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豚コレラのワクチン接種で生ずる「新たな風評被害」

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
豚コレラのワクチンを接種されたブタの肉を食べてもヒトの健康は害しない。(写真:アフロ)

■ワクチン接種が遅れたのはなぜか?

 豚コレラの脅威が収まるところを知らない。汚染地域はさらに広がり、ついに関東地区(埼玉県)にまで到達した。生産者からは「このままでは日本の養豚は壊滅する。できるだけ早く飼養豚(家畜ブタ)へのワクチン接種を実行してほしい」という要望が多数出ている。消費者からも「感染ブタを何万頭も殺処分しなければならないような事態になっているのに、どうしてワクチンによる予防に取り組まないのか」という疑問も上がっている。

 そんな中、農林水産省(消費・安全局動物衛生課家畜防疫対策室)は「野生イノシシへの経口ワクチン投与や農場の徹底的な消毒等いわゆるバイオセキュリティの強化に取り組む」という基本方針を示していた。しかし、国はついに重い腰を上げ、飼養豚へのワクチン接種の実行に踏み切った。

 「いかにも遅い!」という印象は免れないところだが、農林水産省もワクチン接種をいたずらに拒否していたわけではなく、「接種しさえすればいいということではない」点については、先日のこのコラムで簡単にレポートしたとおり。

 ここへきて、先日のレポートでは(スペースの関係で)触れられなかった「非清浄国」問題が、報道などでも取り上げられるようになった。消費者にとってはあまり聞き慣れない言葉だが、誤解を生じやすい問題でもあるので、簡単に解説したい。

■感染防止のために「清浄国」と「非清浄国」に分別

 豚コレラは感染症なので、ウイルスを介してブタからブタへと感染する(古い言葉でいえば伝染する)。何も手を打たずに放置すると(極端な話をすると)世界中のブタが死んでしまう。そういうことを防ぐために、OIE(国際獣疫事務局)は、すでに豚コレラのブタが1頭でもいる国を「非清浄国」とし、豚コレラがまったくいない国を「清浄国」とする、というように国(地域)を分別している。そして、非清浄国のブタ(豚肉製品をも含む)を清浄国に持ち込むことを禁止している。

 日本は2006年までは豚コレラの非清浄国であったのだが、2007年に(豚コレラ感染ブタがいなくなってから12ヶ月が経過したことによって)「清浄国」と認定された。それから10年以上「豚コレラ清浄国」のステイタスを保ち続けてきたのだが、昨年9月に岐阜県で豚コレラが発生したことによって、日本の清浄国認定は一時ストップしている(つまり、現在は一時的に「非清浄国」となっている)。

 非清浄国となっても、3ヶ月以内に豚コレラを撲滅できれば、その時点で清浄国に戻れる。しかし、日本はすでに豚コレラが発生してから1年以上が経過しているので、これには該当しない。もう1つの条件もある。それは、家畜ブタに対してワクチンを使わずに豚コレラを撲滅し、12ヶ月が経過すれば清浄国に復帰できるというもの。

 今回、家畜ブタに対してなかなかワクチンを使わなかったのは、これが要因ではないかという専門家もいる。いったん家畜ブタにワクチンを使用してしまうとなかなか清浄国には戻れないからだ。

 しかし、豚コレラの感染拡大の勢いがすさまじいために、そんなこと(清浄国でなくなること)よりも、日本国内の養豚業を守ることのほうが重大であると判断せざるを得なくなった。

■非清浄国になってもそれほど大きな影響はない(?)

 一般的には(消費者から見ると)、清浄国に戻れるかどうかよりも、豚コレラを撲滅することのほうを優先するのが当たり前だと考えられるのだが、違うのだろうか? そもそも清浄国と非清浄国とでは、何が違うのだろうか?

 清浄国と非清浄国との間の豚肉流通の基本的ルールは2つ。1:非清浄国は清浄国に豚肉の輸出ができない。2:清浄国は非清浄国からの豚肉の受け入れを拒否することができる。

 昨年までの日本は清浄国であったために、この2つのルールを適用していた。つまり、日本は清浄国へと豚肉を輸出することができていた。かつ、非清浄国からの豚肉の輸入を拒否することができていた。ちなみに世界の清浄国と非清浄国はコチラ。非清浄国になると、この両方ともができなくなるので、ワクチン使用には消極的であったと推測できる。

 ではいったい、今回、日本が非清浄国になることで、どのくらいの影響があるのだろうか?

