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長友佑都に挑む! 左サイドバック

林壮一ノンフィクションライター
爽やかな笑顔。高瀬選手は間も無く中大商学部を卒業する

「連戦の疲れが出ていたのかもしれませんね」 

中央大の白須真介監督は、試合後、そう語った。

第87回関東大学サッカーリーグ17節、中央大学は1-3で明治大学に敗れた。自軍のストロングポイントと呼べる左サイドからのクロスボールで先制点を許し、最後までリズムに乗れなかった。中央大の左サイドバック、高瀬優孝は「自分のミスが敗因です」と肩を落とした。彼は来季、大宮アルディージャに入団する。だが、この日は納得いくプレーができなかった。

「そんなんで大宮で通じるのかよ!」

応援席のOBからは何度かそんな罵声が飛んだ。

「気持ちを切り替えて、早く前を向かないと」。

高瀬は自分に言い聞かせるかのように話した。その言葉を聞きながら、プロになる選手だけあって、悔しさを糧に出来る男なのだという印象を持った。

1991年11月25日、高瀬は埼玉県旧大宮市で生を享けた。幼稚園児だった4歳の頃からサッカーボールを蹴っている。小学3~4年生時にはオレンジ色のユニフォームを着て、アルディージャのスクールにも通った。来春、彼は<地元から生まれたプロ選手>として大宮ファンの熱い視線を浴びるだろう。

「偶然ですが、僕の所属チーム(埼玉栄高校、中央大学、アルディージャ)のカラーは、いつもオレンジなんです。いつの間にか、大好きな色になっていました」

小学校低学年の頃、高瀬は地元の少年団に所属していた。しかし、週末だけの練習が物足りなくなる。3年生になると、アルディージャを含めたサッカースクールをハシゴした。 

「あの頃は、毎日、リフティングばかりやっていましたね。4年生くらいで1000回できるようになりました。物凄く練習しましたよ」 

4年生にして柏レイソルジュニアのセレクションに合格。300名あまりの受験者に対して合格者が6名という狭き門であった。以後、片道1時間半かけて、柏の練習場に通う。千葉県のトレセン選手にも選出された。 

「でも、ジュニアユースは自宅から近い浦和レッズを選びました。プロを意識してという訳ではなく、目の前のことを必死でこなす日々でした。中学時代は、個人練習に費やす時間よりも、毎日の練習でクタクタになっていた覚えがあります」 

ところが、レッズのユースには昇格できなかった。そんな彼に声を掛けたのが、同連載の前々回で紹介したセルヒオ・エスクデロである。エスクデロが監督を務めていた埼玉栄高に入学すると1年生の夏から1軍に抜擢される。スピードのあるレフティとして、攻撃陣の中心となった。1年時は全国高校サッカー選手権大会でベスト16、国体5位。2年時もインターハイのベスト16に進み、大会優秀選手となる。

「エスクデロさんの教え方はとても良かったです。チーム全員を伸ばしてくれました。僕はフィジカルコンタクトを嫌うタイプでしたが、アルゼンチン仕込みの闘争心を叩き込まれ、闘える選手になれたと思います。全体練習のほかに、テーマを決めた自主練習を重ねましたね。高校時代に力を入れたのはシュートです。居残り練習で、とにかくシュート力に磨きをかけました」 

高瀬は自分がプロになれた理由を「テーマを決めた努力を続けたこと」と言う。 

「大学入学後はボールを止めて、蹴る、という基本の繰り返しです。レギュラーになったのは2年生の時で、サイドバックにコンバートされました」 

入学直後、2軍選手だった頃から高瀬は抜群の走力を発揮して指導者や先輩たちの度肝を抜く。加えて左利きのサイドバックは稀少である。1年生の終わりには、早くもJリーグ関係者の目に留まるようになった。とはいえ、2年時の12月、全日本学生選抜の選考会中に右膝の十字靭帯を断裂。1月に手術を受け、10月までリハビリをこなせねばならなかった。

「高校時代にも腰の分離症に悩まされ、半年くらい棒に振ったことがあるんです。負けてたまるかと、体幹を鍛えました。十字靭帯の時も一日も早く復帰してやる、と前だけを見詰めましたね。あの体験が、僕を強くしたと思います」

怪我を克服した彼の元に最初に届いたオファーが、大宮アルディージャからのものだった。高瀬は即、入団を決める。 

「左サイドバックの理想は、やはり長友佑都さんです。ダッシュ力、体幹の強さ、スタミナ、クロスの精度と本当に素晴らしいです。彼は努力の男でもありますよね。この世界は、努力した者が勝つと常々感じています。僕も長友さんに負けないくらいハードに取り組んで、日本代表左サイドバックの座を奪いたい。ああいう攻撃力、世界を相手にしても堂々と渡り合えるプレーを身につけたい。そして、ロシアワールドカップに出場することが夢です」  

長友佑都と高瀬優孝は、ポジション、体つき、走力のほかにも共通点がある。「文武両道」に挑んでいる点だ。共に、人の倍、3倍の練習をこなしながら、「サッカーしか知らない人間ではいけない」と、学業を疎かにしなかった。両者は頭脳で大学に進学している。指定校推薦を得た長友に対し、高瀬はサッカー部唯一、進学コースに籍を置く生徒であった。彼らは自分を律することを理解しているのだ。

「嫌なことから逃げるようなタイプの選手は、必ずピッチで精神面の弱さを露出します。だからこそ、勉強もきちんとやって来ました」

長友の母校、明治大学との試合の日、メディア受付には2人の中央大3年生が座っていた。彼らにとって1つ上の先輩である高瀬の印象を尋ねると、「とにかく人間性が素晴らしいです」との回答であった。高校時代の恩師であるエスクデロも、高瀬が伸びた要因のひとつとして「サッカーに対する姿勢」と「他者の話を聞く耳を持った人柄」を挙げている。

来季、アルディージャ・オレンジのユニフォームを着る左サイドバックが、目標である長友にどう挑んでいくかに期待したい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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