Yahoo!ニュース

「セガは負けたとは限らない」 ひっそり続くイベントで語られたゲーム業界の歴史に残る証言

鴫原盛之ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表
「セガをかたる」の会場にて(※筆者撮影。以下同)

8月6日にさいたま市で開催された、第61回日本SF大会「Sci-con2023」の企画イベント「セガをかたる」の会場に筆者は足を運んだ。

「セガをかたる」は、実は2001年から毎年日本SF大会で開催されている、元セガ社員とセガのゲームファンによる恒例のトークイベント。登壇者は、元セガの大髙寛之氏をはじめ、日本SF大会スタッフの池田武氏、セガ好き作家のアサウラ氏、セガでのアルバイト経験を持つ浅野留美氏に加え、セガ歴代の家庭用ゲーム機の歴史をまとめた新刊「セガハード戦記」の著者でもあるセガの奥成洋輔氏の5名。現職のセガ社員が参加したのは今回が初めてとのことだった。

筆者は普段、日本SF大会にはまったく関心がないため、本イベントの存在は開催直前に知人の紹介で初めて知ったのだが、いざ取材してみたらゲーム専門のメディアでもなかなか報じられないセガ、ひいてはゲーム業界の歴史に残る、面白いかつ貴重な証言をたくさん聞くことができたので驚かされた。

左からアサウラ氏、セガの奥成氏、大髙氏、浅野氏、池田氏
左からアサウラ氏、セガの奥成氏、大髙氏、浅野氏、池田氏

なぜ、日本SF大会でゲームの企画が実施されるのか? そもそも日本SF大会とはどんな内容なのか? 主催者にはたいへん失礼ながら、おそらくほとんどの人が知らないと思われる。ご参考までに、本大会の概要を公式サイトから引用する。

日本SF大会とは

1962年に小さな集まりとして始まった日本SF大会は、年に1回、夏休みの頃に開かれる、SFファンのお祭りです。 毎年のSF大会は、特定の団体が開催しているわけではありません。オリンピックのように、開催を希望する団体が立候補し、ファンの代表者の集まりである『日本SFファングループ連合会議』にて決定し、『実行委員会』として、その年の大会運営の委託をうけます。

その結果、SF大会は日本各地で開催されることになり、エリア色豊かな大会を実施しています。

実行委員会のスタッフは、基本、無償のボランティアで、全国から集まる仲間を楽しませるために、さまざまな企画を立案し、アイデアを発展させ、実行できるものに作り上げて行きます。

(※第61回日本SF大会「Sci-con2023」より引用)

「SFファンのお祭りです」とは言いつつも、会場ではSFネタ以外にも絵画教室、雑学クイズやボードゲームの体験コーナー、着ぐるみショーなども開催されており「面白ければ何でもありのイベントだな」というのが筆者の率直な印象だった。

蛇足で恐縮だが、実は筆者も本大会で「ゲームの歴史、ゲーム産業を記録に残すこと」と題した企画に、僭越ながらゲストのひとりとして登壇させていただいた。そんなこともあり、本大会は一般の参加者も含めて、SFにはまったくの門外漢でも気さくに受け入れてくれる土壌があるように思えた。

以下、本稿では「セガをかたる」でどんな話題が飛び出したのかを、かいつまんでお伝えする。

会場内のレクリエーションルームには、日本SF大会のスタッフが用意した懐かしのセガハードが遊べるコーナーも設けられていた(左奥にあるグレーのマシンがセガサターン、その右側にあるのがドリームキャスト)
会場内のレクリエーションルームには、日本SF大会のスタッフが用意した懐かしのセガハードが遊べるコーナーも設けられていた(左奥にあるグレーのマシンがセガサターン、その右側にあるのがドリームキャスト)

ここでしか聞けない、当事者たちの貴重な証言を聞ける幸せ

大髙氏は本イベントの冒頭で、かつてテレビで放送されていた家庭用ゲーム機、ドリームキャストの自虐的な内容のCMについて「実は『セガは負けたのか?』のCMが一番嫌だった。営業からも『これは良くないよね』という声が上がっていた」と、当時の苦い思い出を語った。

