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寝屋川事件・山田浩二死刑囚の二度目の死刑確定と獄中結婚を伝える手紙

篠田博之月刊『創』編集長
水海浩二名義の山田浩二死刑囚からの手紙(筆者撮影)

再び「死刑確定」という重たい現実

 私は宮崎勤元死刑囚(既に執行)や植松聖死刑囚など死刑囚との付き合いは多い方だと思うが、凶悪犯と言われるような死刑囚であっても、死刑確定や死刑執行という事態にはそのつど、重たい気分にならざるをえない。

 その点では11月26日に大阪高裁がくだした決定についても同様だ。実際には決定によって死刑が確定しても接見禁止になるまでには数日の事務手続きがあって、その間は接見が可能なのだが、間もなく寝屋川事件の山田(旧姓)浩二死刑囚は接見禁止となり死刑確定者の処遇になると思われる。

 本当なら接見禁止がつくまでの間に大阪拘置所に駆け付けて「今生の別れ」をすべきかもしれないし、実際、2019年の控訴取り下げの時も、2020年3月末の二度目の控訴取り下げの時も私はそうしてきた。ただ今回は超多忙であるうえにコロナ禍で長距離移動の自粛勧告が出ていることもあって、そうもいかない状況だ。幸い、この2~3年の山田死刑囚との関わりの中で、彼の戸籍上の家族との関わりもできたので、今後接見禁止がついても、その消息をたどることが可能なのは一縷の望みと言ってよいかもしれない。

高裁決定直前に山田死刑囚から届いた手紙

 多くの死刑囚と同じく、山田死刑囚もマスコミ不信が根強いのだが、月刊『創』(つくる)とは関係を保ち、毎月のように近況を書いた手紙を送ってきていた。そして実は今回の高裁決定が出る直前にも手紙をもらっていた。手紙には獄中手記が同封されており、彼はそれを12月発売の月刊『創』1月号に載せて欲しいと言ってきたのだった。しかし、残念ながら締切との関係でそれはかなわず、私はその全文をヤフーニュースに公開することにした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7341b22ff18a0b372e95c9f0033493aed38806c4?page=1

大阪高裁決定で再び死刑確定の寝屋川事件・山田浩二死刑囚の獄中手記

 山田死刑囚は2019年5月に最初の控訴取り下げを行ったのだが、刑務官と激しい口論になってパニックに陥った状態で取り下げたため、何の準備もしないまま接見禁止になってしまった。つまり、それまで付き合いのあった友人知人に、死刑が確定してしまうことを知らせる手段をも奪われてしまったのだった。しかも、接見禁止になって、特定の関係者しか面会も手紙のやりとりもできなくなったことはかなりの精神的苦痛を伴ったようだ。

 異例なことに山田死刑囚が代理人弁護士を通じて行った控訴取り下げ無効申し立ては大阪高裁に認められ、2019年12月17日の決定によって、彼は再び死刑確定者から未決の処遇に戻り、私とも面会・通信が可能になった。そして外部とのやりとりができるようになった間に、彼はいろいろな今後への備えを行った。

 そのひとつが養子縁組と獄中結婚だ。2020年9月に養子縁組が成立、さらに10月にはある女性と獄中結婚して、現在は山田浩二でなく水海浩二になった。今回の決定書も被告人として「山田浩二(現在の氏名水海浩二)」と書かれている。

 今回送ってきた手紙というか手記は、そのことを世間に公表しようと考えてのものだ。実は彼はその前にも養子縁組をして上田浩二になっていたのを解消するという経緯があったのだが、そうした複雑な経緯を経て、今後、上田浩二や山田浩二では接見しようとしても拘置所側が許可しないという事態を恐れたようだ。そこで、この間の養子縁組や結婚の経緯を公表して、知人らに伝えようと考えたようだ。

 ただ奇しくもそれを公表するという、まさにそのタイミングで大阪高裁の決定が出され、彼は接見禁止になってしまうことになった。

大阪高裁決定を伝える新聞記事(筆者撮影)
大阪高裁決定を伝える新聞記事(筆者撮影)

 二度にわたる控訴取り下げ、二度にわたる死刑確定と、この経緯は異例づくめだ。しかも中学生男女が殺害された寝屋川事件は社会的注目の大きい事件だけに、この間の経緯にはマスコミも関心を寄せている。11月26日の決定は、東京でも新聞各紙が比較的大きな記事で報道したのだった。

