6階級を制したオスカー・デラホーヤがカムバック? ベストバウトを再録する 

29戦全勝のデラホーヤは、34勝無敗1分けのクォーティとのサバイバルを制した(写真:ロイター/アフロ)

 6階級制覇を成し遂げた、かつてのスターチャンピオン、"ゴールデンボーイ"オスカー・デラホーヤ(47)がカムバックをアナウンスした。

 引退を決めた 2008年12月6日のマニー・パッキャオ戦で、デラホーヤは完膚なきまでに叩きのめされている。果たして、どんな相手を選び、何ラウンドのファイトになるのか?

 著者は、デラホーヤの45ファイトのうち20試合をリングサイドの記者席から目にした。今回は、そのなかでベストバウトだと感じる一戦を再録(原文ママ)でお届けする(※1999年、WBOタイトルはまだマイナータイトルと呼ばれていた)。

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 第12ラウンド、開始12秒。チャンピオンのベストパンチ、左フックが挑戦者の顎を打ち抜き、褐色の肌をしたチャレンジャーがキャンバスに沈む。

 その瞬間、会場内は割れんばかりの歓声に包まれ、ほとんどの観客が腰をあげる。

 1999年2月13日、ラスベガス、トーマス&マックセンター。WBC世界ウェルター級タイトルマッチ、チャンピオン、オスカー・デラホーヤvs挑戦者、アイク・クォーティ戦は、両者一歩も譲らないまま、最終ラウンドを迎えていた。

 ここまでの内容は、全くの互角。第6ラウンドに両者ともダウンを喫し、どちらがポイントをリードしていても不思議ではない。

 しかし、チャレンジャーの2度目のダウンで、ほぼ試合は決まりつつあった。

 カウント8で試合続行が告げられると、ゴールデンボーイは、遮二無二突進し、獲物を仕留めるために、怒濤のようなラッシュを見せる。左、右、ワンツー、左フック、右、左フック……。

 デラホーヤのこんな激しい闘志を見るのは、初めてのことだ。左目を腫れ上がらせ、鬼のような形相で向かっていく。こうでもしなければ、実力伯仲したクォーティには勝てない、と感じていたのだろう。荒々しいまでの攻撃で、チャレンジャーをコーナーに釘付けにする。およそ40秒間にくり出したパンチの数は、実に54発。そのうち17発をヒットさせていた。

 その後、スタミナを失い、動きが鈍りはしたが、捨て身でラッシュしたゴールデンボーイの姿は、かつてないほどの輝きを放っていた。そして、勝利を呼び込むことにも成功したのである。

 私が彼のファイトを会場で見るようになって、2年。これほど美しいデラホーヤに、出会ったことはなかった。

 ゴールデンボーイはこの日、真の勇者となったのだ。

撮影:著者 1998年夏、ロードワーク時のデラホーヤ。コンディショニングコーチは「陸上の中距離を選んでも、五輪選手になれたと思う」と言った
撮影:著者 1998年夏、ロードワーク時のデラホーヤ。コンディショニングコーチは「陸上の中距離を選んでも、五輪選手になれたと思う」と言った

 バルセロナ五輪の金メダリストとしてプロに転向して以来、4階級制覇を含む、29連勝を重ねてスターとなったデラホーヤだが、プロモーターのボブ・アラムに過剰に保護された『造られたチャンピオン』という評価を受けていたことも否定できない。これまで打ち負かしてきたビッグネームの多くは、すでにピークを過ぎた強豪ばかりである。しかも、彼がそれらの相手を綺麗にノックアウトすることはけっしてなかった。倒せるチャンスをみすみす逃してしまう光景を何度か目の当たりにし、その度に失望したものだ。

 デラホーヤには、客を熱狂させる“何か”が欠けていた。その“何か”とは、この日リングサイドで試合を見守った、80年代の中量級のスーパースター、シュガー・レイ・レナードやトーマス・“ヒットマン”・ハーンズが見せた、勝利へのこだわり、執念、闘魂とでもいうべきものである。

撮影:著者 5階級を制したハーンズも47歳まで現役を続けた
撮影:著者 5階級を制したハーンズも47歳まで現役を続けた

 だが、この日の彼は別人だった。こんなデラホーヤが見たかった。

 現在は袂(たもと)を分かっているが、97年にゴールデンボーイは約半年間、エマニュエル・スチュワードをトレーナーとして招き入れたことがある。このスチュワードこそ、ハーンズを育てた人物だ。

 彼はデラホーヤについて、こう評した。

「オスカーを教えてみて分かったのは、天才でも、ハードパンチャーでもないということです。ただ、4つの優れた点を持ち合わせています。スピードがあること、正確に相手の急所を打ち抜けること、コンディション作りがパーフェクトにできること、そして、ボクサーにとって最も大切な、勝利への気持ち、彼にはこれがあるんです」

 そんなアドバンテージを持ちながら、デラホーヤがこれまで光れなかったのは、リング上で自分を追い込まなくても、勝利を手にすることができたからではないだろうか。捨て身でラッシュをかけなくても、この夜ほど死に物狂いにならなくても、栄光の座から滑り落ちることのない立場にいたからではないだろうか。

