すために、「マリファナ」ではなく、「マリワナ」と表記した。なお、この法律が日本の大麻取締法の母法である。

 この法律はマリファナそのものを違法として規制するのではなく、マリファナの取引や輸入などに強烈な課税を行ない、課税という観点からマリファナを規制することが目的だった(その背景には連邦と州との複雑な法的関係があるが、それは割愛する)。アメリカにはジャマイカ産のマリファナも流れ込んでいたため、アメリカにおけるマリファナ規制の射程は、必然的にジャマイカにも及んでいった。

 アメリカはジャマイカの植民地政府に対して、マリファナがいかに人びとを(犯罪を含めた)異常行動に駆り立てるのかをアピールした。

 世界恐慌のあおりでとくに砂糖業界が深刻な不況に陥ったジャマイカは、労働者のストライキによる暴動で大混乱していた。それが政府の大きな悩みの種であり、そんなところに流れてきたマリファナの危険性についての話であった。それは、まさにマリファナを常用する彼らを取り締まる絶好のアイデアであり、弾圧のチャンスだった。

 政府は1941年に危険薬物法を改正し、アメリカ式の強制的な最低刑の制度を導入して重罰化に踏み出した(初犯でも執行猶予なしの最高1年の拘禁刑、再犯の場合は最高2年の拘禁刑)。

 マリファナ規制を行なう警察の横暴さは次第に酷くなり、マリファナ規制を口実に黒人や労働者階級を弾圧しようとする政府は、薬物に対する懲罰的対応を強化していった。(続)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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