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薬物逮捕の元体操五輪代表・岡崎聡子さんが面会室で語ったことと獄中手記

篠田博之月刊『創』編集長
逮捕された岡崎聡子さんから最近届いた手紙

 元オリンピック体操日本代表の岡崎聡子さんが薬物使用で逮捕されていたという報道が6月19日に一斉に始まったことを受けて、20日、本人に接見してきた。ちなみに彼女が今どういう状況に置かれているかについては、19日に書いた下記の記事を参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190619-00130756/

 元体操五輪選手・岡崎聡子さんの薬物逮捕後の近況と報道する人たちへの提案

  20日に接見してみたら、前日から報道がなされたことは既に本人は知っていた。なぜ知っていたかというと、彼女が勾留されていそうな警察署に一部マスコミが照会を行っているようで、その警察署は照会には全て「お答えできない」と言っている、と本人に話したというのだ。

 おかしいのは、6回目の逮捕とか14回目の逮捕とか、報道によってバラバラだし、何なんだこれは?というような情報が平気で流通していることだ。実際、彼女は逮捕歴も多いし、逮捕されても起訴されなかったケースもあるから、報道が混乱するのも無理はないだろう。それと驚いたのが、報道で使われている写真が、30年前のものであることだ。

 はつらつとした写真も多く、ネットではそれが話題になってもいるが、新聞やテレビが報道で30年前の写真を使うというのはどうなんだろう。若く美しい20代の写真であることは悪いことではないのだが、彼女がそれ以降背負ってきた人生を思うと、ちょっと複雑な思いになった。本人にも面会室で「あなたの写真が昔の若い頃のばかり使われているよ」と話したら、「最後に撮られたのが確か23歳頃だったから」と言っていた。ちなみに彼女は現在、58歳だ。

 元々彼女は人気を博したオリンピック代表選手だったが、ケガのために選手生活をやめてタレントに転身した。エアロビクスを日本に普及させようとアメリカに勉強に行っていた時に薬物を初めて経験し、それを機に人生を暗転させていった。彼女の妹も有名な体操選手で、彼女の実家は体操一家として知られていたのだが、その家族との関係も薬物依存が事件化したことで壊れていく。

 この10年以上、出所したと思ったら2年ほどでまた逮捕ということの繰り返しだった。報道では前回の逮捕から4~5年とあったが、その年月の半分は刑務所で、いわば一定年齢以降、人生の半分を塀の中で過ごすという状況だった。今回、一部マスコミで、彼女が月刊『創』(つくる)2009年11月号に書いた手記が紹介されているが、その中にも「生きている時間の半分くらいを獄中で過ごしていることになります」と自ら書いていた。

 私は田代まさしさんの薬物事件の時も関わっていて驚いたのだが、前々刑の時、満期出所したら、出所後はいっさいフォローもなされない(前刑は治療期間ダルクがフォローしてくれた)。出所したとたん、住む場所の確保や携帯を買うことも大変な状況に追い込まれる。幸い、2人の妹さんが献身的にサポートしたから良かったが、そうでなければたちまち追い詰められる。薬物依存は再犯が問題だと事あるごとに言われるのに、それに対する何の社会的対策も講じられていないのだ。

 日本も少しずつ、社会的対応をしていかないと薬物犯罪は根絶できないとわかってきて、刑の一部執行猶予などの制度を導入し、仮釈放させて保護司がフォローし、治療に向かわせようという対策を講じてきた。これは大きな進歩だが、まだ十分に機能しているとはいいがたいのが実情だ。刑務所にぶちこんで痛い目にあわせれば薬物に手を出さなくなるだろうという原始的な思い込みから、まだ薬物事件が起きるたびに、スタジオで「厳罰を」と叫んでいるテレビのコメンテーターもいるのが現実だ。

 19日もヤフーニュースに書いたように、今回は何とか岡崎さんを本格的治療に向かわせようと周囲も取り組んでおり、接見でも多くをその話に費やした。薬物依存というのは、いわば病気だから、治療に当たっては家族の理解やサポートが必要になる。

 岡崎さんには2人の子どももいるのだが、私は、岡崎さんを本格的に薬物依存から脱出させるには家族の協力は不可欠と思うので、息子にも連絡を取ってきた。ただ、接見でその話になると、岡崎さん本人は、もうこれ以上、家族に迷惑をかけたくないと強い意志で語った。手紙のやりとりなど交流は続けたいが、子どもの世話になるわけにはいかないと言った。

 親としてのその気持ちはよくわかる。でも、家族がサポートせずに、いったい、どうやって治療に取り組むのか。薬物依存者で何とかそこから脱したいと思っても、就職もできず、生活するだけでも大変だという、治療どころではない厳しい現実がある。このあたりは恐らく多くの薬物依存者が、今のままではいけないと思いながら負のスパイラルに陥って悩んでいるところなのだろう。長期の治療に専念できている三田佳子さんの息子など、本当に恵まれているケースだ。

 さらに岡崎さんにとって辛かったのは、前の逮捕後、拘置所にいた時に父親が亡くなり、服役中に母親が亡くなった。両親とは距離を置いた生活ではあったが、彼女は両親を愛していたから、親の死に目にあえなかったことは痛恨の思いだったと思う(何とかして危篤状態の母親に会いに行きたいという彼女の頼みに応じて私なりに手を尽くしたが駄目だったという話は前回書いた)。逮捕と出所を繰り返すうちに、精神的な意味でも帰る場所がなくなっていくわけだ。