 この極めて異例な1年間の経緯については、ヤフーニュースに何度も書いてきたので、ご存知ない方はそちらを読んでいただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200716-00188392/

寝屋川事件・山田浩二被告は再び死刑確定者になってしまうのかー本人から届いた手紙

(2020年7月16日執筆)

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200519-00179275/

「やっぱ無理す」死刑台へのボタンを二度押した寝屋川事件・山田被告「控訴取り下げ」の真相(同5月19日執筆)

今回の大阪高裁決定には私への手紙もかなり言及されていた

 今回大阪高裁がくだした決定主文には、「再度提出された控訴取下書による取下げを有効と認め、本件控訴がこれをもって終了した旨を宣言し、これに伴って必要な決定をするものである」と書かれている。決定理由の中では「本件取下げが、被告人にとって2度目の控訴取下げであることは軽視できない」と書かれているから、やはり二度にわたって控訴取り下げが行われたという事実を裁判所は重く判断したようだ。

 決定書を読んでいて複雑な気持ちになったのは、山田死刑囚が私にあてた手紙のコピーを拘置所から全て提出させたようで、かなり詳しい検討がなされていることだ。前述した私の5月19日付の記事で紹介した「やっぱ無理す」という山田死刑囚からの手紙など、詳しく引用もされている。

 これまでも書いてきたように、山田死刑囚は、二度目の控訴取り下げについて私に何度か心境を書き送っており、もちろん私はその都度、控訴取り下げは絶対にやめてほしいと訴えた。彼の心情も大きく揺れ動いてきており、そうした変遷の中で、どの局面のどの手紙を採用するかで印象はかなり異なる。最終的には彼は、3月24日に二度目の控訴取り下げをしてしまい、仰天した私は3月30日に駆け付けたのだが、既にその時点では弁護士の叱責を受け、彼は取り下げを激しく後悔していた。そしてそのうえで書いたのが、私が7月16日の記事に書いた手紙だ。

 ただ残念なことに、今回の決定では、そうした揺れ動く山田死刑囚の手紙の中から、特定の部分を抜き出して、本人もそれが意味するところを理解したうえで控訴取り下げを行ったという結論を導いていた。

今回の決定で寝屋川事件の真相解明は閉ざされてしまった

 もともと一度死刑が確定したのを元に戻すというこの間の経緯については、法的に見てどうなのかという観点から、検察と弁護側で激しい攻防が展開されてきた。そのうえで裁判所が、取り下げが二度行われたという事実を重視して、今回の決定をくだしたのだった。死刑確定をめぐるこの応酬については、大事な問題を含んでいるので、ぜひ法律の専門家に議論してほしいし、これまで死刑廃止運動に取り組んできた安田好弘弁護士と私とでその問題について行った対談が月刊『創』9月号に掲載されたので参照いただきたい。

 法的には難しい問題をはらんでいるし、死刑判決の控訴取り下げがこんなに簡単になされてしまう現状はこれでよいのかという問題提起もなされている。ただ私が今回の決定書を読んで残念なのは、控訴審が開かれないまま死刑が確定してしまうことによって、寝屋川事件の真相は結局、闇に葬られてしまうという現実だ。あれほど多くの人が涙を流した悲惨な事件の真相が解明されないままで本当に良いのだろうか。そのことを裁判所は考えてほしかった。山田死刑囚本人も、裁判をここで終わらせてしまうことには反対しているのだから、ここは手続きが正当かどうかという議論以前に、裁判で真相を究明するという、その重たい使命を考えてほしかった。

 今回の決定に対しても弁護側は異議申し立てをしているようだから法的に最終決着ではないのだが、寝屋川事件は今回の決定によって重大な局面を迎えることになった。

 死刑制度のあり方にも関わる大きな問題を提起したこの経緯や、山田死刑囚本人の心情などについては、今後も可能な限り伝えていこうと思う。

 また、死刑確定によって死刑囚を接見禁止にし、社会から隔絶してしまうというあり方にも、以前から様々な批判がなされているが、これについても多くの人に考えて欲しい。法的には「心情の安定」のためとされているのだが、死刑確定者が最も恐怖を覚えるのは誰とも話をしない日々が続き、いつ死刑が執行されるか当日の朝にならないとわからないというその状況で、心情の安定どころか実態はその逆だ。冤罪の袴田巌さんも精神的に不安定になったのは死刑確定後のことだ。死刑執行に怯える毎日であれば、知人との面会を許可する方が「心情の安定」に役立つのは明らかなのに、これについても今の死刑制度を見直す必要があると思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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