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新型コロナウイルス感染症対策はBSEと同じ轍を踏むな!

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
(提供:アフロ)

 西村康稔経済再生担当大臣は、6月24日、現在の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下「専門家会議」と略す)」を廃止することを発表した。今後、専門家会議に代わって、新型インフルエンザ等対策有識者会議のもとに「新型コロナウイルス感染症対策分科会(以下「分科会」と略す)」が設置されることになった。

 名称がややこしすぎて混同してしまうが、いったん整理をして、「何が問題なのか」を考えてみたい。

■科学的評価は「必要条件」

 新型コロナウイルスの出現は初めてのこととはいえ、日本の対応が後手後手に回った(日本だけではないが)感は否めない。感染症対策として、「移動禁止」「出勤禁止」「集合禁止」「外食禁止」そして「営業禁止」など、市民生活や経済活動に重大な影響を与える政策(日本の場合には「自粛要請」だが、実質上の「禁止」)を実行することになるので、しっかりとした根拠に基づいた決定が求められる。

 まずは、日本あるいは世界で行なわれている「感染症予防対策」情報の収集と分析。これは、純粋に科学的に遂行されなければならない。たとえば、情報が恣意的に集められたり、非科学的な対策を有効と判断したり、特異な結果を普遍的な結果として取り扱ったり、一部の集団(や地域)にのみ有利となる対策を採用したりしてはならない。

 これには高度な専門的知識が必要になるので、「専門家会議」の存在が不可欠となる。しかし、専門家の評価は「必要条件」であって、けっして「充分条件」ではない。

 かりに、専門家によって「科学的な評価」がもたらされたとしても(このこと自体、とても困難なことではあるのだが)それがそのまま政策として最良であるとは限らない。他国での成功例が日本にも当てはまるのか?感染症予防としては最適の方法であってもそれは市民生活として実行可能なことなのか?強引にやれば実行可能な手段ではあってもそれが社会活動(や経済活動)に致命的な悪影響を与えはしないか?

 専門家の判断とは異なる視点からの「管理」が必要である。これがないと、社会は(「市民は」といい変えてもよい)その政策を受け入れることができないために、専門家の科学的評価が無駄になる。

■リスクコミュニケーションの基本

 だからといって「管理」をする人間が、「管理しやすい評価」を専門家に対して要求してはならない。今回の専門家会議では、感染症等の専門家以外の人間が、専門家が結論を出した文章に「表現上の修正を加えた」と問題になっているが、そのようなことがあってはならない。少なくとも「専門家はこういう結論に至った。しかし、それをそのまま実行することが最善の施策とは考えられないので、このように判断する」ということを公表しなくてはならない。ましてや「会議の内容を記録してない」などという事態は容認されるものではない。

 さらには、「専門家が下した評価」を「管理者が発表」するに際しても、やはりそれなりの専門的知識が求められる。「だれが」「どのタイミングで」「どういう場で」「どのような言葉を用いて」発表すれば、市民に理解・共感してもらえるのかを、慎重に考えなくてはならない。ましてや、その発表を(伝達のプロではない)科学者に任せっきりにしたのでは「伝わるものも伝わらない」事態を招くことが多い。

 これらはリスクコミュニケーションの「基本中の基本」である。

 今回の「新型コロナウイルス感染症対策」に例をとれば、何度となく耳にした「正念場」という言葉をあげることができよう。最初、「他人との接触を8割削減する」という案が出されたとき、専門家は「今が正念場です」ときっぱりといいきった。その後、都知事も府知事も道知事も県知事も首相も大臣も、何か新しい自粛案を発表するたびに「正念場」を繰り返してきた。こともあろうに緊急自粛宣言を解除する際であっても「解除はしますが、実は今が本当の正念場なのです」という人さえ出てきた。

 そして今回、専門家会議を廃止して「分科会」を新設するに当たっても「正念場ですから」と同じ言葉を繰り返した。市民は、もう「正念場」という言葉にはほとんど影響を受けなくなってきている(というのは、筆者個人の感想)。

■「評価」と「管理」は独立した別の組織が担当すべき

 上のような議論を、少なからぬ読者は耳にしたことがあるのではないだろうか。20年~15年ほど前に、日本で盛んに行なわれてきた内容だからだ。

 西暦2000年を挟んで、世界を恐怖の底に陥れたBSE(いわゆる狂牛病)が蔓延した。イギリスでウシからヒトへの感染が発表されたとき、農林水産大臣が日本の畜産業への悪影響を危惧して(だと思うが)、科学的データを精査せずに「日本は安全である」と宣言をした。しかし、その舌の根も乾かないうちに(有効な手立てを講ずる間もなく)日本国内でBSEが発生した。その結果、日本国内はパニックに陥り、牛肉の消費は壊滅的なまでに落ち込んでしまった。

 この教訓から誕生したのが食品安全委員会だ。世界中の調査や研究を、専門家集団が精査をして、科学的な「評価」を決定する。その評価を根拠にして「管理」者が政策を決定する。つまり「評価」と「管理」を、まったく異なる組織が独自に担当するというシステムを構築したのだ。さらには、それを多くの人に伝える役割もコミュニケーションの専門家に任せることにした。

 現在、食品に関しては、内閣府にある食品安全委員会が「評価」をし、農林水産省や厚生労働省や消費者庁が「管理」を担当している。この「分業制度」の確立によって、食品の安全性に関する情報は、かろうじて国民(市民)に支持されるようになってきたといえるだろう。

■BSEから学んだことを無駄にしてはならない

 われわれはBSEを経験することにより巨大な犠牲を払って、ようやく手に入れたこのシステムを無駄にしてはならない。評価組織が管理者を忖度して「評価」に手心を加えたり、管理者が「管理しやすいように」と評価組織に圧力を加えたりすると、国民の信頼は一挙に失われるということを忘れてはならない。

 冒頭の新型コロナウイルス感染症対策に話を戻すと、評価機関である「専門家会議」は管理機関から明確に独立すべきであろう。専門家会議を廃止して、新型インフルエンザ等対策有識者会議の傘下に「分科会」を設置すべきではない。大きな犠牲を払って獲得した叡智を無駄にしてはならない。

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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