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世界ライトヘビー級チャンピオンから作家へ

林壮一ノンフィクションライター
撮影:筆者

 2000年代の頭、私は8月のこの時期になると、毎年ニューヨークに滞在した。元世界ライトヘビー級チャンピオンから華麗なる転身を遂げて作家となったホセ・トーレスの自宅に泊まり、インタビューを重ねたのだ。

 1週間弱ステイし、その間に必ずニューヨーク・メッツのスタディアムでメジャーリーグを観戦した。ホセもラモナ夫人もプエルトリカンであり、祖国の2大スポーツであるボクシングとベースボールを愛していた。

撮影:筆者 トーレス夫妻  シェイ・スタディアムの記者席にて
撮影:筆者 トーレス夫妻  シェイ・スタディアムの記者席にて

 モハメド・アリのキャンプを取材に行き、スパーリングパートナーを買って出た話や、若きマイク・タイソンとの出会い、カス・ダマトを通じて弟弟子となったタイソンの絶頂期が思いのほか短かったこと、その時期のボクシング界に関してなど、話は尽きなかった。

 ホセはプエルトリカンである自身の立場を忘れなかった。常にマイノリティーである視線を前面に出して、原稿を書いた。私はそんな彼に影響を受けた。※ホセ・トーレスの生き方に興味のある方は、是非、拙著『マイノリティーの拳』(光文社電子書籍)をご覧ください。

撮影:筆者
撮影:筆者

 メルボルン五輪で銀メダルを獲得したホセは、世界ヘビー級チャンピオン、フロイド・パターソンを指導中だったカス・ダマトにスカウトされ、ニューヨークに渡る。

 ダマトから届いた電報を、自宅に飾っていた。ホセにとってダマトは、父親のような存在だった。こんな風に語ったことがある。

 「デビューから引退まで、カスは私のファイトマネーに、1ペニーも手を付けなかった。そういう人だ。ただ、カスは地獄で生きるしかなかったんだ。私はボクシング界で様々な人間を見たが、カスを正確に理解した者など一人もいない。カスは散切りの白髪に覆われた頭脳で、ボクサーたちをいかに光らせるかを考えていた。

 ボクサーには常に課題がある。ひとりひとり違ったアプローチも必要だ。教える方も、日々学ばなくてはいけない。カスの言葉は自身の哲学がベースとなっており、説得力があった。たとえ彼が嫌いでも、聞くべき内容だった。口調も良かった。カスは心からボクシングを敬い、愛していた。

 預かった選手に自分をコントロールすることと、チャレンジの重要性を説いた。でも、ボクシング界を牛耳る連中は、彼を毛嫌いしていたね」

 メッツは新球場を建て、シェイ・スタディアムは駐車場に姿を変えた。2007年、ホセはラモナと共に故郷、プエルトリコのポンセに戻り、のんびり余生を楽しみながら執筆活動に専念すると話していた。

 が、2009年1月19日、突然の心臓発作で他界した。72歳だった。

 今年の夏は特に----ホセと過ごしたニューヨークを思い出す。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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