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4月2~5日「表現の不自由展・東京」開催に街宣予告など緊張も。いったい何が問われているのか

篠田博之月刊『創』編集長
3月25日の会見(筆者撮影)

 昨年、激しい街宣抗議で中止に追い込まれた「表現の不自由展・東京」が2022年4月2~5日に東京・国立市で開催される。

 実行委員会が3月25日の会見で発表したのだが、その報道がなされたのを受けて、ネットには電凸などの抗議を呼びかける声が上がっている。なかには国立市に抗議に行ったという書き込みもある。開催期間も初日から街宣を行うことを予告している動きもあるので、会場周辺がある程度の緊張状態になることは避けられないかもしれない。

昨年の東京・名古屋・大阪の経緯

 昨年は東京が中止、名古屋も途中で中止、大阪は無事開催されたのだが、大阪の場合も開催期間中、会場への街宣抗議は行われた。連日、激しい怒声による街宣で、東京の場合は、会場が民間のギャラリーだったため、持ち主の心労が重なって開催不可能となった。ギャラリーは会場貸与に協力的で展示に理解を示してくれていたというが、住宅街に激しい街宣をかけられ追い詰められてしまったのだった。

 昨年7月6日から一時は開催された「表現の不自由展・名古屋」も、爆竹のようなものが会場に送りつけられたため途中で中止に追い込まれた。東京も名古屋も、表現や美術展が暴力的に中止されたままでは、それが実績となって今後ますます表現活動が萎縮していくという、そのことを恐れたのだろう。東京は1年間かけて開催準備にこぎつけたし、名古屋も主催した「表現の不自由展・その後をつなげる愛知の会」は、昨年の「失われた4日間」を取り戻すために、今回の東京に続いて再度の開催を準備中だという。

 ちなみに昨年7月17~19日に大阪で開催された「表現の不自由展かんさい」は、警察の警備もあって期間中の妨害ははねのけることができたのだが、開催前、一時はどうなるか危ぶまれた局面もあった。会場側が使用を取り消す動きに出たのだが、開催側が裁判所に仮処分を申請、裁判所が使用承認取り消しの効力停止を決定し、最高裁まで争った結果、使用が可能になった経緯があった。

2021年の「表現の不自由展かんさい」会場前で市民が妨害に抗議(筆者撮影)
2021年の「表現の不自由展かんさい」会場前で市民が妨害に抗議(筆者撮影)

 公共施設の場合は、これまでも使用取り消しになっても裁判所に仮処分を申請すれば使用が認められることが多かった。有名な例は月刊『創』(つくる)で何度も取り上げた、渡辺文樹監督の映画で、「天皇伝説」など天皇タブーに真っ向から挑戦した映画は、毎回上映に対して右翼団体が激しい街宣を展開。会場側が使用中止にするのだが、毎回、監督は裁判所に仮処分を申請。裁判所が使用を求める決定を出して開催するというパターンが続いていた。日本の裁判所は問題点は多いのだが、「表現の自由」など憲法判断がからむ時には、それなりにまっとうな判断を行う。そのくらいは司法もまだ機能しているわけだ。

 ちなみに昨年の東京展中止の経緯や大阪での開催をめぐってはヤフーニュースに書いた下記記事を参照してほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210614-00242866

「表現の不自由展」が激しい街宣攻撃で会場変更、実行委が会見で「開催続行宣言」

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210718-00248590

「表現の不自由展かんさい」緊迫の中で無事開催!この持つ意味はかなり大きい

公共施設の持つ意味を改めて考えようという提案

 今回、「表現の不自由展・東京」の実行委員会は、昨年の大阪の例などを参考にしながら開催可能な施設をいろいろあたった結果、結局、公共施設を選択することに決め、国立市の「くにたち市民芸術小ホール」に行きついたのだった。

 3月25日の会見で共同代表が経緯を説明したのだが、会場探しの過程で、市民にとっての公共施設の意味を再認識したという。

「昨年の大阪の事例を見ていて感じたのですが、会場となったエル大阪は地域の人たちにとって重要な公共施設なのですね。東京では90年代から日本軍慰安婦問題や天皇制・靖国問題などのテーマで集会の会場を借りるのが大変難しくなってしまいました。公共施設は本来、市民のものであるべきで、市民が守っていかなければいけないのです」

 実行委が着目したのは、国立市には「国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例」があって差別や暴力に反対するとうたっていた点だった。「これは私たちが『表現の不自由展』を開催するのにふさわしい場所だと思いました」という。

2021年「表現の不自由展かんさい」マスコミ内覧会で取材が集中する少女像(筆者撮影)
2021年「表現の不自由展かんさい」マスコミ内覧会で取材が集中する少女像(筆者撮影)

 確かにこの10年ほど、慰安婦や天皇制といったテーマはもちろん、憲法を考えるといったテーマでも、1~2本抗議の電話があったりすると会場側が萎縮して使用を断ったり、ひどい場合は講演会が中止になってしまう事例もある。日本の民主主義はそこまで危うくなっているのだが、市民が自由に集会を開けないというこの状況や、その中での公共施設の本来の役割については改めて考えてみる必要があるだろう。

