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寝屋川事件・山田浩二被告は再び死刑確定者になってしまうのかー本人から届いた手紙

篠田博之月刊『創』編集長
山田浩二被告から届いた手紙(筆者撮影)

最高裁決定を受け取った本人も戸惑った

 経過がややこしくてわかりにくいのが寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告の死刑判決控訴取り下げ問題だ。関西の新聞などを中心にマスコミも随時経過を報道してはいるが、読者もわかりにくいに違いない。

 月刊『創』8月号に山田被告本人が手記を掲載しており、ヤフーニュース雑誌に全文公開した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb44417f5fd2b6e9ae8e4a00fa86df9ac81ee752

 寝屋川事件被告獄中手記!2つの控訴取り下げの行方は 山田浩二

 

 その解説にも書いたが、6月17日に最高裁決定が出され、18日午後に山田被告本人の手元に届いた。でも法律的な説明に本人も意味が分からず、「これは僕にとって良い決定?悪い決定?」とわざわざ手紙で聞いてきた。決定を受けた本人に意味が伝わらないというのは何なのか、もう少し裁判所も考えてほしいと思うのだが(苦笑)。

 「良い決定」か「悪い決定」かといえば、実は山田被告本人にとっては「悪い決定」だ。次の差し戻し審の結果によっては、彼は再び死刑確定者の身分に戻ってしまう怖れもある。

 一連の経緯は、死刑制度をめぐる大きな問題を提起しているように思う。山田被告は二度にわたって控訴取り下げをしたのだが、取り下げは死刑を確定させることを意味する。いわば自分から死刑台へのボタンを押す行為なのだ。

 この3月末、相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚も自ら控訴を取り下げて死刑を確定させた。こんなふうに控訴取り下げが死刑事件で増えていくことを、これまで司法システムは想定していなかったのではないかと思う。寝屋川事件も相模原事件も1審では事件が解明されたとは全く言い難い。被告の控訴取り下げによって控訴審は開かれないことになり、真相は闇に葬られたままになるのだ。

 そういう死刑判決を受けた被告が控訴を取り下げて死刑を確定させてしまう事例について、これまで死刑廃止運動を牽引してきた安田好弘弁護士らと議論しようというのが7月18日(土)午後に行われる「死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90」の集会「相模原事件・寝屋川事件から頻発する上訴取り下げを考える」だ。

 リアル集会ではあるが、コロナ禍を意識してオンライン配信も行う。

http://forum90.jp/event/archives/32

山田被告本人から控訴取り下げの真意を訴える手紙が

 今その準備で忙しいのだが、7月16日に山田被告本人から速達が届いた。送った『創』に集会の案内が載っているのを見て、急遽手紙を書いたらしい。よかったら集会でぜひ訴えてほしいという思いを書いてきたのだ。

 かいつまんで言うと、自分が控訴を取り下げたのは、死刑になってもいいとかそういうことではない、自分はあくまでも裁判を再開させるのが願いなのだ、それをぜひ多くの人に伝えて欲しいという趣旨だ。何しろ二度も控訴を取り下げているだけに、その報道だけを見ている人からすれば、「死刑を望んでいる」と思われかねない。それが無念なのでぜひ真実を知らせてほしい、というのだ。

 そもそも自分の死刑がかかっている事案で二度も自ら控訴取り下げを行ってしまうこと自体、前代未聞なのだが、それを含めて、山田被告の控訴取り下げ問題はとにかくややこしくてわかりにくい。でも、本人がどこまでそうしたことを考えて行動しているかはともかく、結果的に一連の経緯が、裁判のあり方をめぐって大きな問題を提起しているのは確かだ。

 ぜひ関心のある方には、集会をオンラインでもよいから見てほしいが、ここでは、そのややこしい経過を簡単にまとめておこうと思う。

 相模原事件も1審での審理に対しては、真相がほとんど明らかにならなかった、として多くの人が批判している。裁判とは、被告人を処罰することだけでなく、事件を解明して社会が予防策を講じるという大事な使命がある。控訴取り下げで真相が十分解明されていないのに幕引きをされてしまう。それでよいのかという疑問は拭えない。

二度の控訴取り下げをめぐる複雑怪奇な経緯

 経過を簡単に書いておくと、2015年夏に起きた寝屋川の中学生男女殺害事件で逮捕された山田被告に1審で死刑判決が出されたのは2018年12月だった。その控訴審が開かれる前の2019年5月、突然、山田被告が控訴を取り下げた。5月18日、貸与されたボールペンの返却をめぐって刑務官と口論になり、パニックになって取り下げ書類を提出してしまったのだという。