 19日に私が書いた記事を読んだという女性からメールが届いた。岡崎さんのかつての知人だ。一部を紹介しよう。

《岡崎聡子さんが、今も薬物で苦しんでおられることを知りました。1980年代頃でしたでしょうか、日本にエアロビクスが入ってきた頃、チーフインストラクターとして東京と京都、大阪、そして渋谷と、エアロビクスを日本に普及させるべく、各地をはつらつとして、飛び回っておられた聡子さんの姿が今も眼に浮かんできます。何とか、薬物依存の地獄から、何とか抜け出して欲しいと、心から切に願っています。》

 このメッセージはさっそく本人に伝えようと思う。もう社会からも見放されているような状況の中で、こういうメッセージは薬物依存から脱出するために励みになるし、喜ぶと思う。

 逮捕の報道が始まって、以前、産経のウェブにアップした岡崎さんの手記が、一気に検索エンジンの上位に上がったが、これは差支えがあるために、頼んで削除していただいた。役に立つ部分もあるのだが、例えば彼女が週刊誌を事実誤認と名誉棄損で訴えた裁判で彼女に不利な証拠として提出されたりしたし、10年前の手記を掲載するならきちんと解説を加えてやらないとまずいと考えたためだ。

 例えば手記の中で「私は身から出たサビと思っていますが、家族は本当にやりきれない思いをしてきたと思います」という一節があったが、この「私は身から出たサビと思っていますが」という部分のみを前後の文脈から切り離して、事実と異なることを報道されてもある程度は仕方ないと本人が認めているという主張を週刊誌側が展開した。

 私がこうやってヤフーニュースに記事をあげているのは、三田佳子さんの二男逮捕の時もそうだったが、憶測まじりの誤った報道がなされることのないよう、ある程度の事実関係を公開していこうという思いからだ。逮捕されたという報道だから、岡崎さんが批判されるのは当然だとは思うが、事実誤認の情報が流布されるのは誰にとっても利益にならない。

 今後も必要に応じて、この事件についての報告は続けようと思う。

 最後に、削除した『創』2009年11月号彼女の手記の主な部分を改めて紹介しておこう。薬物に関わるようになった経緯などを彼女自身が書いたもので、記録としては貴重だ。今ではもう自分の家庭を持っている息子の10年前の話も登場する。

岡崎さんが『創』に書いた獄中手記

 《(2009年)5月12日、公判が開かれたのですが、息子が情状証人として出廷しました。私はいっさい出廷などしないでほしいと伝えておいたのですが、前日に息子の父親である元夫が面会に来て、息子の気持ちを汲んでほしい、わかってやってほしいと言われました。その優しい気持ちはわかるけれど、素直に喜ぶ気にはなれませんでした。

 翌日の法廷では思った通り、息子は弁護士と検事からの質問に、緊張してカチンコチンに固まっていました。「小さい頃、お母さんがいなくなり、淋しかったでしょ。不安だったでしょ」と訊かれて、「はい」と答えるなど、司法のプロたちの手にかかって、すっかり悲劇の主人公を演じてしまっていました。

 本当なら「違法行為に関しては申し訳ありませんが、逮捕されて母親がいなくて苦労することはありましたが、それ以外では楽しい家庭でした。人もたくさん集まる明るい、いい家庭でした」とでも言ってほしかったと思いました。

 でも私の両親には内緒で来たという息子の気持ちはうれしく思いました。私の薬物での逮捕は今回で5回め。薬物を始めてから合計すると10年くらい、生きている時間の半分くらいを獄中で過ごしていることになります。私がオリンピックにも出場した元体操選手であるため、逮捕のたびに報道され、家族には大きな迷惑をかけてきました。家族は本当にやりきれない思いをしてきたと思います。

 女子刑務所に入って一番つらいのは、残された子どもが施設に入れられて淋しい思いをしているとか、そういう話が多いことです。何の罪もない子どもが一番の犠牲者かもしれません。 》

 《私が最初に薬物を体験したのは、アメリカのロサンゼルスに、エアロビクスの勉強に行っていた時でした。最初はアメリカにいる時だけ使っていました。コカインもやるようになりました。そのうち日本でも、つきあっていたのが六本木の水商売の人だったこともあり、入手もできました。》

 《ちょうどタバコやアルコールと同じで、薬物とは一度その効用を知ってしまうと、なかなか知らなかった頃には戻れないものだと思います。よく薬物依存者はいろいろな症状が出てくると言われますが、私の場合は精神的依存はありますが、身体面では何の影響も現われませんでした。恐らくその辺は個人差があるのではないでしょうか。

 もちろん乱用の怖さはあると思います。お金と同じで、使っているつもりが逆に支配される。その結果、逮捕となれば一気に堕ちていく。それが、今の日本の覚せい剤使用者のなれの果てかもしれません。》

 《刑務所での「薬物離脱教育」、昔は「薬害教育」と言いましたが、私は毎回必ず受けています。でも役に立っているかは疑問です。女子刑務所のほとんどの受刑者は仮釈放をもらって早く出たいという一心で受けています。仮釈放には「反省の情がある」ことが必要なのです。同じ房で「ねえ、おいら何したの? 何でこんなとこ入れられてるの? 誰を傷つけたわけでもないのに」と話している人が、薬物教育の場では「覚せい剤は人間をボロボロにするし、二度と手を出そうとは思いません」と「反省」を口にして、先生方を満足させている光景を何度も見てきました。》

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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