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死刑判決の控訴を自ら取り下げた寝屋川殺人事件・山田浩二死刑囚は今どうしているか

篠田博之月刊『創』編集長
大阪拘置所(筆者撮影)

 7月20日に大阪である集会に参加したところ、大阪在住のいろいろな新聞社の記者の方々に挨拶をいただいた。そして何人かの記者に訊かれたのが、5月18日に死刑判決への控訴を自ら取り下げた寝屋川中学生殺害事件の山田浩二死刑囚についての情報だった。5月28日に接見禁止という確定死刑囚の処遇に移ることで、山田死刑囚は外界との交流を断たれてしまったのだが、その後30日に控訴取り下げ無効の申し立てを行っており、現在は裁判所の判断待ちだ。もし無効の申し立てが認められて控訴審が継続することになれば画期的なことなので司法記者たちの関心を集めているわけだ。

 この件については、控訴取り下げ手続きのあり方をめぐる議論も一部で起きており、いずれそれについても書こうと思っているが、とりあえずここで山田死刑囚が今どうしているか近況を書いておこうと思う。突然の控訴取り下げで、いったいその後どうなったのかと気にしている人もいるし、この件は司法のあり方をめぐるいろいろな問題を提起しているからだ。

 山田死刑囚が控訴を取り下げた経緯、私が説得したことで彼がそれを何とかして撤回させようとするに至ったいきさつについては、ヤフーニュースに何回も記事を書いた。

 そして先頃、月刊『創』7月号に山田死刑囚が発表した最後の手記、つまり控訴取り下げ直後に書いたものもヤフーニュース雑誌に公開した。これを読むとなぜ彼が控訴取り下げをしてしまったのか、その経緯が詳細に書かれている。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190712-00010000-tsukuru-soci

私が控訴を取り下げた理由と その夜に起きた一部始終 山田浩二

 さてその後の経過だが、私も大阪拘置所に対して、特別接見許可願いを出すなど何度か拘置所と交渉を行った。拘置所からも文書をもらっている。結論的に言うと、山田死刑囚は完全に確定死刑囚の処遇になっており、教誨師と家族、それに弁護人以外、接見はできない状態だ。

私の接見許可願いも認められなかった。

 

大阪拘置所から届いた文書
大阪拘置所から届いた文書

 山田死刑囚の家族については、最後の接見の時に、本人から事情を聴いたが、ずっと交流もなく、接見に訪れる可能性は極めて低いと本人自身語っていた。家族と弁護人以外の「知人」で死刑確定後も接見が許可されるのは拘置所の判断によるのだが、現状で接見が許されているのは、確定前から頻繁に山田元被告に接見していたカトリックの神父らしい。

 拘置所がその方のみを接見許可することになったのは、それまでの経緯を考慮しての特別配慮ということなのか、あるいは確定死刑囚に対する教誨師という扱いなのか、いまひとつわかりにくい。ただ少なくとも明らかなことは、大阪拘置所としては、取り下げ無効の申し立てがあるとはいっても、山田さんについては、確定死刑囚として処遇するという明確な方針がとられたことだ。

 実は私は、最後に山田死刑囚に接見した5月24日に、その前の彼の控訴取り下げを報じた新聞記事と、拙著[ドキュメント死刑囚」を差し入れた。確定死刑囚の処遇がどうなるか知っているかと山田さんに訊いてみると、全く何も知らないという返事だったからだ。

 その24日はもちろん接見もできたし、差し入れも受け入れられたのだが、驚いたことに、その日に差し入れた新聞記事と書籍について、その後不許可通知が届いた。恐らく中身の検閲をしているうちに5月28日になって彼に接見禁止がついたためなのだろうが、何日も経ってから不許可というのはひどい話だと思った。

 そして山田死刑囚の近況だが、どうやら接見禁止がついてから全く誰も訪れない日々が続いており、精神的に追い詰められているようだ。接見許可がついた神父はあいにくこの春、遠方に引っ越してしまったため、なかなか接見できないでいるらしい。そのため山田死刑囚は刑務官以外誰とも話をしない状況で、精神的にかなり参ってしまっている。食事も睡眠もあまりとれていない状況だという。

 山田死刑囚は、私が最後に接見した時も、この人に連絡してほしいと大勢の人への伝言を頼まれたのだが、突然連絡できなくなってしまった人たちに連絡をとりたがっているらしい。彼はこの春頃、自分の裁判に関心を持ってもらおうと、私を含め、いろいろな人に裁判資料を送っていたのだが、預けっぱなしになっているものについては、何とかして自分の手元に戻してほしいとも言っているようだ(私に送られたものはすぐにコピーをとって元の資料は既に山田死刑囚に戻してある)。

 そういう山田死刑囚の希望については、関係者と連携しながら可能な範囲で何とかしてあげたいとは思っている。ただいずれにせよ、この間の拘置所とのやりとりでよくわかったのは、取り下げ無効の申し立てをしたとはいっても、山田死刑囚は完璧に確定死刑囚の扱いだということだ。外部との接触はかなり制限される。彼はもう本当に社会から隔絶した状況になってしまった。

 そうやって確定死刑囚を社会と隔絶させるのは、当局の言い方では「精神的安定をはかる」というわけで、要するに死を受け入れていくような心境に至らしめるために社会との関係を断っていくということらしい。一方で教誨師とは接触させていくのだが、つまり山田死刑囚本人は控訴取り下げという行為によって、否応なく死刑台に近づいてしまったわけだ。

 それを踏まえて彼の最後の手記を読み返すと、山田死刑囚は、激しく動揺しながら、何とかして裁判を続けたいこと、毎朝執行におびえていること、さらには死刑台に立つ時の心境までつづっている。そして「死にたくない」とも明言している。

 自ら死刑台へのボタンを押してしまったとはいえ、実際に死刑が身近に迫ってきた時に死刑囚がどういう心境に陥るものか。その動揺した心情がこの手記にはそのまま反映されている。

 

 何といっても残念なのは、中学生の男女が不条理に殺害された、この寝屋川事件の真相がこれによって永遠に不明のままになってしまう怖れが出てきたことだ。1審は、動機の解明が不十分なまま死刑判決が出されたが、この事件についてはわからないことがあまりに多すぎる。犠牲となった被害者のためにも、もう少し真相が解明されてほしかった。

 以前、山田死刑囚の控訴取り下げをめぐる記事をヤフーニュースに書いたことで、彼の友人知人を含め、いろいろな方から連絡をいただいた。今回のこの記事は、そういう方々を始め、一連の経緯に関心を寄せている人たちに山田死刑囚の近況を伝えたいという思いから書いたものだ。今後も何か情報が入ればお伝えしたいと思う。

 なお控訴取り下げをめぐる経緯について、以前ヤフーニュースに私が書いた記事を未読の人は下記をご覧いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190523-00127078/

死刑判決の控訴を取り下げた山田浩二死刑囚に接見。到底納得できないと思った

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190524-00127258/

寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げ後二度目の接見で語ったこと

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190606-00129115/

控訴取り下げ死刑を確定させた寝屋川事件・山田浩二元被告が最後に書いた手記の中身

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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