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無骨、マシュマロ、塩対応。『酒井宏樹』を紐解くキーワードたち

清水英斗サッカーライター
日本代表合宿中の酒井宏樹(写真:ロイター/アフロ)

 連日の盛り上がりを見せるロシアワールドカップ。日本代表も初戦となるコロンビアとの試合が、明日19日に迫ってきました。日本は勝利を飾り、4年前のブラジルワールドカップで1-4で敗れた雪辱を、果たすことができるのか?

 

 この記事では、新著『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』の評伝から、酒井宏樹選手の項を抜粋し、公開します。柏レイソルで見出され、海を渡った、酒井宏樹。ドイツを経た現在はフランスリーグのマルセイユに所属し、サポーターに『戦士』と呼ばれています。その安定感のあるプレーに、ワールドカップでも期待をかける人は多いはず。

 でも、ちょっと待ってください。2~3年前を思い出してみましょう。その頃に日本代表でプレーする酒井宏については、手厳しい見方をする人が多かったはず。なぜ、彼はこれほどの選手に成長できたのか。酒井宏という選手の本質に迫ります―。

書籍『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』

ゆとりですが、なにか!

 この右サイドバックについて、サッカーファンは手厳しかった。試合があるたび、「下手くそ」「判断が悪い」と、たくさんのダメ出しを耳にすることがあった。

 気持ちはわかる。酒井宏樹のプレーは荒削りで、洗練されていない。そのパスは読まれているのに、全速力で戻らなきゃいけない場面なのに、自分の背後をねらわれているのに、状況を察することができず、判断ミスをする。ツッコミどころ満載だ。ポジショニングが苦手分野であることは本人も認めていた。

 サイドバックは、ピッチ全体を見渡しやすい。その利点を生かし、イマドキのサイドバックは陰の司令塔であることが当たり前だ。パス回しの起点になったり、周りのカバーに気を利かせたりと、気配り上手でなければいけない。まさに内田篤人は賢いプレーをするし、長友佑都も戦術大国イタリアで7年揉まれ、守備戦術を叩き込まれた。

 しかし、酒井宏は違う。あふれる馬力でライン際を駆け上がり、びしっと鋭いクロスを蹴る。その単純な上下動で味方のパッサーにこき使われる姿は、昭和のサイドバックそのものだった。ボールの蹴り方、運び方、守備のステップワークも、無骨。

 

 その一方でふと思う。よくもこれほど独特なクセのある選手が、矯正もされず、イマドキのプロになったなと。その意味で思い出すのは、大迫勇也がドイツ紙『キッカー』に対し、日本とドイツの違いを語ったインタビューだ。

 「日本人はテクニックに長けていて、ドイツ人はフィジカルです。それから日本では年長者が尊敬されます。ドイツでは異なりますね。日本では若手が結局、先輩のようになる可能性が高い。ここではそんなことはありません」

 日本では若手が先輩のようになる可能性が高い――。これにはハッとした。たしかに、Jリーガーは金太郎飴のように似たような選手ばかり。横並びに矯正されるせいだろうか。たとえば中村俊輔のように、遠めでもわかるほどクセが強い選手は少ない。世界のサッカーを見ると、技術、身体、感情など、ユニークな選手ばかりなのに。

 そう考えると、酒井宏はめずらしい日本人だった。荒削りのまま個性が守られてきた。そもそも185センチで空中戦に強い選手が、サイドバックをやること自体が珍しい。同じような先輩がまったく見当たらない。

 がに股は無骨に見えるが、酒井宏のインサイドキックはかなり威力がある。長い距離の縦パスをスーッと通し、クロスもインサイドキックで低くて速い弾道で蹴る。このような球筋のクロスは、日本ではめったに見ない。もし、酒井宏の立ち方や走り方を、横並びに矯正したら、彼の特徴は消えていた。それなりにオシャレな選手になったかもしれないが、教えられた先輩の器を超えることは永遠になかった。

 

 ドイツのサッカー指導では、“余白”を大事にするそうだ。指導者はセオリーや原則を教えるが、「100%こうだ!」という言い方はしない。必ずそのとき、選手自身が否定したり、アレンジできる余白を残しておく。そうやって個性が守られつつ、サッカー選手が育ってきた。我々も選手のあら探しをする前に、考えるべきことがあるかもしれない。

塩対応、はじめました

 性格について言えば、酒井宏は、断トツに良い人だ。ファンに対しても、神対応で知られている。

 いつもニコニコと笑顔を絶やさず、メディアから要領を得ないバカな質問を受けても、嫌な顔ひとつ見せない。相手を包み込むような物腰で、声のトーンはマシュマロよりも優しい。セリフはごまかせても、トーンはごまかせない。隠しても隠しきれない人の好さが、声質からにじみ出る。勝った試合はもちろん、負けた試合でも変わらない。24時間365日、神対応の良い人だ。褒めておいてアレだが、真似はできない。

 ところが、ピッチの中でも神対応のDFとなると、これは困った。サッカーというスポーツは、詰まるところ、だまし合いの遊びだ。ドリブルと見せてパス。パスと見せてドリブル。縦と見せて横。ショートパスと見せてロングパス。そんなことをいくつも、いくつも積み重ねて、ようやくゴール前にたどり着き……そして足元と見せてループシュートだ。最後の最後まで、自由な駆け引きであふれている。

 神対応とか、ちゃんちゃらおかしい。いかに相手に塩をぶっかけるか。いかに相手にストレスを与えるか。ボールのないところで身体をぶつけて怒らせたり、あるいはガツンとファウルして怖がらせたり、あえて空けたコースに罠を張って味方にボールを奪わせたり。それがサッカーだ。

