Yahoo!ニュース

世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #6 日陰を歩く

林壮一ノンフィクションライター
スチュワードはルイスを復帰させる際、まずバランスを正した(写真:ロイター/アフロ)

 ヘビー級が冬の時代を迎えた昨今、”最後の実力派王者”レノックス・ルイスの足跡を追う。第6回。

==============================================================

 レノックス・ルイスがソウル五輪の金メダリストとして鳴り物入りでプロに転向した1989年とは、タイソンの快進撃が続いていた。が、翌1990年にタイソンが東京ドームでジェイムス・ダグラスにまさかのKO負けを喰らって王座から転落すると、ダグラスを下したイベンダー・ホリフィールドの季節が訪れる。“季節”と表したのは、時代を担ったタイソンほど抜きん出た王者ではなかったからだ。そのホリフィールドも、2年余りでリディック・ボウに統一ヘビー級タイトルを奪われる。

 タイソン、ダグラス、ボウとタイトルホルダーが変わるなか、ルイスは22連勝を飾り、WBCランキング1位まで駆け上がる。22勝目の相手はドノバン・ラドックという名のカナディアンであり、アマチュア時代のルイスが自身のキャリアで初黒星を喫した男であった。ラドックはルイス戦の前にタイソンと2度クローブを交え、勝てはしないものの善戦した。特に2戦目はタイソンの強打を浴びながら、判定まで粘った。ルイスは、そのラドックを3度キャンバスに這わせ、2ラウンドで葬る。そして、統一王者であるボウへの挑戦が内定した。

 ところがソウル五輪の苦い思い出からか、ボウはWBA、WBC、IBFと3本巻いていたベルトのうち、WBCだけを返上し、ルイス戦を回避する。1987年にタイソンが統一した最重量級主要3団体のベルトは、分裂することとなった。

 ボウのアナウンスを受けたWBCは、空位となったタイトルの決定戦を行わず、ラドックを下したルイスを新チャンピオンに認定すると発表。両親の祖国、ジャマイカで休暇を過ごしていたルイスは、国際電話によって自らが世界チャンプになったと告げられる。世界ヘビー級王座が英国に齎されたのは1899年以来のことで、英国民は色めきたった。

 「夢に描いていた世界ヘビー級王者になれたのだから、当然のことながら嬉しかった。でも、少なからず虚しさも感じたよ。やっぱり、闘ってベルトを手に入れたかった。ボウには勝算もあったしな」

 ルイスはそう振り返ったが、認定での王座獲得は、彼を決定的な悪役に創り上げる。チャンピオンベルトを他国に持ち去られた米メディアは、ルイスをぺーパーチャンプと非難し、バッシングを浴びせる。長く世界ヘビー級タイトルを独占していたアメリカ合衆国にとって、認定で王座に就いた英国人チャンプは腹立たしい存在でしかなかったのだ。以来、ルイスは米国のリングに上る度に、激しいブーイングで迎えられることになる。

 ボウはルイスの代わりに選んだ名もなき挑戦者2人を退けた後、3度目の防衛戦でホリフィールドに雪辱された。一方のルイスも4人目の挑戦者、オリバー・マコールに足元を掬われ、王座から転落する。2ラウンドKO負けだった。

 「派手にやられたな。カークラッシュのような敗戦だった。まぁ、ラッキーパンチってやつじゃないか。でも、あの敗北のお陰で強くなれたと思う。モハメド・アリだって2度王座から滑り落ち、強さを増して帰って来ただろう。負けがメンタル、フィジカルをパワーアップさせたのさ。俺も同じだよ」

 プロ白黒星についてルイスは苦笑いを浮かべて語った。この試合後、ルイスはマコールの参謀であったエマニュエル・スチュワードをトレーナーとして迎え入れる。自身の弱点を熟知した指導者と共に、再スタートを切った。

 だが、王座を奪われたルイスになかなかチャンスは巡って来なかった。実に、2年半の迂回を余儀なくされる。ルイスが勝ち星を重ねる間にヘビー級王座は目まぐるしく動いた。ホリフィールドがマイケル・モーラーに敗れてWBA、IBFの2冠を失い、心臓疾患で引退。そのモーラーを45歳のジョージ・フォアマンがノックアウトして20年ぶりにチャンピオンに返り咲く。出所したタイソンはカムバックすると、軽々とWBC、WBAのタイトルを獲得。病を克服して復帰したホリフィールドがボウと3度目の対戦を行い、KO負けを喫する。そして、タイソンは衰えながらもネームバリューの残るホリフィールドと闘い、予想に反して敗者となる。

 ルイスが失ったWBC王座は、マコールからフランク・ブルーノ、タイソンへと渡った。タイソンが指名挑戦者であるルイスを蹴り、ホリフィールド戦を優先して同タイトルを返上したことで、ルイスにはマコールとの決定戦が用意されたのだった。

 コカイン中毒者となっていたマコールは試合中に泣き出し、失格負けとなる。ルイスはマコールにリベンジし、WBC王座を取り戻しはしたが、タイソン、ホリフィールド、ボウに継ぐ第4の選手でしかなく、アメリカ国籍を持たない唯一のトップヘビーだった。そしてペーパーチャンプと揶揄されたままの、不人気なファイターであった。ファンはどうしても、KOの山を築いたタイソンと他のヘビー級ファイターを比べた。

 ルイスはトップ選手には違いなかったが、強烈なインパクトを与えたファイトはラドック戦のみで、地味な存在でしかなかった。

 ルイスの足跡を辿りながら、その時々の思い出を語ってもらった後、将来について訊ねると、こんな答えが返って来た。

 「オリンピック出場とプロ転向で、カレッジを中退せざるを得なかった。もう一度、学業をやり直したいんだよな。哲学を学んでみたい。

 教育って、人間が生きる上で必要不可欠なものだろう。どんな理由があるにせよ、若い世代には学ぶ機会を作ってあげないと。世界中全ての子供を救えはしないけれど、自分にできることをやろうと、ロンドンにレノックス・ルイス・カレッジを設けた。カレッジっていっても、通うのは小中学生だけどね」

 アリと手段は違えども、ルイスは社会的弱者に手を差し伸べようとする世界ヘビー級王者なのだった。

(つづく)

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事