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モハメド・アリが意識せざるを得なかった14歳少年の凄惨な殺され方①

林壮一ノンフィクションライター
(写真:Shutterstock/アフロ)

 後に改名してモハメド・アリと名乗る"ザ・グレイティスト"が、カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアとしてこの世に生を享けたのは、1942年1月17日のことだ。

 ケンタッキー州ルイビルの看板書きの長男として誕生したアリは、12歳の頃、クリスマスにプレゼントされた赤い自転車を盗まれ、警察に被害届けを出しに行く。対応したのがボクシング経験者である白人の警官であり、この競技に興味を持った。

写真:Shutterstock/アフロ

 19歳で出場したローマ五輪で金メダルを獲得し、プロに転向。世界ヘビー級王座に就くこと3度。数々の死闘を繰り広げると同時に、反戦・反米のスポークスマンにもなった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20180601-00085069

 ボクシング史上最強にして最高の輝きを放ったクレイが、ブラックモスリムに傾倒し、モハメド・アリと名乗るようになったきっかけの一つが、「エメット・ティル殺害事件」である。

写真:ロイター/アフロ

 1941年7月25日生まれのティルは、14歳にして白人による凄惨なリンチを受け、短い生涯を閉じた。1955年8月28日のことである。

 ティルが殺害されたのは、ディープサウスと呼ばれるミシシッピー州。「白人女性に口笛を吹いた」「デートに誘った」「肉体関係を迫った」等と語られているが、それらが真実だった確証は無い。にもかかわらず、"被害"を主張する白人女性の当時の夫と、その兄弟の手によって殺められ、タラハチ川に放り投げられた。

 発見された遺体は、どこが目で鼻で口か分からないほど腫れ上がっており、耳も削がれていた。ティルの死が、アラバマ州モントゴメリーにおけるロサ・パークスのバス内で白人に席を譲らない行為の呼び水となり、公民権運動へと繋がっていく。

写真:Shutterstock/アフロ

 クレイ少年がティルの死を知ったのは、ボクシングを始めた翌年のこと。自分より一つ年上の黒人が、このような殺され方をするのかと、自身も身の危険を感じたという。

 ティルの命日が近い今、アリが影響を受けた事件を紹介したい(つづく)。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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