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20年前のボクシング界の主役 ~ゴールデンボーイ~

林壮一ノンフィクションライター
97年9月13日、大差の判定勝ちでカマチョを一蹴したデラホーヤ。(写真:ロイター/アフロ)

 8月31日は、英国の元皇太子妃、ダイアナの命日であった。彼女の死から、早いもので20年が経過した。報道を耳にしながら20年前を思い出した。「プリンセス・ダイアナが亡くなったよ」と私に教えてくれたのは、オスカー・デラホーヤの実兄、ジョエルだった。

 当時のボクシング界の主役が、先日話題となったWBA/WBC/IBFミドル級タイトルマッチ、ゲンナディ・ゴロフキンvs.サウル・カネロ・アルバレス戦をプロモートしたとは時の流れを感じる。

 20年前、今回のゴロフキンvs.カネロ並みに注目された一戦、WBCウエルター級タイトルマッチを再録でお届けする。デラホーヤに挑戦したヘクター・カマチョもまた、2012年11月24日に鬼籍に入った。まだ50歳だった…。

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 クライマックスは、第9ラウンド残り40秒にやってきた。ゴールデンボーイの左アッパーが挑戦者の顎を跳ね上げる。さらに追い討ちをかけるように左フック、右ストレート、左フックのコンビネーションを浴びせると、チャレンジャー、ヘクター・“マッチョ”・カマチョは堪らずキャンバスに崩れ落ちた。'80年のデビュー以来、プロ生活2度目の、実に9年ぶりのダウンだった。

 1万4100人の観客で埋まったトーマス&マックセンターは興奮の坩堝と化し、絶叫と悲鳴が交差する。ノックアウト寸前のカマチョは、辛うじてゴングに救われ、重い足取りで倒れ込むように椅子に腰を下ろす。それに対してゴールデンボーイは、右腕を高々と揚げながら自信満々の表情でコーナーへ引き返した。

 1997年9月13日、ネバタ州ラスベガスで行われたWBCウエルター級タイトルマッチ12回戦。バルセロナ五輪の金メダリストとして、プロ入りしたオスカー・デラホーヤは、この5年間でジュニアライト級からウエルター級まで4階級にわたってチャンピオンベルトを手にし、この日はウエルター級タイトル2度目の防衛戦として、ヘクター・カマチョの挑戦を受けていた。

 カマチョも大小のベルトを含め、5段階級制覇を成し遂げてはいるものの、最近はマイナー団体のリングにしか上がっておらず、既に過去の人となりつつあった。それ故、一般的には安全なチャレンジャーであるといえたが、68戦ものキャリアを積んだ試合巧者、そして、サウスポーであるという点からデラホーヤの苦戦を予想する声も多かった。

 オスカー・デラホーヤはここまで25戦全勝21KOという圧倒的な戦績を誇っていたが、私にとってはいまひとつ、魅力に欠けるボクサーだった。

 1997年1月18日、デラホーヤはミゲール・アンヘル・ゴンザレスとの無敗同士の対決を判定でモノにした。私自身、初めて生で見るオスカーのファイトだった。だが、デラホーヤは確実に試合をコントロールし、ノックアウトのチャンスに直面しても、敢えてラッシュをかけなかった。決して冒険をせず、楽に判定勝ちを狙う試合運びに、軽い失望感を覚えたものである。

 その次の試合、4月12日のパーネル・ウィティカー戦を見ると、さらに彼のボクシングを疑うようになった。常に攻めようとはしていたが、空振りが多く、クリーンヒットが数えるほどしかなかったのだ。ウィティカーはカマチョなど比較にならない技巧派のサウスポーだが、終始ペースを握ったのはウィティカーのほうだった。

 しかし、思いがけない大差の判定でゴールデンボーイが勝利者となる。この判定には、デラホーヤを抱える大物プロモーター、ボブ・アラムの政治力を、まざまざと見せつけられたように感じた。甘いマスクの元金メダリスト、デラホーヤは作られたスターにすぎず、ボクサーとしてそれほど商品価値のあるチャンピオンではない、というのが私の彼に対する正直な感想だった。

 あるいは、デラホーヤも自身の実力不足を認識していたのかもしれない。ウィティカーに苦しめられた直後、彼は名伯楽、エマニュエル・スチュワードに指導を依頼する。'80年代に活躍した中量級のスーパースター、トーマス・ハーンズなど数々の名チャンピオンを輩出し、1月にはミゲール・アンヘル・ゴンザレスのチーフセコンドとして、デラホーヤと対峙した経験もあるトレーナーだった。

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 2人が手を結んでから2戦目となる今回のカマチョ戦、その最終調整に入ろうかという8月下旬、私は、彼らのキャンプ地であるカリフォルニア州ビッグベアーレイクを訪ねた。

