Yahoo!ニュース

緊急事態宣言下、公園でピクニックを楽しむたくさんの人びと

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
緊急事態宣言下の東京(写真:つのだよしお/アフロ)

 4月7日に史上初の緊急事態宣言が出され、その効果が顕著に現れたところがある一方で、東京都内の公園ではむしろ人出が増えたところもあるそうです。いわゆる「三密」(密閉・密集・密接)の状態にある場所が、新型コロナに感染するリスクが極めて高いと言われています。確かに公園などは「密閉空間」ではありませんので感染のリスクは低くなるかもしれませんが、緊急事態宣言下で行動の自粛が求められている中、このような場所にわざわざ出向いて少なくとも密集・密接の状態の一部になるということについては控えた方がよいのではないでしょうか。

都内の公園 緊急事態宣言後 人出増加の所も ビッグデータ分析

不要不急の外出の自粛が呼びかけられる中、東京都内の公園では、今月7日に緊急事態宣言が出されたあとも人出が増加している場所があることがビッグデータの分析で分かりました。

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200419/k10012395371000.html

 東京の世田谷公園では、宴会やピクニックを楽しむ人、テイクアウトの食事をする人、ジョギングや運動をする人などで溢れかえっていたということです。

 さて、およそ個人は、端的に〈この社会で生まれ、この社会で生きている〉というその事実だけで、社会に内在しているリスクを分担し、社会のリスクを細分化する〈無条件の義務〉を負っています。

 かつて、過酷な現場で働く人たちは〈ケガと弁当は自分もち〉と言われ、事故があった場合の責任は個人に押し付けられていました。それが、一定の職種には一定の割合で必ず事故が生じるのだということが科学的・統計学的に証明され、そこから〈保険〉や〈労災〉といった仕組みが生まれました。つまりこれは、社会が発展する過程で不可避的に一定のリスクが生じるならば、そのリスクは社会の構成員全体で負担するかたちで細分化し、社会の安全や個人の救済をはかるべきだという考え方です。

 もちろん事故が起こった場合に、雇用者や認可した国などの責任を問うことは重要なことですが、他方で危険な仕事に従事する人たちや被害者の救済も重要な問題です。そこで、一定の仕事に不可避的に含まれる(必然的な)リスクは人びとで分け合うべきだという発想が生まれたのです。

 これは一言で言えば、連帯(流行りの言葉でいえば ONE TEAM )という言葉で表されることだと言ってもよいと思います。社会の安全は、このような考え方で支えられている部分が多いといえます。

 ただし、この言葉には警戒しなければならない点もあります。

 かつて社会秩序や国家の成り立ちを説明する理論として、17世紀に生まれた社会契約説という考えがありました。これは、人びとが自由を謳歌し、制約のない自然状態の中で個々人がばらばらに暮らしていると、人びとの本能がむき出しの状態(いわば弱肉強食の闘争状態)になる。そこで、個人や家族の身の安全や財産を守るために、人びとは自らの自由を自ら制限して、〈契約〉を結んで国家を作り、国家に国民の行動を制約することができる権限を委譲したのだという思想です。

 つまり、〈連帯〉というベクトルは、とくにそれが強権的に要請される場合には〈差別〉や〈排除〉に向く危険性があって、みんなが賛成していることに従わない者が現実にさまざまな不利益を受けることがあります。今でも根絶したとはいえない〈村八分〉(火事と葬儀以外は近所付き合いをやめる)、あるいは身の回りで起こる〈いじめ〉などもそうだと思います(すでに新型コロナついても、いじめや排除の深刻な問題が生じています)。また、古い常識や習慣、習俗が手かせ足かせになる場合があるなど、〈連帯〉は社会の発展を阻害する方向に働く場合もあります。

 しかし、バラバラの個人が〈契約〉を結んで社会や国家を創るのではなく、人は、生まれる前からすでにこの世界に存在している社会や国家の中で生まれてきます。だから、この社会の中に生まれ、育ち、生きていくというその事実だけで、個人は他人に対してその人格を尊重し、他人の存在そのものに配慮し、協調すべきだという〈連帯〉の義務を負っています。これは、すべての者が各人にとってかけがえのないこの社会を構成する一員であるという、明白な事実から導き出せることだと思います(「人」という字は人と人が支え合っている姿だとはよく言われることです)。

 〈連帯〉というベクトルを上のような負の方向に向けないために必要なこと。それは、あくまでもそこに〈社会リスクの細分化〉〈社会リスクのシェア〉という要素を入れ込んで議論すること、そして何よりも家族や友人を含めた他人へのリスペクト(尊重)の気持ちを忘れないことだと思います(自粛と補償も、このような考えからは表裏一体のものとして考えなければなりません)。これは、上から強権的に要請される〈連帯〉ではなく、自然にわき起こってくる〈連帯〉です。

 コンピュータ・ウイルス対策ソフトを入れずにネットワークにつながっている者が、知らない間にハッカーに踏み台として利用され、他人の社会侵害行為、法益侵害に結果的に加担しているように、感染リスクに無防備な者は、無意識に社会リスクを高めているということに気づくべきです。国が、権力的に人びとに自粛を求めるというのは賢いやり方だとは思いません。人びとが家族や友人を含めた他人へのリスペクト(尊重)の証しとして行動を自粛すること、これが求められているのだと思います。

 自分を守ることは、周りの大切な人を守ることです。個人が社会とつながるということは、このようなことではないでしょうか。(了)

[参考]

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事