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この25年間、11月に行われたBIGマッチを振り返る

林壮一ノンフィクションライター
Photo:Esther Lin/SHOWTIME

 ご存知のように、現地時間11月27日に行われたWBC/WBO統一スーパーバンタム級タイトルマッチは、ステファン・フルトンが2-0の判定勝ちを収め2冠王者となった。

 思い起こせば今月は6日に、サウル・”カネロ”・アルバレスとケイラブ・プラントのWBA/WBC/WBO/IBFスーパーミドル級統一戦も催された。

Photo:Amanda Westcott / SHOWTIME
Photo:Amanda Westcott / SHOWTIME

 ボクシング界で11月とは伝統的にBIGマッチが行われる。私が実際に現場でレポートした試合を振り返るだけでも、歴史の重みを感じる。写真と共に、その深みをお届けしたい。

 1996年の11月9日のマイク・タイソンvs.イベンダー・ホリフィールド。掛け率25-1。タイソン勝利を予想する声が圧倒的だったが、ホリフィールドがKO勝ちした。

写真:ロイター/アフロ

 1997年11月8日のホリフィールドvs.マイケル・モーラー2。1年前とはまるで別人となったホリフィールドの衰えが目立ったが、8ラウンドでモーラーを仕留めた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20171108-00076957

写真:ロイター/アフロ

 同22日のジョージ・フォアマンvs.シャノン・ブリックス。フォアマンは、これがラストファイトとなった。不可解な判定に泣いたが、間違いなくフォアマンが勝っていた筈の試合である。

写真:ロイター/アフロ

 1999年11月13日のホリフィールドvs.レノックス・ルイス。8カ月前に引き分けた両者の再戦は、ルイスの判定勝ち。ルイスはその気になればKOも狙えたように感じた。

写真:ロイター/アフロ

 2000年11月11日のレノックス・ルイスvs.デビッド・トゥア。ルイスは仮想タイソンとして、トゥアを選んだようだが、前年同様、ディフェンシブな戦いに終始した。

 ルイスは類稀な肉体と才能に恵まれていたが、メンタルには疑問を感じた。そこが魅力でもあり、可能な限り密着しての取材を続けた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20171201-00078376

写真:ロイター/アフロ

 2001年11月17日のレノックス・ルイスvs.ハシーム・ラクマン2

写真:ロイター/アフロ

 2002年11月2日のジョニー・タピアvs.マルコ・アントニオ・バレラ。タピアの切な過ぎる人生については何度も記しているので、今回は割愛したい。

写真:ロイター/アフロ

 2003年11月8日のロイ・ジョーンズ・ジュニアvs.アントニオ・ターバー。WBAヘビー級チャンピオンとなったジョーンズが、次戦に選んだのはターバーだった。このファイトでは判定勝ちしたが、階級を上げ下げしたのがマイナスに働いたのか、ジョーンズは輝きを失っていく…。同じ歳の選手なだけに、思い入れがあった。

写真:ロイター/アフロ

 同15日のマルコ・アントニオ・バレラvs.マニー・パッキャオ。PACMANがブレイクするきっかけとなった一戦。このあたりから、大物食いが始まった。

写真:ロイター/アフロ

 2004年11月20日のシェーン・モズリーvs.ウィンキー・ライト。オスカー・デラホーヤ、フェリックス・トリニダード、フェルナンド・バルガスらのような派手さはなかったライトだが、モズリーとの2戦に勝ち、トリニダードにも勝利し、存在価値を上げた。

写真:ロイター/アフロ

 2006年11月18日のマニー・パッキャオvs.エリック・モラレス3。PACMANとモラレスとの3戦はどれも見応えがあったが、3戦目はハッキリと差が付き、パッキャオが3回でメキシコの英雄を屠った。超満員のトーマス&マックセンターで、無数のメキシコとフィリピンの国旗が揺れ、会場のボルテージもマックスだった。

この写真はモラレスvs.Pacmanの初戦
この写真はモラレスvs.Pacmanの初戦写真:ロイター/アフロ

 2007年11月23日のフェルナンド・バルガスvs.リカルド・マヨルガ。トリニダードに"壊された"バルガスは、リングに上がる度に痛々しさを見せていた。応援していたが、この日も勝てなかった…。

写真:ロイター/アフロ

 2008年11月8日のロイ・ジョーンズ・ジュニアvs.ジョー・カルザキ。ジョーンズがファーストラウンドにダウンを奪うも、ワンサイドの判定で敗れた。マジソン・スクエア・ガーデンが悲鳴に包まれていた。

写真:Shutterstock/アフロ

 2009年11月14日、マニー・パッキャオvs.ミゲール・コット。この頃のPACMANは、正しく狂い咲き。手の付けようがないほどの強さを見せ、この日も圧勝した。

写真:ロイター/アフロ

 私がアメリカに渡る前には、1992年、1993年、1995年と全て11月にホリフィールドvs.リディック・ボウが拳を交えた。

写真:ロイター/アフロ

 フォアマンがモーラーを下して45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いたのも、1994年11月5日だった。

写真:ロイター/アフロ

 ここ10年を想起すると、2011年、2015年、2019年はカネロが、2013年にはGGGがリングに上がっている。HBOがボクシング中継から手を引き、現在はSHOWTIMEとFOX、DAZNが鎬を削る。今後は、ネットにおける新たなPPVビジネスも生まれるに違いない。

 時代が移り変わっても、11月に催されるメガ・ファイトには今後も期待したい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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