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世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #8 自らを燃やせないチャンピオン

林壮一ノンフィクションライター
マジソン・スクエア・ガーデンでのルイスはフラストレーションを感じさせた。(写真:ロイター/アフロ)

 2人切りで話し込むと、スチュワードはルイスの欠落した闘志を嘆いた。

「もしレノックスに、トミー・ハーンズのようなハートがあれば、モハメド・アリに匹敵する、いや、それ以上のファイターになれるだろうに…。彼は才能をフルに活かせない男なんだ」

 トーマス・“ヒットマン”・ハーンズ。1980年代から90年代初頭に掛けて、ウエルターからライトヘビーまで5階級にわたってチャンピオンベルトを巻いたスター王者である。ハーンズは、少年時代からスチュワードの教えを受け、プロ入り後もほぼ全ての試合をスチュワードと共に闘った。細身の躰でバタバタと相手を倒すハーンズには、殺し屋(ヒットマン)というニックネームが似合った。

 「トミーと出会ったのは、確か彼が10歳の時だったと記憶している。ジムには他にもいい選手が沢山いたから、最初の頃は全然目立たなかった。痩せっぽちで、ほとんどのスパーリングパートナーに打ちのめされていたよ。

 でも、絶対に練習を休まなかった。4年経った頃、少し力が付いて来たな、と感じたけれど、後に世界チャンプになるなんて思いもしなかった。センスではなく、努力によって栄光を掴んだんだ。決意によって人生を切り拓いた選手だね」

 ハーンズが才能に恵まれていなかったとは信じ難い話だが、彼の活躍によってスチュワードの株も上がった。ハーンズの名声は、即ちスチュワードの功績でもあった。

 スチュワードは全米アマチュアゴールデングローブ大会で優勝した経験を持っていたが、プロ選手にはならずにトレーナーの道を歩んでいる。ハーンズが一流選手となり、トレーナーとしての地位を確立するまでは、生活のために電気技師やエンジニアとして働きながら、夜、ジムに通う生活を続けた。

 ヒットマンの他にもWBCウエルター級王者のミルトン・マクローリー、ジュニアミドル、ミドル、ライトヘビーと3階級を制したマイク・マッカラム、IBFミドル級王者のフランク・テート、そしてWBOライトヘビー級タイトルを獲得し、10の防衛後に返上するまでのマイケル・モーラーらを手掛けている。また、ルイスのようにある程度のレベルまで勝ち上がった選手からも、「更に上を目指すために」「弱点を克服するために」と次々に声が掛かった。いつしかスチュワードは、伝説のトレーナーとしてその名を轟かせるようになる。

  ルイスにおけるスチュワードの作業は、テクニックを教えることだけでなく、世界ヘビー級チャンピオンの精神を叩き直すことでもあったようだ。

 スチュワードは話した。

 「素材としては、今までに見たことも無いレベルなんだ。もちろん、トミー・ハーンズよりも上だよ。でも、レノックスは自分自身を出し切れる男じゃない。ハートが弱いんだね」

 ハーンズは輝かしいキャリアを築きながらも、何度となく派手なKO負けを経験している。インタビューする機会に恵まれたが、かなり鼻が潰れていた。端正な顔立ちをしているだけに、それは目立った。ヒットマンには、いかなる試合でも自分の力を120%出し切ろうとするスピリッツがあり、負けっぷりもまた、ファンを魅了した。同じトレーナがコーナーに付ながら、ルイスとは対極にいるファイターであった。

 1999年3月13日、ルイスはついにホリフィールド戦を迎える。リディック・ボウがWBCのベルトを返上してから、6年3カ月ぶりに主要3団体のベルトが一人の男の拳によって束ねられること、/ューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンで催されるボクシングマッチとしては、1971年のジョー・フレージャーvs.モハメド・アリ戦以来の大規模なファイトであることから、両者による統一ヘビー級戦は、耳噛み事件以来の盛り上がりを見せた。2万1284席のチケットは早々と完売し、ルイスを応援するために7000人強の英国人が海を渡ってニューヨークに詰め掛けた。