 5月21日、それが新聞で報じられたのを見て私も驚き、急遽5月23日と24日に接見した。そして本人が激しく後悔していたため、取り下げ無効の申し立てを勧めた。申し立ては5月30日に行われた。しかし、山田被告は死刑が確定し、接見が禁止された。

 無効申し立てについて当初、多くの法曹関係者は、確定した死刑判決を覆すのは無理だという見方が多かった。しかし、12月17日、高裁が出した決定は、「直ちに判決を確定させることには強い違和感とためらいを覚える」として、山田被告の申し出を認めるという決定だった。

 検察は最高裁に抗告を行うとともに、異議申し立てを高裁に行った。特別抗告については最高裁が2020年2月25日に棄却。異議申し立てについては、3月に大阪高裁第1刑事部が第6刑事部に審理を差し戻した。弁護側が抗告を行ったが、それが今回、棄却になったわけだ。

 その控訴取り下げをめぐる攻防が続いている過程で、3月24日、山田被告が二度目の控訴取り下げを行うという仰天の事態に至ったのだが、いずれにせよ2019年12月17日の高裁決定についてこれからもう一度審理のやり直しが行われるわけだ。

 裁判のあり方に関わる問題を提起しているこの経緯、18日に集会に向けて作成した資料の年表を以下、掲載しておこう。

2015年8月13日未明、寝屋川市駅前のアーケードの防犯カメラに映っていた男女中学生が行方不明になり、昼近く、女子が遺体で発見。捜索により8月21日、男子も遺体で発見。同日夜、山田浩二容疑者を死体遺棄容疑で逮捕。

2018年11月1日大阪地裁で初公判。

  12月19日死刑判決。弁護側は即日控訴。山田被告、『創』4月号から獄中手記を掲載。

2019年5月18日山田被告が控訴を取り下げ。貸与されたボールペンの返却をめぐって刑務官と口論になり、パニックになって取り下げ書類を提出。死刑判決が確定。

  5月21日、控訴取り下げについて新聞報道。

  5月23・24日篠田が接見。山田被告は控訴取り下げを激しく後悔しており、取り下げ無効申し立てを薦め、本人も同意。

  5月27日 弁護人が接見し、控訴取り下げ無効申し立てについて協議。

  5月28日 接見禁止。死刑確定者の処遇に。以後、キリスト教関係者と弁護士・家族以外は接触不可能になる。

  5月30日 弁護人が控訴取り下げ無効申し立て

  12月17日大阪高裁第6刑事部が「直ちに判決を確定させることには強い違和感とためらいを覚える」として、控訴取り下げを無効とする決定。

  12月20日大阪高検が最高裁に特別抗告、および大阪高裁に異議申し立て。

2020年2月25日最高裁が検察側の特別抗告を棄却。

  3月16日大阪高裁第1刑事部が第6刑事部の決定を取り消し、審理を差し戻し。

  3月18日 篠田宛の手紙を書き、19日に投函直前、欄外に取り下げを書き込み。《やっぱ大拘刑務官の嫌がらせに耐えられそうにありません。近日中に控訴取り下げて嫌がらせから解放されます。刑務官のことを呪いながら処刑場へ連行されて逝きます。さよなら》

《3月19日「木」朝筆。発信前に書く。やっぱ無理す。新棟6階主任担当と書信係許せない。身辺整理終了次第控訴取り下げる。それが命をかけた大阪拘置所への復讐。ごめんなさい。一晩寝ずに考えた結果です。理由もない手紙のやり取りの制限嫌がらせイジメに耐えられません。》

  3月23日 大阪高裁の差し戻し決定に対して弁護側が最高裁に特別抗告。

  3月24日 山田被告が二度目の控訴取り下げ。心情を書いた手紙が篠田のもとへ28日着。(『創』7月号に手記として掲載)。

  3月30日 篠田が接見。同日、相模原事件の植松聖被告も控訴取り下げ(篠田が朝一で植松被告を説得し、その足で大阪拘置所へ)

  5月13日 二度目の控訴取り下げについても弁護人が取り下げ無効の申し立て。

  6月17日 最高裁が弁護側の特別抗告を棄却。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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