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相模原事件に死刑判決!閉廷時に植松被告が訴えようとして制止された内容とは

篠田博之月刊『創』編集長
判決公判のあった横浜地裁(筆者撮影)

 2020年3月16日、相模原事件の判決公判の後、横浜から帰ってこの原稿を書いている。

 公判終了後、津久井やまゆり園の家族会前会長の尾野剛志さんや、やまゆり園の理事長と園長などの会見が行われたのだが、口々に語っていたのが、これで事件の大きな一区切りとなったという感想だった。尾野さんは、まだ控訴期限があるので死刑が確定するまでは安心はできないが、としたうえで、きょうで一区切りというのが被害者や犠牲者家族の思いではないかと語った。でもそう言ったうえで、ただこれはひとつの通過点だ、とも言った。障害者に対する差別のない社会になることをめざして、この事件についても引き続き検証を行っていかなければいけない、とも。

尾野剛志さんの会見(筆者撮影)
尾野剛志さんの会見(筆者撮影)

 私はといえば、植松聖被告に接見するようになってから2年半。1月8日に始まった裁判にも足しげく通った。きょうの判決が大きな一区切りであることは間違いない。長い1日でもあった。

 判決公判は13時半開始。11時20分までに傍聴希望者は地裁近くの公園に集まったのだが、1600人を超えていたという。ところが、新型コロナウイルス対策で傍聴席をぎっしり埋めて座らないようにしたという裁判所の方針で、何と一般傍聴席は10席に制限された。記者クラブ加盟社は報道席があるのだが、それ以外の人は法廷にほとんど入れなかった。

 13時半の開廷後も、多くの記者などが法廷入り口のあるロビーで固唾をのんで見守る中、開廷後すぐに出てきた記者が「主文後回し!」と大きな声で伝えた。報道席の記者たちは順次交代し、法廷内の様子を外の記者たちに伝えるのだ。主文後回し、というのは、死刑判決であることを意味していた。通常の裁判では最初に主文が読み上げられるのだが、死刑判決の場合は、被告人が動揺して進行が妨げられることがあるため、主文の読み上げが最後になるのだ。したがって主文が最初に読まれるかどうかで報道陣は判決内容を判断する。

 そして45分ほどたった頃、法廷から次々と記者が出てきて「死刑判決!」と告げた。法廷内もそうだろうが、法廷の外もずっと緊迫した時間が流れていた。

 

 裁判長が閉廷を宣告した直後に、植松被告が手をあげて「最後にひとつだけ」と発言を求めたこともわかった。しかし、裁判長はそれを制止して法廷を閉じた。

 植松被告が最後に言いたかったことは、3月初めの接見時に本人が語っていた。死刑判決は覚悟したし、控訴もせずに終わりにしたい、ただ最後にこれだけは言いたい。本人がそう言っていたのは、大麻が素晴らしいということだった。裁判の間も一貫してそれを主張していた。

 

 判決内容は直接法廷で聞けなかったが、その後の会見などで関係者が話したことを聞くと、この裁判の争点が被告の責任能力をどう考えるかだったため、それについて裁判所の判断を示したものだったという。

 本当に解明すべきポイントは、障害者を支援する立場だった植松被告がなぜ、重度障害者は生きていても意味がないというような考えに至ってしまったのか、しかもそういう考えに至っただけでなく実際に19人を殺害するという凄惨な犯行に至ったのか、それを検証し明らかにすることだった。判決では、施設での体験を基礎とし、当時の社会情勢の影響を受けて、といったおおまかな認定がなされたようだ。

やまゆり園の理事長と園長の会見(筆者撮影)
やまゆり園の理事長と園長の会見(筆者撮影)

 判決後の会見で津久井やまゆり園の理事長と園長は、判決で施設での体験が指摘されたことを受けて、園としても考えていくといったことを話していた。入倉園長が、かつて同じ施設で働く職員だった植松被告と、法廷での彼とが全く違う人になってしまったように思えたと、裁判を何度か傍聴してきた感想を語った。そして続けて、自分がやったことがどういうことだったのか、死ぬ直前まで向き合ってほしいと語った。

  

 会見場に移るために裁判所を出る際に、私も囲み取材を受けて、思いを語った。被害者家族や犠牲者の遺族たちが、裁判でも口々に被告に極刑を望んでいたことや、尾野さんが死刑が確定するまで落ち着かないと語っていたことはもちろん理解できる。ただ同時に、この裁判が、責任能力の有無だけが議論され、事件の本質に迫れなかった印象が強く、これで相模原事件が終わってしまい、風化が加速するのは残念だと話した。

 植松被告は昨年末に接見した頃から、死刑判決が出ても控訴しないと言っていた。確かに控訴審で争っても死刑判決が覆る可能性はほとんどないし、彼が自分の死を受け入れて終わりにしたいという気持ちはわからないでもない。ただ、裁判は被告人に刑罰を宣告するだけでなく、事件の解明という重大な役割も持っており、その点については全く満足できないことを思えば、私は判決を前後して、彼に控訴を勧めるつもりだった。

 ただそんな気配を察したのだろう、植松被告は最終意見陳述で、「どんな判決でも控訴しません」と法廷で宣告してしまった。説得しようと3月初めに接見に行くと逆に植松被告から「長い間お世話になりました」と今生の別れを告げられてしまった。

 このままだと控訴期限2週間を経て、死刑判決は確定し、植松被告は接見禁止になる。家族と弁護人以外は基本的に手紙のやりとりも接見もできなくなる。家族も弁護団も取材拒否をしている以上、そうした関係者が被告の近況などを社会に伝えようとするとは思えず、この4月初めには、植松被告は社会から事実上消え去ってしまう。

 報道も一気に途絶えてしまうだろう。あとは風化が加速するだけだ。

あの凄惨な事件に対して、何が原因なのか、この社会はどんな対応をすべきなのか。それが明らかにならないと、恐怖だけが残る。今のままではこの事件は、社会が何も対応できないまま風化していってしまう。それが残念だ。

 風化させないために私たちも努力するし、報道の皆さんもがんばってほしい。会見で尾野さんはそう語った。果たしてそれにこの社会はどのくらい立ち向かえるのだろうか。

 昨年末に毎日新聞が調査結果を報道していたが、多くの障害者施設建設に対して、住民からの激しい反対運動が全国で続いている。住民の方たちも、アンケートでもとれば、障害者差別はよくないと言うだろう。一般論としては障害者差別は良くないと言いながら、でも自分の家の近くに障害者施設ができるのには反対だ、というこれが差別の実態だ。

 相模原事件は、戦後タブーになってきたいろいろな問題を明るみに出した。それに対してこの社会はどこまで対応できるのか。その疑問は残されたままだ。

【追補】植松被告が判決公判の最後に何か発言しようとして制止させられたことは、17日付の新聞などでは大きめに取り上げられており、共同配信と思われるスポーツ紙の記事は「判決後に発言求めるも裁判長拒否」と小見出しもたてていた。それを読んだ人はいったい何なのかと思ったに違いない。でも判決公判後、接見した読売新聞が、植松被告の説明を報じている。彼は「世界平和に一歩近づくためには大麻が必要と言いたかった」と面会室で語ったという。前回の接見時に語っていたのと同じだ。

 被告人を死刑に処するという重たい判決主文を言い渡され、法廷が重たい空気に包まれた直後にその発言が実際になされていたら、傍聴していた人たちは混乱しながら法廷を後にすることになっていたかもしれない。(この追補は3月17日に追加)

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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