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実は国産ビデオゲーム第1号は「サッカー」 日本のゲーム史に残るアーケードサッカーゲーム4選

鴫原盛之ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表
「ハットトリックヒーロー」のゲーム画面(※イーグレットツー ミニ版で筆者撮影)

以前に拙稿「『ファミスタ』『パワプロ』の源流はこれだ!黎明期のアーケード用野球ゲーム3選」でも書いたが、アーケードゲームは人気が落ちると店頭から撤去され、なおかつ生産台数が家庭用ゲームに比べると圧倒的に少ないので、時間の経過とともにその存在がどうしても忘れ去られてしまう。だが、黎明(れいめい)期に登場したサッカーゲームにも、歴史に残る素晴らしいタイトルはいくつも存在するのだ。

そこで本稿では、日本のゲームの歴史を語るうえでは欠かせない、アーケード用サッカーゲームの傑作4タイトルを紹介する。

1:「サッカー」(タイトー/1973年)

1973年にタイトーが発売したアーケードゲーム「サッカー」こそが、実は日本で作られたビデオゲームの第1号である。

本作を開発したのは、後に史上空前の大ブームを巻き起こした「スペースインベーダー」の生みの親でもある西角友宏氏。当時のタイトーでは、ツマミ(ボリュームコントローラー)でバーを動かして、ボールをテニスの要領で2人で打ち合う「エレポン」などのタイトルをすでに発売していたが、こちらはアメリカのアタリ社が開発した「PONG(ポン)」の基板を輸入し、筐体(きょうたい)だけを自社で生産したうえで作ったものだ。

日本国内にビデオゲームを作れる技術者がまだ誰もいない時代にあって、西角氏は「ポン」の基板を上司とともに数か月かけて解析に成功。その原理を理解したことで、初の国産オリジナル作品「サッカー」の開発を実現させたのは、まさに歴史的偉業だ。

遊び方はいたって簡単。ツマミでゴールキーパーとフィールドプレイヤーにあたるバーを2個同時に動かして、ゴールを狙ってボールを打ち(※トラップやドリブルはできない)、先に規定のゴール数を決めたプレイヤーが勝ちとなる。

今の目で見れば「なんだ、『ポン』と似たようなゲームじゃないか」と思うかもしれない。だが、本作は「サッカー」とタイトルに明記し、国産ビデオゲーム第1号として世に出た事実に疑いの余地はない。日本のビデオゲームの歴史を語るのであれば、本作は絶対に忘れてはいけないタイトルだ。

なお、西角氏の開発当時の証言は、筆者も取材、編集を担当した「平成28年度メディア芸術連携促進事業 連携共同事業」による「西角友宏 第2回インタビュー後半:メカゲームからビデオゲームへ」(※リンク先:一橋大学イノベーション研究センター リサーチライブラリ)に掲載されているので、興味のある人はぜひこちらも読んでいただきたい。

「サッカー」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)
「サッカー」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)

(C)TAITO CORPORATION 1973 ALL RIGHTS RESERVED.

2:『エキサイティングサッカー』(アルファ電子/1983年)

1チームの選手はゴールキーパーも含めて7人しか登場せず、ボレーキックやヘディングはできないが、プレイヤーがドリブル、パス、シュートを自在に使い分けられる、当時としては群を抜くリアルさを実現したサッカーゲームだ。

実は本作よりも1年早い、1982年にデータイーストが発売した「プロサッカー」も、本作とほぼ同じ操作やビジュアルをすでに実装していた。しかし、こちらは相手選手に一定の数だけボールを奪われた時点で、即ゲームオーバーになる独自のルールを採用していた。また、自陣のゴールと味方ゴールキーパーが存在せず、プレイできるのは敵陣だけ、すなわちピッチの半分しか使わないので、実際のサッカーとはかけ離れた内容だった。

本作は、リアルサッカーと同じくゴールを奪い合うルールであり、ゴールキーパーも操作が可能で、コーナーキックなどのセットプレイや、オフサイドの反則も導入(※オフサイドが存在するサッカーゲーム自体が、当時としては極めて珍しかった)するなど、よりサッカーらしさが表現できていた。よって、両タイトルを比較した場合は本作に軍配が上がるだろう。