 翌週から9月に入るというのに、真夏の強い陽射しが湖の水面に照りつけていた。避暑地とはいっても、あまり人気(ひとけ)はなく、静かで落ち着いた感じのする場所であった。

 別荘地の一角に、デラホーヤは一戸建ての家とジムを設けていた。庭には美しい芝が敷き詰められ、ゴルフのパター練習場も設置されている。また、入り口の左手にはハンモックが風に揺れていた。ゴールデンボーイの名に相応しい、豪華な建物だった。

 3歳違いの兄、ジョエルがメルセデスのエンジンをかけ、メキシコ音楽を流した。オスカーは、リングに上がると軽くウォーミングアップを始めた。それを見ながらエマニュエル自身もバンテージを巻き始めた。私は自分の現役時代を含め、ボクシングとかかわり出して8年になるが、トレーナー自らこうしてバンテージを巻く姿を見るのは、初めてのことだった。

 オスカーの動きは、次第にウォームアップとは呼べないものになっていった。激しいシャドウボクシングで、ショートのコンビネーションを繰り返す。そして、何度か「マッチョ!」「カモン、マッチョ!!」などと叫び声を上げた。

 やがてエマニュエルとデラホーヤのミット打ちが始まった。ジャブ、パリングしてジャブ。フェイントを入れてジャブ。エマニュエルはその一つ一つに「ナイス」とか「OK」と、会話するように声を出した。ミットの持ち方を見れば、一流のトレーナーかどうかおおよその察しはつく。エマニュエルは紛れもない本物だった。

 その姿に感心していると、タイムキーパーを務めるジョエルが、ストップウォッチを片手に、「ねえ『時間』て、日本語で何て言うの?」と質問して来た。教えると、

「じかん~、タァーイム!」と大声を上げ、このラウンドは終了した。厳しさの中に明るさが含まれた練習だった。

 2ラウンド目、3ラウンド目とエマニュエルは、アッパーを多用したコンビネーションを要求した。右アッパー、左アッパー、右ストレート。右アッパー、左フック、右ストレート。右ストレート、左アッパー。「ワンスモアー」「ワンスモアー」と続けさせるうちに、デラホーヤのボルテージはヒートアップし、唸り声を上げるようになった。鋭い視線でミットを睨み、汗が滴る。エマニュエルは、選手をのせることにおいてもテクニシャンだった。合計4ラウンズでミット打ちは終了した。

 次の2ラウンズはサンドバッグを打った。思い切り力を込めて打つのではなく、スピードと手数を重視し、ボディアッパーのコンビネーションを中心に打ち続けた。デラホーヤの声はますます大きくなっていった。ゴールデンボーイはいつもこうして、自分を奮い立たせているのだろう。ハンサムな顔に似合わない、彼の野性的なファイターとしての本質を垣間見たように感じた。最後はパンチングボールで汗を流し、軽い体操をして、この日の練習は終了した。

 デラホーヤはエマニュエルをトレーナーに選んだ理由をこう話す。

 「ウィティカーとの試合ではとても困惑しました。このままでは問題がある…、さらに上を目指すにはしっかりとした指導者の教えが必要だろう。共に汗をかいてくれるトレーナーが良かったのと、ハーンズのような強烈な右ストレートを身につけたいと、彼にお願いしたんです」

 また、エマニュエルはデラホーヤを次のように評した。

 「実際教え始めてわかったのは、ビッグパンチャーでも天才でもないということです。ただ、4つの優れた点を持っています。まず、スピードがあること、正確に相手の急所を打ち抜けること、コンディション作りがパーフェクトにできること、そして何より大事な、勝利への執着を持ち合わせている選手だと言えます」

 エマニュエルの語るように、デラホーヤというボクサーは、生まれ持っての才能に恵まれたタイプではないだろう。だが、自分を追い込み、努力し続ける能力は備わっているようだ。何より、4階級制覇を成し遂げても、驕ることなく純粋にボクシングに向かっている姿勢に感心した。

 いつの間にか、近所に住む人々がデラホーヤのトレーニングを見学にやって来ていた。小さな輪ができている。ワンパクそうな少年もいれば、中年の婦人もいる。その一人一人にオスカーは気さくに応対し、サインのペンを走らせた。

  「僕は決してサインを断ることはしないんです。応援してくれる方々に感謝していますから」

 その姿を優しい眼差しで見つめながら、エマニュエルはデラホーヤのボクシングセンスについて否定的な発言をした私に、

 「とても素直な好青年です。毎日懸命に練習するしね。ハーンズとは素材が違うとおっしゃいますが、彼だって出会った頃は、痩せっぽちで何の特徴もない選手だったんですよ。今後この調子でハードにトレーニングすれば、ハーンズの全盛期と同じレベルまでいけるのではないかと思っています」

