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アルゼンチン人コーチが語る「さようならディエゴ・マラドーナ」

林壮一ノンフィクションライター
1986年、ワールドカップ・メキシコ大会で王者となった(写真:アフロ)

 実兄のピチは、ディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、栃木SC所属のエスクデロ競飛王。

 自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。

 昨年末から、川越市のフットサル場で自らスクールを始め、この程、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとなった彼が、マラドーナ永眠について語った。

撮影:著者
撮影:著者

 「マラドーナが亡くなった」というニュースが飛び込んで来たのは、26日の午前3時くらいでした。「嘘だろう」と思いながらネットで確認しているうちに、自然と涙が溢れてきて、止まらなくなりました。

 頭部にできたしこりを取り除く手術を受け、11日に退院したばかりでした。この手術は成功したんですよ。

 でも、マラドーナは麻薬やアルコールに溺れていた時期がありますから、ずっと体調がすぐれなかったんです。太ってしまったし、色々な薬も飲み続けていました。

 そんな状態で、今回、突然の心臓発作に見舞われたんです。もう、心臓がもたなかったんですね……。

 マラドーナはアルゼンチンの象徴であり、誇りです。12歳の頃から「プロサッカー選手になりたい。金を稼いで、両親を助けたい。アルゼンチン代表に入って、世界一になるんだ」って言っていました。

 トイレもなく、裸足で生活しなければならないレベルの貧困家庭に生まれた少年が、夢を成し遂げたのですから、我が国の国民的ヒーローです。

 本当に、アルゼンチンの希望でした。人間として、どう生きるかを示したんです。

 マラドーナは僕の兄、ピチと同じ歳なんですよ。2人が12歳の時は、お互いプロの下部組織に所属していました。マラドーナはアルヘンチノス・ジュニオーズ、兄はチャカリタ・ジュニオーズで試合でぶつかっていました。

 当時から別格で、マラドーナを見たいお客さんが、会場に2000人も詰め掛けたことを覚えています。

 兄はもちろん、僕の家族の全員が「すごい才能の選手だ!」って驚き、注目しました。その後、マラドーナとピチはユース代表に選ばれ、1981年はボカ・ジュニアーズでもチームメイトでしたから、身近な存在になったんです。

 1982年スペインワールドカップの時は僕がユース代表だったので、A代表ともしょっちゅう一緒に練習しました。練習前後に、ボール回しやクロスバーにボールを当てることなんかにも混ざってくれました。有名人なのに、気さくでフレンドリーな人でしたよ。素晴らしいな、温かい人だなって感じました。

 スペインワールドカップへの出発直前に、A代表とユース代表のメンバーを混ぜた紅白戦をやったんですよ。お客さんは5万人くらい入ったと思います。で、後半の26分くらいにマラドーナがピッチから出て、僕が交代で入りました。

 マラドーナは客席に手を振りながら、大歓声に応えていました。そこで、冗談で「僕への声援と拍手ですよね」ってマラドーナに話し掛けたら、ニッコリ笑って肩を叩きながら「行け! お前を見せてこい!!」って言ってくれたんです。忘れられませんね。

 その年は、フォークランド紛争がありましたよね。僕の国とイングランドは3カ月間、戦いました。当時のアルゼンチンは軍事下で独裁政治でしたから、軍隊が正しかったのか悪かったのかは分かりません。国自体が揺れていました。

 経験のない若者が軍人として戦場に駆り出され、死者の数は600人とも900人とも言われています。結局、アルゼンチンは敗れ、国民はイングランドに恨みを持つようになりました。

 で、1986年のメキシコ大会で、我がナショナルチームは初めてワールドカップの舞台でイングランドと対戦したのです。フォークランド紛争の傷跡が残っているなかで、マラドーナが2点決めて勝った。

 戦争のリベンジがサッカーだったんですね。"神の手"を使ったゴールだとしても気にしなかったし、その後、5人抜きをやってみせましたから、国民はこれ以上ないほど熱狂したんです。

 今、アルゼンチン人は深い悲しみにくれていますし、明日のお通夜には1億人が足を運ぶそうです。

 マラドーナは、一度ピッチに立ったら「死んでも勝つ!」という姿を常に見せました。それは、両親を幸せにするんだという少年時代からのハングリーさを忘れなかったからです。余談になりますが、メッシに足りないのはそういう死に物狂いさなんですよ。

 僕たちは、本当にかけがえのない人を失いました。あまりにも喪失感が大き過ぎて、普通じゃいられません。涙が止まらないです……。

 とにかく、ご冥福をお祈りします。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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