セガが社運を賭けて実施したプロモーションでありながら、社内でも不満の声があったことは、いくら退職して久しい大髙氏であってもなかなか表立って言えないだろう。これを聞けただけでも「会場に来たかいがあったな」と筆者は素直に思えた。

奥成氏は「ネット界隈では、若い人たちに『セガのハードは負け組』という事実が『結論ありき』で書かれたりするのですが、けっしてそうとは限らないと私は常々言っています。でも、その具体的な状況がわかりにくいので、本に詳しく書きました。『マスターシステムやSG-1000(※)は失敗なのか?』と言われたときに、この本があれば説明しやすいかな、お役に立てたらいいなと思っております」と「セガハード戦記」を執筆した意義について説明した。

※筆者注:マスターシステムは1987年に、SG-1000は1983年に発売されたセガの家庭用ゲーム機。

また奥成氏は、セガマスターシステムやゲームギア(※)は海外で、前者は特にヨーロッパでは人気が高く、日本ではソフトの開発、販売が終了した後もゲームソフトをしばらくの間作り続けており、日本のファンにはまったく知られていない人気タイトルがあることも懇切丁寧に解説していた。

※筆者注:1990年に発売されたセガの携帯型ゲーム機。

昔も今も、日本ではほとんど知られていない海外の事情、とりわけゲームギアが全世界で1000万台以上も売れた話を奥成氏が著書に書いたことで、大髙氏は「このままだと、みんなが『セガは負けただけ』のイメージを持ち続けていたでしょう。昔、ゲームギアなどをいっしょに作っていた仲間たちも、この本のおかげでスッキリしたと思います」と感謝していた。「セガハード戦記」によって日の目を見る機会を得た、元「中の人」による生の声が聞けたのも本イベントならではの良さであったように思う。

左から大髙氏、浅野氏、池田氏
左から大髙氏、浅野氏、池田氏

奥成氏は、1991年にメガドライブ用ソフトとして発売された大ヒットアクションゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が、実はカプコンのアーケードゲーム「大魔界村」をメガドライブに移植する際に、同社から提供されたソースが非常に参考になったという驚きのエピソードも披露した。

セガの看板シリーズである「ソニック」誕生の背景には、実は他社タイトルの影響があったという事実は、同社の立場からはかなり言いにくいことだろう。この逸話を「中の人」から直接聞けたことも、筆者は非常に嬉しかった。

※筆者補足:初代「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」のプログラマー、中裕司氏はセガ退職後に受けたインタビューで、自身が移植を担当した「大魔界村」が本作誕生のきっかけになったことを何度か証言している。

ほかにも、未発売に終わった幻のセガハード「セガVR」に関するエピソードや、アメリカで実施していたジェネシス(※海外版のメガドライブ)用ソフトのレンタルビジネスのこぼれ話や「これは表に出さないで」と念を押されたネタも含め、90分間があっという間に思えるほどの楽しい時間を過ごすことができた。筆者は当初「自称セガファンたちの思い出話が、ただ延々と続くような企画だったら正直嫌だなあ……」と思っていたが、心配はまったくの杞憂に終わった。

アサウラ氏(左)と奥成氏
アサウラ氏(左)と奥成氏

なお「セガをかたる」の企画は、2024年7月に長野県で開催予定の第62回SF大会、および2025年に都内で開催予定の第63回SF大会でも引き続き実施される予定とのこと。聞くところによると、今回の内容はこれでも「控え目」で、例年はメディアでは公開できないような衝撃のネタもしばしば飛び出すというのだから、これは期待せずにはいられないというものだ。

次回以降も、もし取材する機会に恵まれたら、報道できるギリギリの範囲まで当事者たちの証言を詳しくお伝えしたいと思う。

(参考リンク)

・第61回日本SF大会「Sci-con2023」公式サイト

ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表

1993年に「月刊ゲーメスト」の攻略ライターとしてデビュー。その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年からゲームメディアを中心に活動するフリーライターとなり、文化庁のメディア芸術連携促進事業 連携共同事業などにも参加し、ゲーム産業史のオーラル・ヒストリーの収集・記録も手掛ける。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生」(Pヴァイン)、共著では「デジタルゲームの教科書」(SBクリエイティブ)「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(日経BP)などがある。

鴫原盛之の最近の記事