“偏情”が招く「不正選挙」陰謀論

ネトウヨとそっくりな“ネトサヨ”

昨年末からネットで不穏な“陰謀論”が散見される。それは、昨年12月に行われた総選挙を「不正選挙」とする内容だ。

そう主張するのは、脱原発派の面々である。具体的には、脱原発を旗印に結集した日本未来の党支持者たちだ。先の選挙で未来の党が惨憺たる結果に終わり、結果「成田離婚」のごとく解党の道を辿ったのは周知のとおりだが、その選挙結果に納得できない支持者たちが年末から「不正選挙」だと主張している。

彼らが挙げる「不正選挙」の根拠はさまざまだ。「開票システムを請け負っているのは原発関連会社」、「創価学会・統一教会・幸福の科学」等々。そのうち宇宙人説も飛び出しそうな勢いだ。なお、このときマスコミ(や電通)は、その「不正選挙」の片棒を担ぐ存在と認識され、「マスゴミ」と呼ばれて非難される。

そんな彼らが根拠とするのは、ネットに漂う信頼性の低い情報群だ。しばしば彼らは言う。「真実はネットにある。検索すればすぐに出てくる。マスゴミはそれを一切報道しない」と。

なんとも既知感のある光景だ──。

たとえば、2011年に行われたフジテレビに対して行われた数千人規模のデモは、ネット上の陰謀論によって結集したデモであった。いわゆるネトウヨと呼ばれる排外主義者が、K-POPや韓流ドラマを放映するフジテレビを「ゴリ推し」として非難した。彼らは口々に「公平な放送」を主張していた。まるで自らが公平な視点を持っていると言わんばかりに。

しかし、今回の「不正選挙」を叫ぶ層は、いわゆるネトウヨとは異なる。彼らは脱原発を主張する、どちらかと言えばネトウヨとは正反対の層だ。そんな彼らが、ネトウヨとそっくりな陰謀論を主張する。「ネトサヨ」との呼称が相応しい姿勢だ。

ネトサヨにしろネトウヨにしろ、彼らの主張は極めて酷似した典型を成す。自らの願望に沿った情報をネットから拾い、それを根拠に自説を固めていく。そのプロセスでは、賛同者がさらなる情報を追加し、根拠を強化する。反論に対しては、「ネットを検索すれば、多く事実が出てくる」と自説の“根拠”を出し、耳を貸さない。

偏った情報ばかり摂取する“偏情”状態

彼らに共通するのは、「自分が信じたい情報しか信じない」という姿勢だ。そこでは、完全に理路が転倒している。「信頼のおける情報」とは、複数の情報と比較検討するなど、精査した上でのものを指す。しかし、彼らは「こうあって欲しい」という思いに見合う情報を集め、その願望を強化していく。そして、いつしかその願望が現実に置き換わり、「信じたい情報」が「信頼のおける情報」へと変化する。

なぜこうしたことが起こるのか?

ネットは、ユーザーが能動的に情報を取捨選択することを必要とされるメディアだ。テレビや新聞、雑誌のような従来のメディアのように、さまざまな情報が雑多にまとめられるものではない。RSSリーダーに好きな媒体を登録し、そこからニュース単位で情報を拾うことができる。それは効率的ではあるが、自分が興味を持つ偏った情報にしか接しくない状況も招く。Twitterでも似たようなことが生じる。Twitterでフォローするのは、自らと考え方が近しいひとばかりだ。自分と同じタイプのひとばかりとコミュニケーションを取り、それ以外を無意識のうちに排除する。

つまり、偏った情報ばかり摂取する、偏食ならぬ“偏情”状態を招いている。

今回の「不正選挙」陰謀論も、2年前のネトウヨによるフジテレビデモも、この“偏情”が招いたものだ。彼らがしばしば口にする「公平性」も、無意識のうちに偏った情報に浸かったうえでの倒錯だ。そこでは、フジテレビが極めて右寄りの産経新聞と太いパイプを持っていることはまったく精査されない。彼らにとって、それは持論を歪めるノイズでしかないからだ。

