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「八村塁に追いつき、必ず追い越してみせる!」ルーキー、ウェンエン・ガブリエルの挑戦

林壮一ノンフィクションライター
八村塁の同期生、トレイルブレイザーズのウェンエン・ガブリエル(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 ポートランド・トレイルブレイザーズの背番号35、ウェイン・ガブリエル(22)。身長206センチ、体重93キロのパワーフォワードだ。八村塁と同じく、今シーズンにNBAデビューしたルーキーである。

 1997年3月26日、スーダンの首都ハルツーム生まれ。ガブリエルの誕生から2週間後、母はカネを作って息子を含む4人の子供をカイロに送った。第2次スーダン内戦から、子供たちを守る為だった。ガブリエルの父親が一足早く、エジプトで生活していたのだ。

 カイロでの生活が2年になる頃、国連による難民支援として、一家はマンチェスターを経由して米国ニューハンプシャー州に逃れる。当地でガブリエルは、バスケットボールと出会った。

 「僕は3歳でアメリカに来た。両親は言葉の問題もあって、工場勤務なんかをやっていた。苦労していることが分かったから、僕ら4人の子供たちは必死で学業に励んだ。両親からは『何事も一生懸命やりなさい。そうじゃないと、将来は拓けない』って教わったよ」

 このルーキーは己のハードな歩みを、快活に話した。 

 「バスケを始めたのは5年生、10歳の時だった。姉がやっていたのでその影響だね。フットボールも齧ったんだけど、背は高くてもヒョロヒョロだったから、バスケの方が向いているかなと思ってさ。周囲の友人たちにも勧められたしね。

 その1年後にはNBA選手を目指していた。未来を創るんだって思いがあったから、毎日、とことん練習した。夢を実現するには、日々の努力の積み重ねと、自己を信じることが大事だと両親に教えられたんだ。今、その言葉は正しかったと思う。練習するから自信に繋がる。たとえ上手くいかない日があっても、夢を諦めないで進むことが大事じゃないかな。そうやってここまで来た」

 高校時代にはニューハンプシャー州での公式戦はもちろん、マイケル・ジョーダンやNIKEが主宰する若手育成キャンプで関係者の目に留まり、複数の名門大学から声が掛かる。そのなかから、ケンタッキー大を選んだ。因みに、高校卒業の年にはアメリカ国籍も得ることができた。

 「強豪だし、ケンタッキー大からは100人以上がNBAにドラフトされているので、ベストな環境だと思った。熱心に誘ってくれたことも嬉しかった。卒業を待たずにNBA入りを目指したけれど、大学生活は楽しかったよ」

 2018年、アーリーエントリーしてNBA入りを狙うが、どのチームもガブリエルを指名しなかった。

 「バスケ人生で最も辛かった記憶だな……」

 そこで彼は、同年のサマーリーグに参加し、サクラメント・キングスとの2年契約を勝ち取る。しかしながら、試合出場の機会は与えられなかった。

 2年目の今シーズンは、キングスの背番号32として11試合に出場。合計で63分プレーし、通算19得点3アシスト、10リバウンドを記録。若手の1人として経験を重ねていた矢先(2020年1月20日)、トレードでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍することが決まる。

 「プレイオフに進出して、契約延長を勝ち取るのが今の目標だな」

 トレイルブレイザーズでは、これまでに7試合に出場し、合計で58分プレー。通算得点は14、アシストは1、リバウンドは9。同期の八村と比較すると差を付けられた感は否めない。

 「八村のことは注目しているよ。NBAドラフトは1年違いだが、八村は1巡目9位で指名された。素晴らしい才能を持っているよね。彼の未来は輝かしいんじゃないかな。僕はドラフトされなかった悔しさをバネにやって来た。彼は今回のオールスターの2日前に行われる若手選抜にも入ったよね。でも、いつか彼に追いつき、追い越せる選手になれるよう努力を続けていくさ」

 

 ガブリエルが、人生の成功者となることを願ってやまない。スーダンの星となれ!

 

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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