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大麻取締法に使用罪が存在しない理由(2)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:PantherMedia/イメージマート)

1914年のハリソン税法

 薬物の非医療的使用を犯罪化することは、1914年のハリソン税法Harrison Narcotics Tax Act)によって行われました。ただし、ハリソン税法が規制対象としたのは、アヘン、モルヒネとそのさまざまな製品、それにコカインでした。大麻を含む、他の幻覚剤については規制対象から外されました。とくに大麻については議会聴聞会で、「習慣性のある薬物として大麻が使われることは皆無にひとしい」として、大麻の禁止に反対の証言があり、議会はその提案を受け入れ大麻を規制から除外しています

 ハリソン税法は、薬物の〈医学的使用の規制〉と〈非医学的使用の犯罪化〉を目指したものです。この2つの目的を実現するために、ハリソン税法は、アヘン等の製造、流通、販売、輸入、生産、調合、調剤を行った者にライセンス要件を課しました。事業者には、財務省内国歳入庁への登録と職業税を支払う義務が生じました。これは、国家がアヘン等に関する取引の厳格な記録を要求し、流通を管理するためでした。アヘンは医学など正当な目的での使用のみが許可され、違反した者には、最高5年の懲役か2000ドルの罰金(または併科)が科されることになりました。

 ここで重要なことは、この法律の構造です。

 ハリソン税法は、基本的に課税のための法律(税法)だったのです。これには、アメリカ刑事法の基本的な構造が関係しています。州の連合体であるアメリカ合衆国が誕生したとき、それぞれの州は、その固有の権限の中から、軍事や外交、通貨発行、州際通商(州をまたがる通商)などに関する権限を上位の合衆国(連邦)に移譲しました。その結果、それらに関係する犯罪、たとえば通貨や郵政に関する犯罪、連邦公務員の汚職などは、連邦に刑事裁判権が認められましたが、それ以外の犯罪を処罰する権限は基本的に州に残ることになったのです。依存薬物に関しては州を超えた統一的な犯罪的評価が固まっていなかったので、連邦政府は課税という薬物規制の方法を思いついたのでした。

 薬物を税という観点から管理するという、この方法は画期的なアイデアでした。

 連邦政府はまず、アヘン等に職業として関わる者にライセンス税を課し、つぎにこれに違反して、たとえばコカインを所持していた場合、規制物質の違法な所持ではなく、脱税という連邦犯罪として処罰したのでした。もちろん、これは財務省の所管でした。

 このような画期的な課税スキームが、1937年の大麻課税法に活かされました。

反マリファナ・キャンペーンと州の大麻処罰法

メキシコ移民に対する反感と憎悪と〈反マリファナ・キャンペーン〉

 1937年の大麻課税法のことを検討する前に、1915年から1937年までに州レベルで成立したかなりの数の〈大麻処罰法〉の背景を見ておきたいと思います。というのは、これらの法律の背後には、人種差別や意図的に煽られた恐怖に駆られて、この時期に強力に展開された〈反マリファナ・キャンペーン〉があるからです。この動きも大麻課税法の成立に大きく寄与しました。

 その背景はこうです。

 最初に大麻処罰法を制定したのは、ロッキー山脈南西部の州(テキサス、ニューメキシコ、モンタナなど)です。なぜ、これらの州で大麻処罰法が制定されたのでしょうか。 

 その大きな原因は、1910年のメキシコ革命でした。革命による国内の混乱から逃れた多くのメキシコ人がアメリカに流入し、とくに南西部の州で社会的な摩擦が生まれました。彼らはビート畑や綿花畑で働いたのですが、小さな農場と安価なメキシコ人労働力を使うことができた大きな農場との間で経済的格差が広がり、社会的緊張が生まれ、それは大恐慌後に移民労働者への憎悪となってさらに強くなりました。

 もともとアメリカ大陸には、「ヘンプ」と呼ばれる(幻覚成分をほとんど含まない)麻が自生しており、ロープや布地の原料として使われていました。喫煙の習慣もありませんでした。