 酒井宏は、そういう塩対応をあまり積極的にやっていなかった。やらなくて済んだ、という面もある。身体が大きくてスピードがあるため、1対1で追いついたり、ヘディングに勝ったりと、最終的に帳尻を合わせるようにフィジカルで対応できたのだ。良くも、悪くも。 

 しかし、フランスでは、そうもいかなかった。酒井宏は2016−17シーズンから、フランスの強豪マルセイユに移籍している。この国のリーグは、移民系の黒人選手を中心に、フィジカルモンスターばかり。ドイツのブンデスリーガは、パワフルで組織力を大事にしたサッカーをするが、フランスは個人の仕掛けが多く、パワーだけでなく、スピードや俊敏性でもずば抜けた選手が多い。酒井宏は自信をもっていた1対1で、まったく勝てなくなってしまった。

 マルセイユへ移籍した当初、酒井宏は相手にぶち抜かれてばかりで、「大丈夫かコイツ?」という視線を向けられたらしい。そこから成長が始まった。きれいにボールを奪うとか、そんなことにこだわっている場合ではない。ボールが来る前から、身体をぶつけてプレッシャーを与えたり、ファウルで止めたり。味方とも守備の連係を細かく整理し、万端の準備で挑む。「1試合1試合、必死です」と語る酒井宏は、サポーターから『戦士』と呼ばれ、顔つきも変わってきた。

 パリ・サンジェルマン戦で面白いシーンがあった。逆サイドから折り返されたクロスが、酒井宏の足元に転がってくると、簡単にクリアしてコーナーキックに逃げた。このプレーに対し「フリーだろ! ボールを捨てるな!」と激怒したのは、センターバックのアディル・ラミだ。

 ところが、酒井宏はその抗議を両手で制すると、手を背中側へ回しながら、「自分の後ろ側から詰めてくる相手がいる!」と激しく主張。その相手とは、マッチアップしたネイマールだ。下手にキープしたり、あるいは反転しながら蹴り出そうとすれば、その瞬間に詰められる恐れがある。しかも、クロスが当たり損ないのゆるい軌道で、酒井宏の足元に来るまで、イヤ~な時間の空白があった。詰められるかもしれない。だからこそ、失点のリスクを極力避けた。その判断を責めたラミと、真っ向から反論する酒井宏の間に、他の選手が割って入り、コーナーキックへの集中を促した。

 こういう主張は、日本では「波風を立てるやつ」と敬遠されがちだが、欧州は違う。自分の考えを主張するのは、むしろ当たり前で、ぶつかったら、すぐに誰かが仲裁してくれる。逆に主張をせずに黙っている人間のほうが、何を考えているのかわからない、不気味なやつなのだ。

 頼もしくなった酒井宏について、マルセイユのルディ・ガルシア監督は「最近のヒロキは欧州的なメンタリティを身につけたと思う。ずる賢くなった」と嬉しそうに語った。

刮目せよ! ゆとり世代の才能に

 酒井宏が大化けしたトリガーは、個人的には意外だった。スペインやイタリアのような戦術大国に移籍すれば、守備センスの面で学びになると思っていたが、なるほど。フランスか。フィジカルの長所を奪われ、工夫しなければ生き延びられないサバイバルに追い込まれ、否が応でも駆け引きがうまくなる。その発想はなかった。ちょっと劇薬感はあるが、わずか1~2年で、酒井宏は劇的に伸びた。

 正対して勝てないのなら、正対しなければいい。相手がボールを持つ前に、予測して近づき、前を向かせない。背を向けてパスを受けさせ、スピードに乗らせない。そうすればボールを奪えなかったとしても、負けることはない。

 相手が強敵だったら、早めにサイドへ出て、先にマークしておく。そのとき味方のセンターバックには「早めにマークに行くから、真ん中のカバーはできないよ。ゴメンネ!」とコミュニケーションを取りつつ。

 そんなことは、内田らはずっと以前からやっていたが、酒井宏はついにフランスでその必要性を痛感したわけだ。ルディ・ガルシア監督は、フランスでも指導力が高く評価される名将。酒井宏の戦術眼は、グングンと伸びた。

 なかなか、いい人生を歩んでいるじゃないか。個性をスポイルされずに大人になり、それが強敵との戦いで通用しなくなったら、方法論のセオリーを覚え始めた。この選手、まだまだ伸びる余地が大きい。今後、最もワールドクラスに上り詰める日本人選手は、本田圭佑でも香川真司でも、岡崎慎司でも清武弘嗣でもなく、実は酒井宏かもしれない。

 若い頃は、あらが目立っていた。サッカーIQも低かった。しかし、酒井宏は酒井宏のまま羽ばたき、進化を続けている。まさに、ゆとり育成。この男、ゆとり世代の最高傑作かもしれない。

(2017年ヤングチャンピオン7号掲載)

書籍『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』

サッカーライター

1979年12月1日生まれ、岐阜県下呂市出身。プレーヤー目線で試合を切り取るサッカーライター。新著『サッカー観戦力 プロでも見落とすワンランク上の視点』『サッカーは監督で決まる リーダーたちの統率術』。既刊は「サッカーDF&GK練習メニュー100」「居酒屋サッカー論」など。現在も週に1回はボールを蹴っており、海外取材に出かけた際には現地の人たちとサッカーを通じて触れ合うのが最大の楽しみとなっている。

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