”怒りスイッチ”を踏んだ中島の振る舞いは、日本の10番にふさわしいのか?

中島に詰め寄るパラグアイの選手たち(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

国際親善試合のパラグアイ戦、前半終了間際に『リフティングドリブル』を見せた中島翔哉は、相手FWサナブリアを激高させ、危険な報復タックルを食らった。サナブリアにはイエローカードが提示されたが、他のパラグアイ選手と共にさらに詰め寄るなど、悪びれた様子はない。

この場面については、まさに賛否両論。「何が悪いのかわからない」「楽しんでやっただけのプレー」「報復タックルなんてあり得ない」といった中島の側に立つ見方と、「あれを南米にやれば削られるのは当たり前」「(中島のプレーは)相手をからかった、挑発した」「リスペクトを欠く」といったパラグアイ側に立つ見方、両方があった。

このリフティングドリブルの「是非」を問う-。

それは時間の無駄だ。徒労に終わるだろう。「是非」=正しいことと正しくないこと。だが、リフティングドリブルの場合、Aにとっては正しい、Bにとっては正しくない。それ以上の結論は出ない。

もちろん、技術そのものが悪いわけではない。相手をかわすためにリフティングを使うことはあるし、1994年のJリーグではドラガン・ストイコビッチが大雨で荒れたピッチを避けるため、リフティングしながらボールを運ぶ圧巻のプレーもあった。言うまでもなく、それ自体は正当な技術である。

しかし、パラグアイ戦で中島が繰り出したリフティングドリブルには、“怒りスイッチ”が存在した。

それは日本が2-0で勝っていた状況である。劣勢のパラグアイは悔しさを抱え、イライラもしていた。そこへ日本が余裕を見せ、勝負において実効性を持たない遊び心を、リフティングドリブルで披露する。ストイコビッチのように、リフティングという技術に必然性があったわけでもなく。この状況がスイッチとなり、敗者(劣勢な者)をあざ笑う行為として、パラグアイの自尊心を傷つけた。

2014-15シーズンのラ・リーガにも、同じことがあった。バルセロナとアスレティック・ビルバオの試合終盤、3-1でリードしていたバルセロナのネイマールが、遊び心あふれるヒールリフトを見せると、このプレーにビルバオの選手が激怒して詰め寄り、ピッチは騒然とした。

試合後はビルバオだけでなく、バルセロナの監督や選手も、ネイマールの行為について「相手を辱める必要はない」と、たしなめるコメントを出している。“2点差以上でリードした勝者が余裕を見せて遊ぶ”という行為に、怒りスイッチがあることは、敵味方問わず、スペインでは常識のようだ。

今回のパラグアイや、スペインの例に限らず、ラテン系の国々では“リスペクト”や“勝者の振る舞い”を強く求める傾向がある。

遊び心とは異なるが、2017年のスペインU-11地域リーグでは、勝利が明らかな状況で、さらに容赦なく対戦相手を叩きのめし、25-0で大勝したチームの監督が「対戦相手へのリスペクトを欠く」と、解雇を言い渡されたことがあった。

「ええっ、そんなことで?」「全力でプレーしただけなのに?」「むしろ、最後まで全力で点を取り続けることが礼儀じゃないの?」 日本の感覚ではそう思えてしまうが、「相手に必要以上にダメージを与える慈しみに欠けた行為」と、現地では考えられた。培ってきた文化は、それぞれ違うということだろう。Aにとっては正しい、Bにとっては正しくない。それ以上の結論は出ない。

中島のリフティングドリブルも同じだ。これは是非もない議論。

日本はサッカーがエンターテイメントとして捉えられるので、「楽しいプレー」や「遊び心」は無条件に称賛されるが、南米のサッカーは死生観さえ伴う宗教に近い。「楽しんでやっただけ」のプレーが、相手の宗教上の掟を無意識に破る。そういうケースは起こり得る。

どんなつもりでやったかは、自分だけの問題。しかし、相手がいるサッカーでは、相手の見方も入ってくる。是非もない。相手はそういう文化を培ってきた、それだけ。どうしても納得できないことでも、最低限、理解はしなければならない。

あの危険なタックルを食らった後、“そんなつもりじゃなくても”、中島はすぐに謝罪した。ロッカールームに引き上げる際にも、相手選手とコミュニケーションを取って謝り、後腐れなく、この問題にけりを付けた。

怒りスイッチ、君のはどこにあるんだろう。

見つけてあげるよ。そして、尊重もするよ。

中島が見せた態度は、本当にすばらしいものだった。なかなか出来ることではない。日本の10番はこういう選手にこそ着けてもらいたいと、私は思う。