 今回の相手、アイク・クォーティは、文字通り、最強のチャレンジャーだった。88年のプロデビュー以来、戦績は35戦34勝無敗1分け、29KO。

 デラホーヤが94年にマイナー団体、WBOジュニアライト級のベルトをようやく腰に巻いた頃、堂々とWBAウェルター級タイトルを奪取し、以後7度の防衛に成功している。

 ガーナ人であるクォーティは、デラホーヤのようにマッチメイクに恵まれることなどなく、97年10月の防衛戦を最後に、試合から遠ざかっていた。もし、彼にアラムのようなプロモーターが付いていたら、このようなブランクを経験することはなかったに違いない。

 デラホーヤ戦では300万ドルというファイトマネーが約束されていたが、これは、クォーティの現役生活で最高の額だった。すなわち、チャンピオンであっても、それほど稼げなかった男なのだ。

 9人の兄と、18人の姉を持ち、負けたわけでもないのにWBAのベルトを剥奪され、挑戦者としてラスベガスに乗り込んできた彼は、ギラギラとした飢えた目で、デラホーヤを見据えた。そして、アフリカン特有の頑強な肉体と重いパンチを武器に、ゴールデンボーイの前に立ちはだかったのである。

 デラホーヤがこれまで向かい合ってきた相手とは、スケールも実力も格段に違った。この日のゴールデンボーイは、かつて味わったことのない重圧とも闘わねばならなかった。

撮影:著者 1998年夏、ロードワーク時のデラホーヤ。フリオ・セサール・チャベスとの再戦を経て、最強の敵、クォーティを迎えた
撮影:著者 1998年夏、ロードワーク時のデラホーヤ。フリオ・セサール・チャベスとの再戦を経て、最強の敵、クォーティを迎えた

 デラホーヤのボクシングの特徴は、回転の速い連打にある。空振りも多いが、5つ、6つと、まとめて打てるのが強みだ。

 クォーティに対しても、得意のコンビネーションを出すことは出すのだが、いかんせん踏み込みが甘く、浅くしかヒットできない。それは、クォーティに接近戦を挑むことが、どれほど危険な行為であるのかを、チャンピオン自身が十分に理解していたからだった。踏み込まなかったのではない、踏み込めなかったのだ。

 クォーティもまた、自分のボクシングをさせてもらえなかった。正確で力強いジャブから突破口を作り、ニックネームであるバズーカのような右を叩き込むのがこのファイターのスタイルだが、単発でクリーンヒットさせても、デラホーヤを捕まえることは叶わない。

 両者はジャブを刺し合い、フェイントを掛け合いながら、何とか試合の流れを自分に引き寄せようとした。倒し、倒された6ラウンド以降も、何度か相手をグラつかせはしたが、攻め切るには至らなかった。

 こうして11ラウンドが終了。ゴングを聞いたデラホーヤは、自らのコーナーに走って戻っていく。その姿は、最後の3分間に向かう彼の決意とも思えた。

 リング上の二人は知るはずもないが、この時点までの採点は、一人のジャッジが3ポイント差でクォーティ、一人が2ポイント差でデラホーヤ、残る一人が1ポイント差でデラホーヤというものだった。

 最終ラウンド、二人に微妙な差が生じる。

 よりハングリーな状態でこのラウンドを迎えたのは、王者、デラホーヤのほうだった。あるいは彼の頭には、ポイントでリードされているという思いが過ったのかもしれない。リング中央で両グラブを合わせると、猛然とチャレンジャーに襲いかかっていった。

 対してクォーティは、勝利を確信し、守りに入ろうとした。試合前、「デラホーヤの本拠地で行われるこの一戦で自分が勝つには、KO以外不可能」と発言しながら、彼はその言葉を忘れてしまっていたのだ。この5年間、チャンピオンの椅子に座り続けてきたクォーティにとって、王座は奪うものではなく、守るものだった。

 その意気込みの違いが、明暗を分けた。

 “追う者”であるデラホーヤの勝利に対する貪欲さは、クォーティのそれを大きく上回り、54発のラッシュへと繋がっていった。“追われる者”と錯覚してしまったクォーティは、ロープを背に17発のパンチを浴びなければならなかった。

 正式な試合結果は、2-1でデラホーヤの判定勝ちだったが、チャンピオンの勝利は確かなものだった。

 「イースト・ロサンゼルスで過ごした少年時代は、本当に貧しかった。ボクシングが、デラホーヤ・ファミリーをそこから抜け出させてくれた。ビューティフルライフを齎してくれたんです」

 セコンドに肩車され、ガッツポーズを繰り返すデラホーヤの姿を見ながら、私は、以前彼が語った言葉を思い出していた。

 ゴールデンボーイは、今でも飢えた男なのだ。これといったライバルに恵まれず、燻り続けていた彼は、ようやく最高の敵と巡り逢い、己の能力を極限まで使い果たすことによって、輝けたのである。

 もはや、デラホーヤを『造られたチャンピオン』と呼ぶ者はいないだろう。ゴールデンボーイは、ついに自分の時代の扉を開けたのだ。

『Sports Graphic Number』465号(文藝春秋)より