関西大学卒、米国でボクシングトレーナーとして勝負する36歳
Minju Shin(36)は、米国の地で、ボクシングトレーナーとして生計を立てている。現在、ダイエット目的の女性会員から、アマチュア選手まで、およそ40名にプライベートレッスンを施す。
コロナ禍で数々のジムが営業を停止するなか、「どこででもレッスンします。ガレージだろうが公園だろうが、ストリートだろうか、いい汗をかきましょう! 選手は上を目指してトレーニングしましょう!!」という姿勢が功を奏した。
自身が住むカリフォルニア州ロスアンジェルスを起点に、ペンシルバニア州フィラデルフィア、テキサス州オースティン、ジョージア州アトランタと、クライアントが希望する場所に出向く。
「コロナで外出できない、と言っても、試合に出たい選手は、練習したくてウズウズしていました。また主婦の方々も、外に出ないからストレスが溜まる。そのうえ太ってしまった、と悩む方には僕の出張サービスが良かったのでしょう。お陰様で、需要は増えていますよ」
1985年6月3日生まれのMinjuは、広島朝鮮高級学校に入学後、ボクシング部の門を叩き、関西大学でも選手を続けた。卒業に必要な単位を全て取った後、大学在学中に社会勉強としてアメリカの地を踏む。
ある日、ホームステイ先から徒歩で15分の場所にあったボクシングジムを覗いてみると、たまたまそこが、マニー・パッキャオがフレディ・ローチから指導を受けるWild Card Gymであった。
「近かったから、という理由だけで足を運んだのですが、世界王者クラスがゴロゴロいて驚きました。大学卒業までで選手は終えるつもりだったのですが、ここでトレーニングしてみよう、試合にも出てみようと、欲が出たんです。それで大学卒業後に、再渡米しました」
Wild Card Gymのオーナーでもあるローチの教えを受けることはなかったが、ピーター・クイリンやポール・マリナージ等の世界チャンピオンのトレーナーを務めるエリック・ブラウンがコーチを買って出てくれた。
「アメリカでアマの試合には5戦出場しました。こちらはレベルが高く、エリックのメニューもハードだったので、2度、右目が網膜剥離となってしまったんです。その後もケガに泣かされ、プロでは1勝2敗でキャリアを終えました」
それでもMinjuは、日本に戻ろうとは思わなかった。
「アメリカには自由がありますよね。努力している人間を後押ししてくれ、掬い上げる土壌がある。そうやって揉まれて、実力を付けていくような生活が自分には合っている気がします」
トレーナーとしての修業は、Wild Card Gym内で目や耳をフルに使って学んだ。
「トップトレーナーは、選手を侮辱するような言葉は一切吐きませんし、高圧的でもない。どういう言葉で、いかなるトレーニングをすれば選手が伸びるか、ということを常に研究しています。毎日が試行錯誤なんですね。
僕が最初に目にした頃のマニー・パッキャオは、単なる一プロ選手でした。でも、ローチの指導で、どんどん存在が大きくなっていきました。トレーナーは選手の能力を、最大限に引き出すのが仕事です。
僕はケガで大成できなかったので、徹底的にディフェンスを強化するようにしています。オフェンスとディフェンスを同時に、あるいは交互に、というメニューを組みます。ボクサーは誰もが現役時代、『死んでもいい』みたいな気持ちで戦いますよね。でも、リングを降りた後も人生は続くんです。ダメージはなるべく負わないようにしなければ」
スーツケースにミットやストップウォッチ、うがい用のボトルを詰め、彼は今日も米国内を飛び回ってクライアントのパンチを受ける。
「いきなり10歩成長することは難しいですよね。1歩1歩、伸びていけばいいんです。ダイエットも同じですよ。少しずつ、理想の体型に近付いていく。それには時間も掛かりますし、根気や我慢も必要です。
トレーナーにとって大事な作業は、その僅かな進歩を褒めることだと感じています。ちょっとした変化を見逃さないようにフレンドリーに付き合えば、心が通うように自分は思いますね」
いつか世界チャンプを育てたい------ Minjuは今日も己の戦いを本場・アメリカ合衆国で展開中だ。