 公共施設の持つ意味を改めて考えてみたいという実行委の問題提起は、意味が大きいと思う。

 もともと「表現の不自由展」は、そういう状況下で排除されたり潰されたりした展示を集めて「表現の不自由」について考え議論するために企画されたものだ。しかし、そういう企画自体が潰されるという現実が、あいちトリエンナーレでの展示が3日で一時中止になったことでもわかるように、続いているのが実態だ。

国立市との交渉、市民の「実現する会」結成

 今回の開催をめぐる報道はそれほど詳細にわたっていないので、この1年近くどういう経緯があったかほとんど明らかにされていない。そこでここでは会見で話された内容を少し詳しく紹介しよう。

 実行委は昨年9月28日に「くにたち市民芸術小ホール」に申し込み手続きを行ったのだが、1週間ほどして館長から電話があり、面談要請がなされた。実行委は「あ、来たか、と思いました」という。

 10月20日に弁護士同行のうえで行ってみると、まず「私たちが貸したくなくても貸さないといけないのですよね」と言われ、続いて「大阪のことも調べました」と言われたという。その時、「大阪の裁判所の判決はこうしてほかの行政にも生きるのだなと思った」そうだ。

 その後も何度か、実行委側と行政側の話し合いが行われた。今年3月7日には国立市長・副市長連名の文書回答を受け取り、この件が国立市としての対応になっていることを認識したという。

 そうした過程で、昨年、脅迫メールが届いて被害届を出した件で、容疑者が逮捕され、罰金刑を受けたことが警察から報告された。これも今後、脅迫への抑止力になればと考えたという。

 もうひとつ重要なことは、実行委として何とか地元市民の協力を得られないかと考えていたが、10月に「芸術展開催を実現する会」が作られたということだ。その後は実行委員会と地元のグループと合同で会議を行うようになったという。

 この10年ほど映画や集会が「反日」というレッテルを貼られて激しい妨害にあう事例は少なくないのだが、そういう時に市民や弁護士がサポートを行うような形ができるかどうかはかなり重要だ。そういう事例で市民がボランティアでサポートするという経験も積み重なって様々なケースで市民のグループができている。

 例えば2019年、慰安婦問題をテーマにした映画『沈黙 立ち上がる慰安婦』が激しい右翼からの上映妨害を受けた時にも、市民ボランティアが会場の警備にあたるなどサポートを行った。

『創』が深く関わった『ザ・コーヴ』上映中止騒動の時にも、横浜や京都などで市民グループが結成され、映画館にネトウヨグループが押し掛けた時には手製のプラカードを掲げて市民が対峙した。

 昨年の「表現の不自由展かんさい」でも、写真に掲げたように、ヘイトスピーチに抗議してきた市民らが会場前でプラカードを掲げるなど対峙している。

「表現の不自由展」の名古屋の主催団体は、あいちトリエンナーレ事件の時に声をあげた地元の市民グループだ。

 内容の批判は自由だが、上映を暴力で押しつぶそうという動きには反対だという人たちが声をあげたのである。

 今回の国立市での開催も、地元市民に開催を支援しようという動きが出ていることはすごく貴重なことだ。国立市はもともとリベラルな市民運動が続いてきた街で、かつて君が代日の丸問題でも活発な市民運動が起きたことがある。ぜひ今回の「表現の不自由展」開催を機に、地元でも「表現の自由」について考える気運が盛り上がってほしいと思う。

開催できるかどうかは日本の民主主義の行方を占う試金石だ

 実行委の発表によると、会期中は実行委と「実現する会」のほかにボランティアスタッフが延べ240名、監視の弁護士延べ60名と、総勢300名以上が受付業務や会場を守る活動を行うという。

 出品作家は16組だ。弁護士費用を含めた費用をまかなうためにクラウドファンディングを行っており、3月30日時点で158人の支援が寄せられ約130万円が集まったという。

 警備の問題もあって、4月2~5日の4日間の期日中は入れ替え制にしてオンライン完全予約。当日券は発行しないそうだ。

 応援メッセージも様々な人から寄せられているようだ。ピーター・バラカンさん、法政大前学長の田中優子さん、映画作家の想田和弘さんなどのほか、映画『主戦場』のミキ・デザキ監督や映画『共犯者たち』の崔承浩監督などからも寄せられているという。3月25日時点で約80名と報告されたが、その後も映画監督・作家の森達也さんなどからメッセージが届き、順次、下記サイトにアップしているようだ。私も早い時点で応援メッセージを送っている。

 そういう動きについては「表現の不自由展」の公式ホームページなどで確認できる。

https://fujiyuten.com/

 この後、開催へ向けていろいろな動きがあるのが予想できるが、こういうものが無事に開催できるかどうかは、日本における「表現の自由」や民主主義がいまどういう状態なのか判断するひとつの指標といえよう。

 平和の少女像や昭和天皇を描いた版画なども展示されるから、いろいろな意見があるのは当然だし、批判は自由だ。しかし、表現や展示を暴力によってつぶしてしまえというのには賛同できない。この機会に改めて「表現の自由」について議論できればよいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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