「エキサイティングサッカー」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)
「エキサイティングサッカー」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)

3:『テーカン ワールドカップ』(テーカン/1986年)

2人のプレイヤーが向かい合って、天井を向いたモニターを上から見下ろす形で対戦する、実に個性的なデザインの筐体を使用した作品だ(※1人プレイも可能)。

本作は、トラックボールを素早く転がすほど、選手の移動スピードやボールの速度と飛距離がアップするのが最大の特徴。前述の拙稿でも紹介した野球ゲーム「メジャーリーグ」と同様、特殊なデバイスを使用することで独特の面白さを生み出していたのが白眉であった。

トラックボール自体は、1978年に発売されたセガ版の「ワールドカップ」ですでに導入されていたので、本作がトラックボールの元祖ではない。では、なぜ本作を「4選」にピックアップしたのか? その理由は、トラックボールの導入に加え、1チームの人数が11人いるなど、セガ版よりもリアルに作られていたからだ(※ちなみにセガ版の1チームの人数は、ゴールキーパーも含めて6人)。

「サッカーなんだから、1チーム11人なのが当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが、当時は11人に満たないサッカーゲームがごく当たり前に存在する時代ゆえ、11人いること自体がすごいことだった。さらにボレーキックやヘディングでのダイレクトシュートも撃てる、すなわち空中のボールに直接コンタクトができることで、ゲーム展開がよりスピーディになっていたのも素晴らしかった。

「ワールドカップ」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)
「ワールドカップ」のフライヤー(※A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー提供)

4:『ハットトリックヒーロー』(タイトー/1990年)

CGの拡大・縮小表示機能を生かして描かれた、選手やピッチのビジュアルが当時としては破格のリアルさを誇った作品。昔はピッチを縦向きに描いたサッカーゲームもいろいろとあったが、今日の『FIFA』『eFootball』両シリーズと同様にピッチを横向きに、しかも数画面分の大きなサイズで描いた点でも特筆すべきタイトルだ。

加えて、レバーとボタンの簡単な操作でダイレクトパスを連続でつないだり、オーバーヘッドキックなどの華麗なシュートを放ったりすることもできる、抜群のスピード感も大きな特長だ。さらに驚くべきは、レフェリーの目を盗んで相手選手をパンチや飛び蹴りなどで倒した場合は、反則を一切取られないこと。反則すらゲームを面白くする一要素として成立させたアイデアもこれまた秀逸だった。

ゴール後に選手たちが披露するパフォーマンスも豊富に用意され、1人プレイでも2人対戦でもついつい夢中になってしまう面白さがある。だが、当時はJリーグがまだ開幕する前でサッカーがマイナースポーツだったこともあり、本作は国内ではそれほど人気はなかったが、海外では大人気を博した。

本作が収録された、プレイステーション2用ソフト「タイトーメモリーズ下巻」のマニュアルを見ると「日本では、サッカー好きの人には定評があり、ポツポツという程度の人気でしたが、ヨーロッパでは売れに売れまくりました!」と解説されている。

「ハットトリックヒーロー」(※筆者撮影。写真は「イーグレットツー ミニ」版)
「ハットトリックヒーロー」(※筆者撮影。写真は「イーグレットツー ミニ」版)

(C)TAITO CORPORATION 1990 ALL RIGHTS RESERVED.

(取材協力)

・A.M.P.GROUPビデオゲームライブラリー

ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表

1993年に「月刊ゲーメスト」の攻略ライターとしてデビュー。その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年からゲームメディアを中心に活動するフリーライターとなり、文化庁のメディア芸術連携促進事業 連携共同事業などにも参加し、ゲーム産業史のオーラル・ヒストリーの収集・記録も手掛ける。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生」(Pヴァイン)、共著では「デジタルゲームの教科書」(SBクリエイティブ)「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(日経BP)などがある。

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