NIKE vs. Adidas戦争
ドイツサッカーとアディダスが決別することになった。3月21日(木)にドイツサッカー連盟(DFB)がその発表をした際、筆者は信じられない思いだった。
母国で産声を上げたスポーツメーカーで、70年もの長きにわたって、サポートしてきたアディダスをDFBが切るとは予想しえなかった。
DFBはナイキとの契約を締結した。少なくとも2027年から2034年まで、ドイツ代表チームは、アメリカ発祥の巨大スポーツブランドのアパレルと用具を使用する。
今夏ドイツが主催する欧州選手権で、ドイツ男子チームはニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラハにあるアディダス本社を拠点とする。アディダスにしてみれば、後ろ足で砂をかけられた思いだろう。
先月の21日、アディダス社は同決定に驚いたように、「今日、2027年から新たなサプライヤーを獲得する予定であることをDFBから知らされた」と短い声明で認めた。
ドイツ男子ナショナルチームは、ワールドカップにおける4度のV、ヨーロッパ選手権の3つのタイトルを「勝利を呼ぶ三本線」で獲得した。1954年のワールドカップ決勝で旧西ドイツがハンガリーを下した際、アディダスの創始者で、靴職人だったアドルフ・ダスラーは、ベンチのゼップ・ヘルベルガー監督の隣に座っていた。しかも、自らが作ったねじ込み式スタッド式のスパイクを履いて。
以降、ダスラーはドイツサッカー界に用具をスポンサードし続け、つい先日も6月14日から7月14日まで開催するユーロ2024に向けた新ユニフォームを発表したところだった。
地元ドイツの報道によれば、ナイキはウェアやキットの供給に年間約1億ユーロ(8,600万ポンド、1億800万ドル)を支払うことに同意。これは、アディダスが支払っている5,000万ユーロの2倍である。
ナイキがサッカー界で活発な動きをするようになった1994年の米国ワールドカップの頃、「フィル・ナイト(ナイキ創業者)はサッカーのルールを知っているのか?」と囁かれた。当時、アメリカでサッカーは根付いていなかった。しかし、ついにドイツ代表からアディダスを奪うまでになったのだ。
さて、筆者がここで気になるのがプーマの動きである。アドルフ・ダスラーが連日、靴を作り続けていたのに対し、実兄ルドルフは営業を担当し、アディダス社は軌道に乗る。しかし、いつしか兄弟は仲違いし、袂を分かつ。
そしてルドルフが築いたのがプーマである。後発のプーマは、「一人で10人分の宣伝効果のある超一流選手」だけを狙い、ペレ、クライフ、マラドーナらと契約を結ぶ。ウサイン・ボルトも、その流れでの起用だ。
このところ元気がないドイツは、2034年にどの社を選ぶか。その頃、どのように再生しているのか。今回はナイキが勝利を収めたかに見えるが、1億ユーロを投じるだけの見返りをドイツ代表から受け取れるのか。
各メーカーの戦いにも注目だ。