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3階級制覇の世界チャンプ中谷潤人の同僚、日本スーパーフェザー級5位、神足茂利

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者

 8戦6勝(5KO)1敗1分けで日本スーパーフェザー級5位にランクされる神足茂利(27)。来たる30日に後楽園ホールのリングに上がる。対戦相手は日本ライト級3位の浦川大将。

 神足にとっては、自身のキャリアで最も重要な一戦となる。

撮影:筆者
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 1996年9月2日、愛知県名古屋市で生まれた神足は、小学校6年間サッカーをやっていた。ポジションはGK。

 「でも、楽しくなかったんです。団体競技よりも、自分一人で戦える方が良かったんでしょうね。当時からボクシングに対する憧れがあって、中学入学と同時にチームゼロというアマチュアのジムに入門しました。毎日練習に行くのが楽しかったですね。2年生で最初の試合に出場し、3年生の時にはU15大会の決勝まで進みました。

 高校時代も、チームゼロで練習し、全国大会を目指したんです。高校2年の終わりに催された選抜大会で、3位になりました。それで日本大学からスカウトされたんです」

 上京し、日大ボクシング部の寮に入る。

 「商学部に入学し、スパーリングで先輩に挑んでいく日々でした。ボコボコにやられたことは無かったのですが、一歩及ばす、なかなかレギュラーになれなかったんです。僕が在籍していた4年間で、日大は関東大学リーグも全日本大学王座でも全部勝ったんですよ。

 自分は3年生からリーグ戦に出られるようになりましたが、絶対的なポイントゲッターにはなれなかった。最上級生次に2連敗して、就職活動をしようと考えたこともあります。でも、『これで終わっていいのか?』と自分に問い、プロの舞台でやる決意を固めました」

撮影:筆者
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 故郷に戻り、チームゼロ時代の師に相談すると、MTジムを紹介された。

 「U15の大会で顔を合わせていた中谷潤人選手が日本チャンピオンになったばかりでした。彼が日本王座を獲得する試合も生観戦していたんです。『もう、日本一か。早いな。上手いなぁ』と感じましたが、MTジムで一緒に練習して、『こりぁ強いな』と、物凄く刺激を受けました」

 大学を卒業してからおよそ半年後の2019年10月にプロデビュー。2ラウンドKO勝ちだった。

 「でも、3戦目に判定負けを喫しました。2021年5月のことです。同年10月の試合もダウンを奪われたうえでの僕のカットで、引き分けになりました。結局、この年は1勝もできなかったんですよ。

 僕はプロ入りしてからボクシング日記をつけているのですが、読み返して、メンタル面を見直し、フィジカルと精神面が合致していないことを反省しました。それで、私生活から変え、心臓を苛め抜くようなトレーニングを重ねてきました。目下の4連勝はその結果だと感じています」

撮影:筆者
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 昨夏、神足は中谷潤人がキャンプを張るLAの練習に3週間合流した。

 「デビュー後、すぐにWBAフェザー級タイトルマッチに向けて調整するマニー・ロブレス3世のスパーリングパートナーとして渡米したんです。それ以来のアメリカでした。マニーには、コテンパンにやられましたよ。あんな経験をしたのは初めてでした。強いなと感じたそのマニーでさえ、ワンサイドの判定で敗れて引退に追い込まれました。世界はこんなに遠いのかと、打ちひしがれましたね。

 今の自分なら、どのくらいやれるのかと試したい気持ちがありました。でも、それ以上に、ウォーミングアップ無しで、相手の名前さえ告げられずにスパーリングをする中谷くんのメンタルの強さを目の当たりにし、世界チャンプとは何かを学びましたね」

 今年2月にはフィリピンキャンプも敢行し、貧しさから這い上がろうとする選手たちの姿を見た。

 30日の試合について、神足は次のように語った。

 「どんな展開になっても、相手に合わせることなく自分のボクシングを貫く。慌てず、安定感を持って、徹底して自分のボクシングをやる。まさに中谷潤人のような戦い方をしてみせます。必ず勝ちます!」

 WBCバンタム級チャンピオンの僚友は、GWのリングでどんなパフォーマンスを見せるか。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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