村田vsエンダム以上の不可解判定
「あれは村田が勝っていた。酷い判定だと思う」
私の周囲にいる多くのボクシング関係者も、およそ1カ月前の村田諒太vsアッサン・エンダム戦についてそう語る。
が、個人的には、それほど衝撃的なミステリアス判定とも感じなかった。
鬼塚勝也vsタノムサク・シスボーベーは、間違いなくホームタウン・ディジョンであり、勝者の筈だったタノムサクがチャンピオンになれなかった。
それ以上に私が不可解な判定だと感じたのは、1997年4月12日にラスベガスで催されたWBCウエルター級タイトルマッチ、パーネル・ウィティカーvsオスカー・デラホーヤ戦である。
チャンピオン、ウィティカーは、ディフェンスマスターでデラホーヤのパンチをことごとく躱した。クリーンヒットもウィティカーの方が多かった。私はウィティカーが判定勝ちでタイトルを防衛したと思った。しかし、3-0で新王者が誕生した。
試合後、ウィティカーをキャンプ地でインタビューした際、前王者は「何故あれで俺の負けなんだよ」と苦笑いを浮かべながら語った。その様は諦念を伝えていた。
このファイトもかなりの物議を醸したが、開催地の地元紙である「Las Vegas Review-Journal」 が記者席にいた取材陣に訊ね回ったところ、14名がウィティカーの勝利を主張し、11名がデラホーヤの勝ちを唱え、1名がドローと言った。
同ファイトから私が学んだのは、空振りし続けても手を出す姿勢を貫き、攻めなければポイントは奪えないということである。
エンダム戦の村田は、“HOMEの戦い”をしたと言えまいか? ならば今後、AWAYでも勝てるようなスタイルにしなければいけない。
因みに、ウィティカーvsデラホーヤ戦は、チャンピオンだったウィティカーに600万ドル、挑戦者デラホーヤには1000万ドルが保障された。その時点でウィティカーは、政治的なものを感じ取る必要があったのだ。
本コーナーで過去にも記したが、エンダムというファイターは本場・米国で価値のある選手とされていない。言わば2流王者である。村田が再戦するのであれば、圧倒的な内容で一蹴しなければ次には続かない。同級最強のゲンナジー・ゴロフキンとエンダムでは、雲泥の差があるのだ。