 現在の日本は、基本的に「豚肉輸入国」である。輸出はそれほど重要な課題ではない。たとえば、清浄国(地域)のEUに対しての豚肉輸出量は日本国内生産量の0.1%程度しかない。日本の豚肉がEUに受け入れられない理由としては、価格や肉質などのこともあるが、それよりも、アニマルウエルフェア(豚肉の飼い方やと畜の仕方)がネックになっている。清浄国であるか非清浄国であるかは、それほど大きな影響はないといわれている。

 一方で、輸入のほうはどうだろうか。非清浄国同士であれば機械的に輸出入を認めなくてはならないわけではない。輸出入をするかどうかについては、2カ国間の話し合いによって取り決めをすればいい。日本は、一時的に非清浄国になったとしても、清浄国を目指す方針には変わりがないので、豚コレラのリスクが高い非清浄国からの輸入を無制限に認める必要はない。

 このように冷静に見てみると、日本が一時的に清浄国から非清浄国になったとしても、貿易にはそれほど大きな影響がなさそうにみえる。にもかかわらず、なぜもっと早くにワクチン接種をして、日本国内の豚コレラの撲滅を図からなかったのだろうか、という疑問が払拭できない。

■「清浄地区」「非清浄地区」が風評被害を招かないように!

 ここへきて遅まきながら農林水産省は家畜豚に対してワクチンを使用する方針を決定したが、全国的に使うのではなく、「地域を限定して」ワクチンを使用するようだ。日本全国でワクチンを使えば、日本全体が非清浄国となる。しかし、OIEでは「しっかりと分別できるのであれば(国単位ではなく)地域を限定してワクチンを使うことも容認」している。その場合は、その国全体が非清浄国となるのではなく、豚コレラの発生が見られずワクチンも使用していない地域は清浄地区として扱われることになる。

 これならば、豚コレラ感染の危険性が高い地区の養豚事業者も安心できるし、感染の心配が強くない地区の事業者は「清浄地区」として豚肉を生産・流通することができる。すべて丸く収まるように見えるが、コトはそう単純ではない。

 1つは「移動制限」の問題。ワクチンを接種する地域は「非清浄地区」となるので、清浄国への豚肉の輸出ができなくなる。日本国内で「地域を限定して」ワクチン接種をすると、そのブタは清浄地区への移動ができなくなる。仮に、生産地が非清浄地区で、消費地が清浄地区だとすると、非清浄地区で生産された豚肉は、清浄地区の消費者の口には入らない。

 これを避けるための「苦肉の策」として(?)、今回は、ブタの移動はできないが、豚肉や加工品は移動可能とするようだ。これにより、まだ豚コレラが発生していない東京都や大阪府は「ワクチン接種をして非清浄地区の仲間入り」をしなくてもすむことになる。しかし、豚肉や加工品の移動を許可すれば、豚コレラが東京都や大阪府でも発生することになるのではないかという、不安はぬぐいきれない。

 2つめの問題は「新たな風評被害」の心配だ。厚生労働省も農林水産省も食品安全委員会も「豚コレラは人間には感染しない」「豚コレラに感染したブタの肉は市場流通はしないが、仮に豚コレラに感染した豚肉を食べても健康を害することはない」と、繰り返し伝えているが、このことが完全に消費者に伝わってはおらず、「不安で豚肉を食べたくない」という消費者もいる。

 これに加えて、日本国内で「清浄地区」と「非清浄地区」が出現すると、「非清浄地区で生産された豚肉は食べたくない」という消費者が出るのではないかと心配されている。また、この「清浄・非清浄」という言葉も問題だ。「非清浄」といわれるとなんとなく「不潔・不衛生・不安全」というイメージにつながり、食べたくなくなるというのが消費者心理である。

 豚コレラに感染したブタの肉は市場には流通しないが、ワクチン接種をした豚の肉は、もちろん市場に出回る。何度も書くようだが、その豚肉を食べても、ヒトの健康を害することはない。消費者がその心配をしたり、ワクチン接種した豚を避けたり、清浄地区で生産された豚を求めたりする・・・・これらの消費者行動によって豚肉の消費量が少なくなったり、非清浄地区の豚肉が買われずに残ってしまったりするようなことがあれば、それはまさしく「新たな風評被害」である。

 間違っても、非清浄地区の豚肉生産者が「清浄地区産」である旨の宣伝をしたり、食肉店や飲食店が「清浄地区産なので安心して食べてください」などの表示をしたりすることのないように、厳しく求めたい(これらはすでに禁止されてはいるのだが)。消費者も、仮にそれらの表示や宣伝があっても、惑わされることなく冷静に対応しなくてはならない。

  

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食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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