 ところが、1545年頃にスペイン人が(彼らが「マリファナ」と呼んでいた)大麻をチリに持ち込み、これが徐々にメキシコにまで伝わりました。

 アメリカに移民したメキシコ人たちは、この大麻とマリファナ喫煙の習慣をそのままアメリカに持ち込んだのです。とくに当時はタバコが高価であったという事情もありました。

  • 1910年頃はまだ「マリファナ」(marihuana、現在の表記は marijuana)という言葉はアメリカの文化には存在しません。一般には「カンナビス」(cannabis)という言葉が使われ、「marihuana」という綴りは差別的な響きをもっていました。「邪悪な雑草」(evil weed)という言葉も使われるようになります。当時は、「ヘンプ」(hemp)と「マリファナ」(marihuana)は別の植物だというのが、一般大衆の素朴な共通認識だったのではなかったかと思われます。

 テキサス州で大麻処罰法が制定された際、法案提出者のある議員は、テキサス州上院の議場でこう演説したといわれています。

「メキシコ人はみんな狂っていて、このようなもの(マリファナ)が彼らを狂わせるのだ」

モンタナ州の大麻処罰法の審議では、「メキシコのビート畑で働くメキシコ人にマリファナを2、3回吸わせると、バルセロナの闘牛場にいるようになる」と言われました。

マリファナ課税法に至るまでの歴史より

 これがロッキー山脈や南西部の州で、初期の大麻処罰法が制定された背景事情です。

 アメリカ大陸が植民地化されたときから、紙や衣類、食用にまで利用できる大麻(ヘンプ)は、材木やタバコと並んで重要な換金植物でした。ところが、それはマリファナを嗜好していた移民労働者であるメキシコ人への憎悪によって、一挙に大麻そのものが禁止の対象となりました。

 当時の植物学によれば、「カンナビス」も「ヘンプ」も「マリファナ」も、すべてカンナビス属に分類される同一の植物であって、その相違は生育環境や生育条件の違いにすぎず、それらを同じにすればすべて「カンナビス・サティバ種」に収れんするという、一属一種説が支配的だったのです。

  • 大麻規制の波は、ワイオミング(1915)、アイオワ(1923)、ネバダ(1923)、オレゴン(1923)、ワシントン(1923)、アーカンソー(1923)、ネブラスカ(1927)、ルイジアナ(1927)、コロラド(1929)へと波及していきました。

 そして、以上のような動きを一挙にアメリカ東部にまで広げたのは、マスコミによる〈反マリファナ・キャンペーン〉でした。

「ニューヨークでは誰もマリファナという薬物を使ってはいない。マリファナは、南西部で聞いたことがあるだけだ」。「しかし、マリファナがここにやってくる前に、その使用を禁止した方がいいだろう」。「ハリソン税法によって麻薬を絶たれたヘロインなどのハードドラッグの中毒者や、1919年の禁酒法によってアルコールを絶たれた中毒者たちは、この新しい未知の麻薬マリファナを自分たちが使っていた麻薬の代わりに使うようになるだろう」。

初期のマリファナファ州法より

 1927年7月6日のニューヨークタイムズに掲載された「メキシコ系の一家、発狂」という見出しのついた記事は、あまりにも有名です。「未亡人と4人の子供が、庭で育っていたマリファナの植木を食べ、彼らを診察した医師によると、子供たちの命は救いようがなく、未亡人は残りの一生を発狂したまま過ごすことになる」と書かれています。

佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』(2019年)より
佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』(2019年)より

 これらの根底にあるのは、大麻が、禁止された薬物やアルコールの代替物になるという、漠然とした社会的な不安感そのものです。

映画「リーファー・マッドネス」(「大麻の狂気」)の公開

 反マリファナ映画である、「Reefer Madness」(1936年)(Reeferとは大麻の俗語)というタイトルの映画が制作されたのも、この頃でした。

 映画の中では、若者たちがマリファナを試した結果、幻覚に支配され、そして狂った挙げ句のレイプ、殺人、自殺などが描かれています。映画の終わりに、高校の校長が、「次はあなたの娘、あるいはあなたの息子の悲劇かもしれない」と訴え、「子どもたちに告げよ」という言葉が画面いっぱいに表示されて終わります。これは、次のYouTubeで全編を見ることができます。

 下の写真は、反マリファナ・キャンペーンのためのポスターの数々です。

33 Examples Of Ridiculous 20th Century Anti-Marijuana Propagandaより
33 Examples Of Ridiculous 20th Century Anti-Marijuana Propagandaより

