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NBA最年少MVP選手の強過ぎるメンタル

林壮一ノンフィクションライター
最初の大怪我、左膝前十字靭帯を断裂するまでのローズは、図抜けたPGだった(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 再開となるか中止となるか、依然として先の見えないNBA。

撮影:著者
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このところ話題となるのはマイケル・ジョーダンのドキュメンタリー『Last Dance』ばかりだが、ブルズのユニフォームを目にすると、私の脳裏にはデリク・ローズが思い浮かぶ。

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 2011年に、NBA史上最年少である22歳でMVPに選ばれたローズだが、デビューから8シーズンに亘ってプレーしたブルズでは、256試合に欠場した。全てはケガが原因である。ニューヨーク・ニックス移籍後も故障に苦しみ、9年間で4度、膝にメスを入れた。

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 往年のスタープレーヤーであるチャールズ・バークレーとシャキール・オニールは、NBA生放送の解説中に「ヤツは終わった」と言い切っている。

 周囲の雑音に傷付きながらも、ローズは2018年10月31日に、キャリアハイとなる1試合50得点を挙げ、復活をアピール。ファンを恍惚とさせた。が、同シーズン半ばに右足、終盤には右肘を痛め、リハビリを余儀なくされる。

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 2019-2020シーズンも、2月2日のゲームで鼠径部を痛め、10日間で5試合を欠場した。それでもローズは、現在所属するデトロイト・ピストンズで、1試合平均得点が18.1、アシストが5.6と、チームナンバーワンの数字を出している。

 新型コロナウイルスでNBAが中断される前、私はポートランドでローズを捕まえた。今でも彼の言葉が耳に残っている。

 「出来る限り長く現役を続けたい」

 「頭を使ったプレーをしている実感がある。与えられた仕事を確実にこなしていきたい。私は終わっていない。自分自身を創り上げているところなんだ」

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20200310-00164582/

 強靭な精神力を持つローズのことだ。既に鼠径部の負傷を克服し、日々のトレーニングで己を追い込んでいることだろう。

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 ローズは1988年10月4日に、シカゴの南に位置するイリノイ州イングルウッドで生を享けた。ローズが育ったのもゲットーと呼ばれる黒人貧民区である。ドラッグディーラーが闊歩し、5つのベッドルームで13人が暮らすローズ家にはドラッグの煙が充満していた。母の2人の弟は、ドラッグによって命を落としている。

 シカゴは前アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマが住む土地であるが、白人富裕層とマイノリティーが生活するエリアが今でもハッキリ分かれている。

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 ローズは父について、ほとんど記憶が無い。物心ついた時にはいなかったし、母親も父について話そうとしなかった。母は高校を2年で中退し、15歳で長兄を産んだ。

 ローズは15歳上、13歳上、7歳上と3人の兄に次いで生まれた末っ子だが、兄たちからバスケの手解きを受ける。近所にある公園にフープがあったのだ。プレーが楽しくて仕方ないデリク少年だったが、その公園は頻繁に殺傷事件が発生することで有名だった。「殺人公園」と呼ばれていた。銃を持ったギャング同士の抗争が止まらず、2001年から2016年までの間に4282件の発砲事件が記録されている。

 ローズの母親は、シングルマザーとして複数の仕事を掛け持ちしながら4人の息子を養う。

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 頭角を現したローズは、高校時代、こんな言葉を口にしている。

 「親類たちも含め、13人で生活していた我が家も5~6人がドラッグ使用者だった。自分が家族を守らねばならないんだ」

 劣悪な環境から抜け出したいと願うローズ自身が、ドラッグを手にしたことは無かった。

 1年のみメンフィス大に通った後、NBA入りを表明。故郷、ブルズの指名を待つが、関係者の何人かはローズのバックグラウンドを問題視した。長兄がドラッグ売買に手を染めていたからである。

 19歳のローズは語った。

 「もし、兄の存在を受け入れないと言うのであれば、俺を選ばなくていい」

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 しかしブルズは彼の才能に惚れ込み、全体1位でデリク・ローズをコール。3シーズン目にMVPを獲得したローズを手放す筈もなく、2011年12月21日に契約を5年間延長したのだが……。

 あまりにも怪我の多い彼は、2016年6月に見切りを付けられてしまう。ニックスにトレードされるのだ。この折、ローズは取材者の目の前で涙を流した。

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 「何度も何度も怪我に見舞われてしまったが、全力でプレーした結果だから後悔は全く無い。自分の躰について学んだ。何を食べるべきなのか、どうストレッチすればいいのか、いかに疲れを取るのかを学習したよ。

 人は誰もが仕事を持つが、必ずしも好きなことをやれている訳じゃないよね。だからといって、投げ出す訳にはいかない。それぞれの責任を果たさなきゃならない。自分はバスケットボールへの愛情を、いつも確認しているんだ」

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 NBA選手となった時、MVPに選ばれた時、ローズは苦労して自身を育てた母への感謝を述べた。また、ホームの試合会場には、3人の兄、息子、娘が頻繁に姿を見せる。家族を守るために一日でも長く現役を続けたいと話すローズには、犯罪の温床から、バスケットボールで這い上がって来た鋼のメンタルがある。

 彼の戦いはまだまだ続く。その歩みを、こちらも可能な限り長く見詰めていたい。 

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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