 米国で常々ブーイングと共にリングに上がって来たルイスだったが、この日に限っては、終始ブリティッシュ・ファンの大合唱がマジソン・スクエア・ガーデンに響き、ブーイングを掻き消した。おそらくルイスにとって、敵地 耳にする初めての大歓声だったことだろう。

 二人のヘビー級チャンピオンには,身長で7センチ、体重では実に14キロもの差かあった。WBA/IBFチャンプはロスアンゼルス五輪ライトヘビー級の銅メダリストであり, WBC者はソウル五輪スーパーヘビー級の金メダリストであった。消化不良の防衛戦を続けはしたがサイズとパンチ力によるアドバンテージ、そして「待ちに待ったホリフィールド戦」でなら、ルイスはゴロタ戦以上のパフォーマンスを演じるのではないか、と期待させた。いや、私は,ゴロタ戦を最後に眠っているルイスの底力を、目にしてみたかった。

 1、2ラウンド、ルイスは予想を裏切らない攻めを見せる。だが,第3ラウンドに反撃出たホリフィールドの右を数発浴びると、警戒心を強めた。そして、第5ラウンド、相手をロープに詰め、獲物を仕留めようと放った右ストレート、右フックがさほどホリフィールドに効かないことを知ると、及び腰になった。中盤以降、リングを支配するのだが、踏み込みが浅く、ジャブの後が続かない。通常、ボクサーとはチャンスと感じた際、3発、4発のコンビネーションを試みるものだが、ルイスにそんな気は無かった。

 

 深追いはせず、ポイントを稼げばいい-----。

 ルイスはジャブとフットワークだけで、判定勝ちを目指すスタイルに切り替える。ガムシャラに飛び込み、ラッシュをかければ、長く追い掛けて来た椅子をノックアウトという形で手にすることもできたであろう。しかし,ルイスは敢えてそれをせず、消極的に闘うことを選択した。これ以上ない大舞台に上がりながら、14キロも軽い相手のパンチを恐れ、修羅になることができずにいた。

 第11ラウンド終了のゴングを聞いたルイスは、客席に向かつて右の拳を翳した。もちろん勝利を確信しての行為だったに違いない。スチュワードに「最終ラウンドだぞ、もっと攻撃的にいけ!」と怒鳴られても、世界王者らしからぬ気のないファイトで、試合を締め括った。

 試合を放送したHBOが117-111のスコアでルイス勝利を唱えたように、この一戦を,目にした大半はルイスが統一王者になったと感じた。が、3人のジャッジは、一人がルイスの勝ち、一人がホリフィールドの勝ち、1人がドローという三様の意見を持ち、決着を見ずに終わる。後に、ホリフィールド勝利と採点したIBF代表のジャッジには買収疑惑が掛けられ、この引き分けという判定を巡って大論争が沸き起こる。判定後、ルイスには同情的な視線が浴びせられたが、勝利を逃した最も大きな要因とは彼の精神にあった。

 WBA, WBC, IBFの各団体は即座にリターンマッチ 義務付け、8カ月後にラスベガスで再戦の舞台が用意される。前回の反省を活かし、今度こそルイスは魂を燃やしてリングに上がるのではないか。彼に対する失望は小さくなかったが、ゴロタ戦の彼がどうしても忘れられない思いがあり、私はペンシルバニア州ポコノでキャンプを張るWBCチャンピオンを訪ねた。

 「前回は、勝利を盗まれた。でも、レノックスはホリフィールドをノックアウトできたね。同じ過ちを繰り返してはならない。誰にも何も言わせない内容で勝利させるよ。このキャンプでは、左ジャブをテーマにおいている」

 とスチュワードは話した。ルイスは、あっさりとした口調で言ってのけた。

 「オレもKOできたと思うが、ホリフィールドがヘッドバットを繰り返してくるから、やりづらかったんだ」 (つづく)

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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