世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #5

アリを囲んで若き日のルイス。右から2人目がソウル五輪決勝の相手ボウ(写真:Shutterstock/アフロ)

 ヘビー級が冬の時代を迎えた昨今、”最後の実力派王者”レノックス・ルイスの足跡を追う。第5回。

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 アメリカ合衆国は1984年ロス五輪の開催国ということもあり、カナダよりもオリンピック代表選考会が遅かった。ルイス同様、アマチュアのトップ選手として認められていたマイク・タイソンは、ハードパンチを恐れられ、なかなかスパーリングパートナーが見付からずにいた。タイソンを指導するカス・ダマトは、ルイスの評判を聞きつけ、キャンプ参加を促す電話を隣国にかけたのだ。

 

 ルイスの想起。

 「あの頃のタイソンは凄くいいヤツだった。飼っていた鳩を見せてくれたり、女の子の話で盛り上がったりもした。昼は激しいスパーを何ラウンドもこなして、夜は一緒に往年の名ファイターのビデオを見たよ。カス・ダマトの講義付きでね。非常に有意義な時間を過ごした。俺たちのスパーは、モハメド・アリvs.ジョー・フレジャーみたいだったんだぜ」

 2人はこの時にライバルとなった。

 ダマトは2人の練習風景を目の当たりにし、呟いた。

 「近い将来、彼らは世界ヘビー級タイトルを賭けて闘うことになるだろう」

 しかし、タイソンは五輪代表選手になれず、ルイスもまた初の大舞台で力を出し切ることなく2戦目で敗退してしまう。タイソンが敗北を経て、迷わずプロの世界に飛び込む一方、ルイスも数名のプロモーターからプロ契約の打診を受ける。契約金の最高額は50万ドルであった。

 ルイスの述懐。

 「プロに転向すれば母親を楽にさせてやれる、と感じた。でも、オリンピックでの悔しさは次のオリンピックで晴らそうと決め、アマチュアを続けることにしたんだ。母から学問の重要性を説かれたことも大きかった」

 ルイスはアマチュアのリングに上がりながら大学に進学する。彼の語り口が折り目正しい理由は、知性によるものであろう。

 4年後、本命視されたソウル五輪で、ルイスは期待に違わず金メダルを手にする。決勝では、後の統一ヘビー級王者、リディック・ボウを第2ラウンドでストップした。その瞬間まで、アニー・ビームが寄り添ってくれた。

 カナダ人選手が五輪のボクシング競技で金メダルを獲得するのは56年ぶりのことであり、ルイスが金メダルを首から下げて帰国すると「ブラック」と差別的な視線を浴びせて来た大衆が掌を返したように歓迎するのだった。

 プロ転向にあたり、ルイスは英国のマネージャーと契約する。ブリティッシュとしてプロデビューする道を選択した。「カナダでの負の体験がそうさせたのですか?」と訊ねると、ルイスは否定した。

 「俺は二重国籍者だろう。オリンピックではカナディアンとしてトップに立った。次はブリティッシュとして世界一に、と考えたんだ。両親がジャマイカンだってことも忘れちゃいないぜ。レゲエが好き出し、母にはしょっちゅうジャマイカ料理を作ってもらっている。

 ジャマイカンはアフリカから連れて来られて、新しい土地で苦しみながらも真っ直ぐに生きようと努めた。そんな自分の血を大事にしたい。だから、俺にとって祖国は3つあるのさ。加えて、自分の体内に流れる血がアフリカに通じていることにも誇りを持っているよ」

 ルイスの身の回りの世話をするスタッフの国籍が違うのは、3つの祖国からそれぞれ選んだ男たちだからであった。

(つづく)