こうした“偏情”は、もちろんネットだけが促進しているわけでもない。ネトサヨにしろネトウヨにしろ、その基底にあるのは不安だ。それはもちろんのこと社会の経済状況や実際の放射能への不安などによっても招かれているが、その根本にあるのは他者への不信にある。

前述したように、ネットは極めて簡便に情報をスクリーニングする(ふるい分け)ことに適したメディアだが、そこで得た情報をもとにした知見をTwitterやブログで発信した瞬間に、彼らは異論や反論に晒される。しかし、“偏情”状態はそうした異論・反論によって簡単に相対化されない。自説に賛同する者も存在し、それがひとつの集団性を帯びるからだ。一方で、反論する者はTwitterではブロック機能などによって排除される。

つまり、“偏情”同士のコミュニティが生じ、それがまたもやネットツールの機能によって強化されていく。彼らの「不安」は、こうして同じ志向の者たちによって共有され、同時に慰撫されていく。このときの同志とは、決して「他者」と呼べるような存在ではない。自らを決して非難することないからだ。彼らが求めるのは、自らのコピーのような存在でしかない。

それはRPG『ドラゴンクエスト』シリーズに出てくる、キングスライムをイメージするといいだろう。キングスライムは、最初からその姿で登場することはない。弱いスライムが何匹も登場し、戦闘中にひとつにまとまってキングスライムとなる。彼らの志向は「統一」にあって、「連帯」にはないのである。「統一」志向が、市民運動の失敗の歴史だったことも知らずに、それを目指す。

かように、不安を基盤としたコミュニティは、他者を排除し、同じネットの情報を信ずる自らのコピーが結集して存立していく。

不安型コミュニティの末路

こうした不安型コミュニティに、実はそれほどの継続性はない。それはフジテレビデモの顛末を見てもわかるだろう。

フジテレビデモの主催者である36歳(当時)の男性は、デモで知り合った女性と恋愛関係となり、それを理由にこの活動から離れた。彼は、元ひきこもりのバツイチで契約社員だった。彼のブログを読むとわかるが、彼を駆動させていたのは満たされない日常への鬱憤であった。このときのフジテレビは、満たされない彼の鬱憤晴らしのための材料でしかなかった。もし明確な政治思想があれば、恋人ができたくらいで活動から離れることはないからだ。今回の「不正選挙」陰謀論を唱える脱原発派も、このまま行けば今後似たようなプロセスを辿るはずだ。

2年前の震災以降、脱原発派はさまざまな運動を繰り広げてきた。それは週末の永田町で10万人を集めるほどの大きな勢力にもなった。だがその一方で、過激な脱原発派が反論をネット上で強い調子で叩くなど、過剰な行動が散見されたのも確かだ。中には、脱原発に賛同する芸能人の私信を無断で公開し、それを問題視した者を片っ端から「原発推進派」と決め付けてTwitterでブロックする群馬の中学教師も現れた。

筆者は、この頃から脱原発運動が失敗する未来が見えていた。先の中学教師も、プロのダンスチームをクビとなって中学教師となり、Twitterではフォロワーの人数を気にしてばかりだ。彼にとっての脱原発運動とは、日頃の鬱憤を晴らし、周囲から注目されるためのツールでしかない。言うなれば、自分探しツールだ。ゆえに、それが満たされれば彼らは去り、満たされなければべつのツールを探しに行くので去る。

もちろん脱原発運動に取り組むのは、そんなひとばかりではない。真面目に取り組んでいるひとも多くいる。しかし、過剰な存在を野放しにした結果が先の総選挙であり、そして現在巻き起こっている「不正選挙」陰謀論である。

Twitterで「不正選挙」陰謀論を唱える45歳の中年男性は、周囲からの反論に対し「僕を本気で怒らせたらどうなるか知ったほうがいい」と啖呵を切った。だが、その直後に彼はこう呟いた。

「とりあえず今日は寝ます。明日、新聞配達のバイトあるので」