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学校で掃除の時間は本当に必要?【後編】 コロナで見つめなおす、学校の「当たり前」

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(画像:いらすとや)

 前回の記事から、「学校で掃除は、なぜ行われているのか?必要なのか?」について、考えています。コロナ禍のなか、感染リスクを少しでも下げようと、児童生徒による掃除をストップしている学校も多くあります。

 この機会は、学校での掃除(清掃指導)のあり方や方法について見つめなおすチャンスです。

☆前編はこちら

学校で掃除の時間は本当に必要?【前編】 コロナで見つめなおす、学校の「当たり前」

■毎日、掃除をする、させる意味はあるのか?

 前回書いたように、掃除は子どもたちの心を磨くため、といった考え方があります。これには、少なくとも2つの疑問、反論をわたしは考えます。

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

 ひとつは、清掃活動(清掃指導)の目標や効果検証が曖昧であるという問題です。

 「子どもの心の教育になる」、「教育的意義があるんだ」というだけでは、学校で行う教育活動としては、不十分だと思います。そんな大雑把な捉え方では、どこまでも教育内容(学習するべき内容)は広がり、子どもたちも(先生たちも)、いくら時間があっても、足りません。

 たとえば、「教育的意義がある」といった理由では、英語の時間だって、週4コマなどでは足りないなどという声が大きくなり、どんどん広がりかねないでしょう。「日常的な話題について,簡単な語句や文で書かれた短い文章の概要を捉えることができるようにする」といった目標(中学校の学習指導要領から引用)があるから、ある程度の時間でがんばろうということになります。

 数値化されなくても構いませんが、だいたい、どの程度の水準までいけばよいのか、掃除の時間に目標はあるのでしょうか?

 目標が曖昧であるためもあってか、効果が出たのかの確認、検証もなおざりであることが多いように思います。なんとなく、奉仕する気持ちや利他的な心を育てる、という感じだけで、走り続けていいのでしょうか?

 もうひとつの疑問、反論として、仮に教育的な意義があるとしても、それが、毎日のように、児童生徒や教職員がやる理由としては、不十分だと思います。仮に道徳的な意義が大きいなら、道徳の時間の一部で掃除体験をやればいいのであって、毎日、15分×5日などと、週に1時間以上も費やす意味は薄いと思います。あるいは家庭科で、調理実習と同じように「掃除実習」をやったり、防災教育の一環として、電気がストップしたときにも(掃除機やルンバが使えないときにも)、掃除スキルを多少高めておくことはいいことかもしれません。

 さらに申し上げるなら、自分の心と向き合うことや利他的な精神を育てることがねらいなら、たとえば、マインドフルネスや瞑想の時間を設けたり、地域に出かけていってボランティアなどを行ってもいいかもしれませんし、そうした活動のほうがひょっとすると、効果は高い可能性もあります。ただし、公立学校の場合、宗教教育とならないようにしないといけません。つまり、わたしは、清掃指導を全否定する意図はありませんが、掃除だけが方法ではない、という疑問を申し上げたいのです。

 学校は、修行寺ではありません。伝統、あるいは慣習、ルーティーンだからといって、ほぼ毎日、掃除の時間を設定する必要はあるのでしょうか?

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

■教職員の時間としてもバカにならない

 以上、子どもへの意義に注目してお話ししましたが、教職員の負担の側面でも、見逃すことはできません。先ほども述べたとおり、掃除の時間に週に1時間以上かけている学校は多くあります。掃除に意義があるとしても、この時間を先生たちは、授業準備などに使ったほうがよいという考え方もできると思います。多くの人が過労死ラインを超えるほど、過重労働なのですから。

 しかも、前編の冒頭で紹介したように、コロナ後は、児童生徒は清掃活動はしないで、教職員だけでがんばっている例もあります。広い校舎のところもありますから、先生たちだけでは、かなり大変です。わたしが6月にアンケート調査をしたところ、公立小中学校の教員の約9割は清掃作業に従事しており、多くは1日30分未満ですが、小中の1~2割は1日30分以上かかっています(※)。仮に1日30分以上かかっているとなると、週2時間半以上かかっている計算になります。

(※)こちらの記事を参照

学校の働き方改革、どこ行った? コロナ禍で増える先生たちの負担、ビルド&ビルドをやめよ

■文科省のマニュアルでは・・・

 先日、改訂した文科省の衛生管理マニュアル(学校等向けのマニュアル)では、こうした先生たちの負担を鑑みてでしょうか、次の記述となっています。

通常の清掃活動の一環として、新型コロナウイルス対策に効果がある家庭用洗剤等を用いて、発達段階に応じて児童生徒が行っても差し支えないと考えます。また、スクール・サポート・スタッフや地域学校協働本部による支援等、地域の協力を得て実施することも考えられます。

