元Jリーガーが語る「家長昭博さんのような強い体をつくるには」
ドイツ人看護師だったジョセフ・H・ピラティスが、第一次大戦で負傷した兵士のリハビリとして開発したエクササイズ、「ピラティス」。
2014年に中央大学を卒業してJリーガーとなり、大宮アルディージャ、ザスパクサツ群馬、ロアッソ熊本、ブラウブリッツ秋田でプレーし、今季から関東2部のアヴェントゥーラ川口に所属する高瀬優孝(31)。彼が故郷であるさいたま市にピラティススタジオBOOST(さいたま市浦和区北浦和4-5-16 3F)をオープンしたのは9月1日のことだった。
2カ月が経過し「予想以上に順調です」と話す高瀬をインタビューした。
高瀬は言う。
「Jリーグでプレーしていた頃、僕は本当にケガに苦しみました。もっと早くピラティスに出会っていたら……、という思いがあります。アルディージャ時代、家長昭博さんにとてもお世話になったのですが、ピラティスを学び、資格を取った今、彼の偉大さを改めて感じています。
昭さんは体の使い方を完璧にマスターしていました。バキバキの身体なんですが、太い筋肉はつけていない。まさに、インナーマッスルの塊なんです。173cmの身長で、185cmのディフェンダーを片手で押さえてボールキープが出来る。屈強な選手を吹っ飛ばす。体幹が滅茶苦茶強く、スピードもあって、それでいて故障をしない。そして、自身の肉体をいかに使うべきなのか、常にアップデートしている。理想ですね」
ルーキーイヤーから2年間、高瀬は家長選手と行動を共にすることが多かった。住居も近く、お互いの車で送り合い、何度も食事に行った。
「これ以上ない機会を得ていたのに、当時の僕は、昭さんの凄さを具体的には理解していませんでした。川崎フロンターレに移籍してからの方が、遥かにレベルアップしています。ベテランの域に入りましたが、パフォーマンスはまったく落ちていません。脱帽ですよ」
アルディージャ時代、高瀬は左サイドバックのレギュラーを掴みかけた時期がある。家長選手から「お前にとって今がチャンスだ。掴むか、逃すかで、これからのサッカー人生が大きく変わる」とアドバイスされた。
「でも、僕は結果的にチャンスをモノに出来なかったんです。コンディションをキープしていたつもりでも、好不調の波が激しくて…やはり、ケガにも見舞われてしまって」
高瀬はそんな悔しさから多くを学び、ピラティスを通じて、次世代のアスリートがより高みに行くことを目指している。
「繰り返しになりますが、究極のロールモデルは家長昭博さんです。ケガをしない身体を作る。運動を続けながら筋肉を柔らかく保っていく。
たとえば、どこかを痛めてマッサージを受けますよね。その時はいいのですが、しばらくすれば、人間の身体はまた硬くなってしまいます。柔軟性を維持するような運動をして、体を習慣づけることが大事なんです。ストレッチや動きの徹底、そして最小限の力で最大限のパワーを生むことを意識づける。僕のスタジオでは、それを伝えています」
Jリーガーのセカンドキャリア、高瀬優孝の挑戦を見守りたい。