 と述べ、さらにカマチョとの試合をこう予想した。

 「カマチョは“アニマル”という感じのファイターですから打ち合いになるでしょう。私としてはあまりダメージを受けないように躱(かわ)させたいんですが、今の彼にディフェンスを教えるのはまだ厳しい。あれもこれも一度には身につきませんからね。今回はインファイトを制して、オスカーが勝つでしょう。できればKOでと思っていますが、判定になるかな…」

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 実際目の前で行われている試合展開は、エマニュエルの言葉通りだった。特筆すべき点は、オスカーが一つ一つ考えながら試合を組みたてているということだった。彼は、カマチョの顎へアッパーを狙っていた。序盤に数回その攻撃を試みて失敗すると、それ以降、ボディへと的を絞り直した。

 再三ボディへの左フックがカマチョを襲う。デラホーヤは、とにかくしつこくボディにダメージを与えた。そして、カマチョの動きを止めたところで、アッパーから連打。その一連の流れが、第9ラウンドのダウンへと結びついた。

 これほどしたたかなデラホーヤは、かつては見られなかった。以前の彼なら、ただ闇雲に前進し、大振りのフックを空振りして、判定勝ちで試合終了のゴングを聞いていたに違いない。

 ところが、この日のゴールデンボーイは、勝負するラウンドと、伏線となるラウンドを作り分けるクレバーさを身につけていた。エマニュエルの指導抜きでは考えられない進歩だった。

 ダウン後も、ダメージの残るカマチョは、クリンチを繰り返し、何とか粘る。ノックアウト寸前まで追い込んだデラホーヤだったが、終盤は一発を狙ってやや大振りになった。しかし、その成長ぶりには、目を見張らされた。

 エマニュエルはデラホーヤを、かつて育てたハーンズのレベルまで到達できる素材だと言った。この言葉を聞いた時、私は過大評価だと思った。だが、試合を見終わった今、ひょっとしたら…、という希望を含んだ気持ちに変わりつつある。

「カマチョ戦が終り次第、ディフェンスを磨きます。今の彼は腕を伸ばしてバックステップするだけ。あれでは防御とは呼べません。今後重いクラスの選手を相手にしていくことになるでしょうし、打たせないで打つスタイルを身につけさせたい」。

 エマニュエルはさらにゴールデンボーイがパワーアップするようにと、次のメニューを考えている。オスカーの最終的な目標である6階級制覇、ミドル級のベルトを手に入れるための青写真は既に出来上がっているという。百戦錬磨のトレーナーと共に、さらに大きくなって欲しいものである。

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 キャンプを取材した夜、私はデラホーヤ兄弟とエマニュエルと共にプールバーへ出向いた。チャンプは黒いポロシャツにジーンズ、NIKEのシューズを履いて、キューを握った。その表情は数時間前に唸り声を上げてミットを叩いていた、修羅のような彼とは全くの別人だった。

 減量中のゴールデンボーイは、時々水を啜(すす)りながら、笑顔で球を突き続けた。相変わらずファンの求めるサインは拒まず、レシートのような紙切れを突き出されてもイヤがることなく、丁寧に応えていた。

 そんなチャーミングな24歳の素顔を持つ彼が、一度リングに上がると獰猛な獣へと変身する。そのファイティングスピリッツこそ、特に才能に恵まれているわけでもない一人の選手を、ボクシング界の主役へと作り上げているのだった。

 「来年の3月には日本でファイトすることになると思います。早く日本に行ってみたいんです。もう待てない、って感じ。その時は、いろいろヨロシク」

 デラホーヤは私にもこんな調子で話した。

 「エマニュエルのアドバイスはどう?」と尋ねると、

 「ベリーグー。とても知識が豊富で、的確なんですよ。自分が強くなっているのがよくわかるんです」と答えた。

 '80年代、ボクシング界は中量級の時代だった。ハーンズの他に、マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュランといった歴史に名を刻むチャンピオンたちが事実上のリーグ戦を繰り広げた。

 その頃も当事者として、闘いの舞台にいたエマニュエルの手で、再び中量級に活気が蘇ろうとしている。

 デラホーヤの今後の対戦相手としては、現WBCジュニアミドル級王者のテリー・ノリス、前チャンピオンのパーネル・ウィティカー、また、IBF同級王者のフェリックス・トリニダードなどのビッグネームが挙げられている。

 デラホーヤとの別れの際、「一番得意なパンチは?」と聞くと、「ブン」という声と共に左フックを見せてくれた。そして「また会いましょう」と言いながらシャドウボクシングを行ってみせた。それに対して私もシャドウで別れの挨拶をした。

 ゴールデンボーイの物語は、まだ始まったばかりである。

(※初出 月刊PLAYBOY 1997年12月号)

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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