上記に加えて清掃活動とは別に、消毒作業を別途行うことは、感染者が発生した場合でなければ基本的には不要ですが、実施する場合には、極力、教員ではなく、外部人材の活用や業務委託を行うことによって、各学校における教員の負担軽減を図ることが重要です。

出典:文科省「学校における新型コロナウイルス感染症 に関する衛生管理マニュアル」(8/6)

 おそらく、感染症等の専門家の知見を聞いたうえで、清掃活動を児童生徒や外部の人がやっても、新型コロナの感染リスクは高くはない、ということなのでしょう。

 とはいえ、児童生徒が清掃をやる必要性が本当にあるのかについては、本稿で述べてきたとおりです。清掃指導の性格について、文科省は非常に曖昧なまま扱っていると思います。

■掃除はボランティア?

 前編とこの記事で述べてきたとおり、学校での清掃については、さまざまな考え方がありえます。

(1)作業、労働と捉える

(2)マナーである

(3)教育活動である

とまで解説してきましたが、以前、東京都立大学の木村草太教授と対談していて、もうひとつの考え方を教わりました。

妹尾:

もし、子供たちから「何のために毎日掃除をやっているんですか」と聞かれたら、先生方はちゃんと答えられるでしょうか。「これはみんなのためです」とか「きれいにするのは当たり前でしょう」とか、「利他心や道徳心を養うためです」というふうに、「何となく」で答えることが多いでしょうね。

木村: 

子供から「何のために掃除をやるのか」と聞かれたら、むしろちゃんと謝ったほうがいいと思いますけれどね。「日本は公共サービスへの投資が少ないので、皆さんにやっていただかないと学校がきれいに保てません。申し訳ありませんが手伝ってください」と頭を下げて、教育でなく「ボランティアでやっている」という体にしたほうがいいかもしれない。

また、掃除の予算をつけるのは、学校の先生の仕事ではありません。子供たちに頭を下げるのは、市長や市議会議員の仕事でしょう。

出所)教育新聞2019年8月2日

 

 つまり、(4)ボランティア活動であるという考え方もできるかもしれません。ただし、こう捉えるなら、すべての児童生徒に半ば強制的に掃除をさせるのは、問題ということにもなりますし、先生方の「なんでお前、サボってるんだ」という指導はダメです。

 

 統計調査はなく、わたしがヒアリングした限りでの情報ですが、おそらく多くの県庁や市役所などでは、一般の職員は掃除をしていません。よほど財政難などの事情がある自治体は除きますが。読者のみなさん、よかったら、お近くの役所で聞いてみてください。

 もちろん、来訪した市民も掃除しません。公立図書館で、利用者は掃除をしませんよね(消しカスなどゴミを取り除くというくらいはするでしょうが)。通常、清掃専門の職員がいたり、外部委託先があったりするものです。

 公共施設のなか、職員や利用者が掃除をしているのは、学校くらいではないでしょうか?

 次のデータは、文科省の「令和元年度 教育委員会における学校の働き方改革のための取組状況調査結果」です。掃除の外部委託等を実施している市区町村は1割に過ぎません。しかも、この調査では、おそらく、たとえばプール掃除の外部委託だけで、日常は教職員と児童生徒の場合などでも、外部委託を活用にチェックしている可能性もあります。

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 ややうがった見方かもしれませんが、教育委員会は、教育的な意義で煙にまいて、実質的には追加的な予算をかけることなく、教職員と児童生徒に掃除をさせてきたのです。

 わたしはコロナ前から、教育委員会に対して、こう申し上げてきました。

 「なんで学校だけ職員と子どもに掃除させるんですか?外注予算を取ってきてください。財務課から『そんな予算はない』と言われたら、こう言い返してください。『あなたは役所の掃除をしていないでしょう。』」

 一例として、報道によると、名古屋市では、教職員だけで清掃をやるようにという方針でしたが、教職員の負担増などを懸念する声が多く寄せられ、外部委託を検討するようになりました(朝日新聞2020年5月29日など)。

 文科省も第二次補正予算で学校への支援員、サポートスタッフらの予算を拡充していますので、教職員以外の人に掃除を依頼できる地域、学校も徐々に増えてきているかもしれません。ですが、これはコロナ対応の一環ですから、来年度以降続く保障はありません。

 わたしは、今年度も来年度以降も、教育委員会に外部委託等の予算を確保してほしいと思っています。

 繰り返しますが、ときには学校のなかで掃除の体験をしたり、掃除を通じて自分の心と向き合ったりする時間があってもいいでしょう。ですが、それを教育課程、授業の一環としてやるのか、あるいは有志によるボランティアとするのかなどは検討する余地がありますし、毎日繰り返す必要性は薄いと思います。

 掃除ひとつとっても、コロナ前の学校の「当たり前」、あるいは学校にはあまり予算をかけないでいた教育行政の「当たり前」を見つめなおすことが必要です。

★妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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