 このような動きが、1937年の全国的な大麻禁止法である「大麻課税法」の制定につながりました。

1937年の大麻(マリファナ)課税法

大麻課税法は何をしたのか

 大麻課税法(Marihuana Tax Act of 1937)は、表面的にはあくまでも大麻の流通や取引に対して税金を課すことを目的とした法律でした。

  • 上述のように、現在はマリファナは「marijuana」と表記されますが、大麻課税法では「marihuana」と表記されました。あえて差別的な響きをもっていた言葉(綴り)が法名に使われたと推測されます。

 この法律の第2条は、このように書かれていました。

SEC 2. (a) 大麻(マリファナ)を輸入、製造、生産、合成、販売、取引、調剤、処方、管理、または譲渡するすべての者は、以下の特別税を支払わなければならない。

 大麻の取引には決められた書式があり、販売者と購入者両方の氏名と住所、それに売買する大麻の量を記載しなければなりません。これは、輸入業者、栽培業者、製造業者、生産者のみならず、先駆的に大麻の医療的効果の研究と試用を進めてきた医師、歯科医師、薬剤師などの医療関係者も例外なく同じで、彼らにかなりの負担を強いることになりました。

 そして、特別税に免税措置がほとんどなく、この特別税を払わない場合には脱税(5年以下の懲役または2000ドルの罰金、あるいは併科)という犯罪が成立したのでした。

SEC. 4. (a) 第2節の規定に基づき登録して特別税を支払うことを要求された者が、その登録と支払いを行わずに大麻を輸入、製造、生産、配合、販売、取引、分配、処方、管理、または譲渡することは違法である。

大麻課税法の印紙
大麻課税法の印紙

 基本的にはこれがこの法律の核心です。大麻の流通への課税という巧妙な方法で、大麻課税法は間接的に大麻を法禁物にしてしまったのです。

 また、大麻の流通に課税することが目的でしたので、使用じたいについての規定が存在しないのも当然のことだと思われます。つまり、使用の前提である生産や売買などに課税することで、十分だったのです。

法名に隠された意図

 1937年に全米医師会(AMA)の法律顧問を務めたウィリアム・クレイトン・ウッドワード(William Creighton Woodward)は、この法案に対して重要な指摘を行っています。

 つまり、当時の医師たちは、大麻を「Cannabis Sativa L」(カンナビス・サティバ・エル)という植物学上の学名で理解していたのであって、「マリファナ」と「カンナビス・サティバ・エル」が同じものであると理解した医療関係者がほとんどいなかったという事実です。「マリファナ」(Marihuana)という差別的な言葉(綴り)が使われたことで、医療関係者がこの法律の意味するところを十分に理解していなかったのだと主張しました。

中間的なまとめ

  1. アメリカの大麻規制の背後には、政治的な問題(人種問題)があり、大麻と依存症の問題や大麻と犯罪の関係など、規制についての立法事実が不明確なままに法律だけが積み上げられてきました。
  2. アメリカの大麻課税法は大麻に課税するための税法、日本の大麻取締法は大麻じたいを法禁物とする刑事法という違いはありますが、大麻取締法がアメリカの大麻課税法の影響をまともに受けていることは明らかです。大麻取締法に使用罪が存在しないのも、単純に、母法となったアメリカの大麻課税法に「使用」への課税規定が存在しなかったからというのがその理由だと思います。
  3. 第二次世界大戦が始まり極東からの安価な麻繊維の輸入が途絶えると、アメリカ政府はヘンプの生産を軍事用(パラシュートや船舶用ロープなど)として農家に奨励しました(プロパガンダ映画「勝利のための大麻草」)。ただし、映画の中では、大麻課税法に従った合法的な栽培を行うよう注意が喚起されています(2分50秒あたり)。
  4. 戦後になって、大麻取締法により日本では大麻が法禁物になりましたが、大麻課税法を遵守している限り、アメリカでは大麻の栽培は合法だったのです。戦後にアメリカと違って、日本で大麻取締法という刑事法が制定されたのは、あるいはその背後に日本の大麻産業に対する経済政策的な理由があったのかもしれません。(続く)

大麻取締法に使用罪が存在しない理由(1)

大麻取締法に使用罪が存在しない理由(3完)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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