村田諒太の標的、ゴロフキンの年齢~35歳~
村田諒太がミドル級最強を示す為に、絶対に避けられない相手がGGGである。9月16日のカネロ・アルバレスとの試合後、「ゲンナジー・ゴロフキンは下り坂に来ている」と語る人が多い。結果がドローだったとはいえ、ゴロフキンの圧勝だと私は見たが…。
ただ、35歳と言う年齢は、いつパフォーマンスが落ちてもおかしくない。それは最強だったある王者の、統一タイトル戦での闘いぶりが物語っている。
今回は、その試合を再録でお届けする。ちょうど、20年前の今日行われたWBA/IBF統一ヘビー級タイトルマッチだ。
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『過ぎゆく季節に』
35歳という年齢は、ボクサーにとってどんな意味を持つのだろう。ほとんどの選手の場合、『引退』の2文字を意識せざるを得ないのではないか。たとえ、1年前に生涯最高のファイトを繰り広げていたとしても……。
間違いなく、彼の季節は終わりを告げようとしている。
1997年11月8日、WBA/IBF統一世界ヘビー級タイトルマッチで、8回TKO勝ちを収めたイベンンダー・ホリフィールドについては「衰え」という言葉でしか語ることができない。
1996年11月9日、WBAチャンピオン、マイク・タイソンに挑んだホリフィールドは、誰もが予期し得なかったノックアウトで“鉄の男”を粉砕した。タイソンのハードパンチに真っ向から立ち向かい、メッタ打ちにして、キャンバスに沈めたその雄姿は、私の体を感動で震わせたものだ。記者席には、涙を流して彼の名を叫んでいるメディアワーカーもいたほどだ。それくらい劇的で、美しいファイトだった。
ホリフィールドはこのタイソン戦に漕ぎ着けるまで、実に8年もの歳月を費やしていた。クルーザー級から階級を上げ、ボクシング界の“頂点”に立つには、是が非でもマイク・タイソンという化物を倒さねばならなかった。
だが、二人の対戦が具体化するたびに、タイソン側のアクシデントで肩透かしを食らう。タイソンと闘わずして、最強の証を手にすることはどうしても不可能だった。
そして1年前、ホリフィールドはチャレンジャーとしてようやくタイソンと対峙する機会を得る。この試合に付けられたキャッチフレーズは、“ファイナリー(ついに)”。まさに、彼の気持ちを代弁しているかのようだった。
既に34歳となっており、「ピークを過ぎた選手」と囁かれていたホリフィールドだが、待ちに待った一戦で12年間のプロ生活における最高のファイトをやってのけた。
この勝利によって彼は、モハメド・アリと並ぶ、ヘビー級王座に3度就いた男として称えられるとともに、アメリカの国民的英雄となった。遅すぎた春を満喫するとともに、揺るぎない自信を持ったに違いない。『世紀の噛み付き』となったリターンマッチも、あのまま続行していれば、ホリフィールドが中盤以降にタイソンをストップしていたことだろう。
そんな彼が、3年半前に一度敗北を喫した相手、マイケル・モーラーにどう雪辱を果たすのか。人々の関心はそれに尽きていたといえる。ホリフィールド自身も、「前回負けたのは、左肩の故障が原因。ケガさえなければ、私が勝っていただろう。今回はそれを証明したい。そして、WBCも含め、ヘビー級のベルトを統一してみせる」と語り、自信満々で迎えたタイトルマッチだった。
しかし、ホリフィールドはあのタイソンとの試合からは想像もつかないほどの弱々しさをさらけ出すことになった。まるで花が萎(しお)れていくように、“過ぎ去ったボクサー”となりつつあることを示していた。
試合開始から、サウスポー、モーラーの鋭いジャブを無数に浴び、力なく後退する。タイソン戦を彷彿させる左ボディアッパー、左フックのコンビネーションを放つが、全くスピードがない。そして、モーラーの攻撃に顔を歪め、ロープを背負う。
マイケル・モーラーという選手もライトヘビーからヘビー級に転向したボクサーだった。テクニシャンではあるがヘビー級のパンチ力やダイナミックさは持ち合わせていない。事実、ホリフィールドとの初戦の後、当時45歳のジョージ・フォアマンに右ストレート一発でKO負けを喰らっている。
そのモーラーの軽いパンチによろけるホリフィールドの姿は、ロートル以外の何ものでもなかった。この試合の彼を苦しめている本当の敵は、モーラーではなく、老いゆくホリフィールド自身であるように見えた。
ヘビー級としては小さな身体で数々の死闘を繰り広げてきたホリフィールドには、深いダメージが蓄積されているに違いない。ここに来て、ついにそれがファイティング・スタイルを蝕み始めたのだろうか。軽やかだったフットワークも消え失せ、歩くようにリングを移動する。リズムを取ることを決して忘れなかったはずの彼の体は、もはや思い通りに動かないようだ。
そんなホリフィールドを勇気づけるかのように、「ホリー」コールが会場内に木霊(こだま)した。
ホリフィールドにとって幸運だったのは、モーラーが予想以上に脆かったことである。
第5ラウンド、ロープに詰められたホリフィールドは、カウンターの右ストレートでダウンを奪う。だが、打たれ弱いモーラーだからこそ奪えたダウンに過ぎなかった。
第7、8ラウンドとホリフィールドは一方的に試合を運ぶ。右アッパーを正確にヒットさせ、それぞれ2度ずつモーラーを沈める。が、仕留め切ることができない。タイソンを夢遊病者にしたあの激しいラッシュは潜めたままだ。そればかりかスタミナを失い、苦しそうに肩で息をする。その荒い息遣いが、記者席まで聞こえてきそうである。
第8ラウンド終了後、モーラーのダメージを考慮したレフェリーがTKO宣言し、試合終了。トレーナーに抱かれて、天を仰ぐホリフィールドの表情には安堵感が漂っていた。
苦しみながらも5度のダウンを奪い、勝利を掴んだ精神力は賞賛に値するが、ハッキリと限界を感じさせるファイトだった。
数分後、右目の上に白い絆創膏を貼り付け、ホリフィールドは記者会見場にやって来た。左の頬も腫れ上がっている。タイソン戦では見ることのなかった、痛々しい傷跡だった。
その場で彼は、WBC王者、レノックス・レイスとの統一戦を希望。来春にも実現しそうな気配である。しかし、今回のダメージも加わり、さらに厳しい闘いとなるに違いない。
諸行無常――。いかに強く、ファンを魅了し続けたボクサーでも、いつかは老い、リングを去らねばならない。ホリフィールドに残された時間はごく僅かである。
初出『Sports Graphic Number』(文藝春秋)432号