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三浦皇成、1000勝王手から苦悩の43日間を助けてくれた先輩達の言葉とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
1カ月半苦しんだ末にJRA通算1000勝を達成した三浦皇成騎手

順当勝ちでマジック1に

 994勝で5月を迎え、1週目にいきなり4勝。大台まで残り2勝とした次週も最初のレースを優勝。ついにマジックを1とした。しかし、そこからが長かった。「百里の道は九十九里をもって半ばとす」を、身をもって知ったのは三浦皇成。苦悩の1月半を語っていただいた。

 「あと1個の難しさはあるだろうとは、考えていました。でも、今、振り返ると、こんなに足踏みするとは思っていませんでした」

 5月13日、JRA通算1000勝へ王手をかけた時の心境をそう振り返った。

 その日は他に4鞍乗ったが勝てなかった。もっとも、一番支持された馬でも7番人気だったので、さほど気にはかけなかった。翌日は1番人気馬で2着に敗れたが、他にはGⅠの1鞍しか騎乗がなかったので「仕方ない結果」と、気を取り直した。しかし、翌週、土曜に8鞍、日曜に7鞍乗りながらも未勝利に終わった時は流れの悪さを感じた。

 「とはいえ多少勝てない時期が続く事は今までもあったし、一生勝てないわけではないので、焦りはしませんでした」

王手をかけた翌日には1番人気2着もあり「ここまで足踏みするとは思わなかった」と語った三浦皇成騎手
王手をかけた翌日には1番人気2着もあり「ここまで足踏みするとは思わなかった」と語った三浦皇成騎手

周囲の騎手仲間からのイジり

 その翌週は11レースに騎乗し、2着が2回あったがまたも勝てずに終わった。5月13日に王手をかけながらも、とうとう5月は終わり、6月に入ったが“月”は変わっても“ツキ”は変わらなかった。6月の第1週は1番人気馬が2頭。しかし、いずれも3着に敗れると、他のレースでも勝つ事は出来ないまま、幕を閉じた。

 「王手をかけた状態で2度目の騎乗になる馬が出て来たし、乗せてくださる関係者や、競馬場まで応援しに来てくださるファンの方の事を考えると、そろそろ決めないとマズいという気持ちになりました」

 同時に、周囲の騎手仲間からのイジリも増えていったと言う。

 「田辺(裕信)先輩や津村(明秀)先輩、戸崎(圭太)さんらから毎レース『ここで決めるのか?』と言われたり、笑いながら『ウィナーズサークルで待機していたのに』と言われたりしました。また、日曜の最終レースだと『お祝いしたら帰るのが遅くなっちゃうなぁ(笑)』等とも言われました」

 一方、内田博幸からは次のような言葉をかけられたと続ける。

 「何レースまで乗っているかを聞かれ、内田さん自身の騎乗が終わってもそこまで残っていると言ってもらえました。ありがたいと思う反面、ますます早く決めなくては、という気持ちにもなりました」

優しい声をかけてくれた内田博幸騎手
優しい声をかけてくれた内田博幸騎手

先輩騎手の助言

 ところが翌週も、そのまた翌週も先頭でゴールを切る事は出来なかった。2着、3着は何度もあったし、1番人気馬にも乗っていたが、勝てないまま、ついに5週間が経過。さすがに1人の先輩ジョッキーに助けを求めた。

 「勝てなくなって5週目には、腰に違和感を覚えるようにもなりました。そこで、川田将雅先輩に、すがる思いで『ダメです、勝てないです』と、こぼしました」

 すると、経験豊富なトップジョッキーは、目からウロコが落ちるような的確な答えを返してくれた。

 「『レースだけでなく、週半ばの調教や関係者と話すうちに、必要以上に張り詰めてしまい、そこから生じた少しずつの乗り方のズレが最終的に腰に来たのでは?』と助言をしてもらいました」

 言われてみれば、思い当たる節があった。

 「早く達成しないと、という思いから、自分でも知らず知らずのうちに日々のトレーニングが過剰になっている事に気付きました。また『ここまで積み重ねて来たのだから、あとは心の芯の張りつめた部分を解きほぐした方が良い』とも言っていただき、馬と自然に接する事を忘れていた自分に気付かされました」

 そんなアドバイスをもらって1週間、行動を修正すると精神面の余裕も生まれ、腰の違和感は全くなくなった。そして、6月24日の東京競馬は憑き物が落ちたような感覚で迎える事が出来た。

”さすが”のアドバイスをくれた川田将雅騎手(左)
”さすが”のアドバイスをくれた川田将雅騎手(左)

耳に届いた大声援

 こうして迎えたその日の自身2鞍目となった第5レースの新馬戦を、ヴェロキラプトル(栗東・高野友和厩舎)でゆうゆうと逃げ切り勝ち。あれほど苦しんだのが嘘のように、JRA通算1000勝を達成した。

 「ラスト1ハロンくらいでスタンドの声援がひと際、大きくなったのが分かり、後方で何かアクシデントでも起きたのかと思いました。でも、ゴールをする時には、ファンの皆さんが僕を祝福してくれての大歓声だった事が分かりました。必ずしも毎週来られるわけではない中で、毎週のように1レース目から最終レースまで、僕の勝利を待って声援を送ってくれた方もおられたと思います。時間がかかってしまい、本当に申し訳ありませんでしたという気持ちになりました」

1000勝達成のゴール前
1000勝達成のゴール前

 その後の1000勝達成のセレモニーには、多くの騎手仲間が駆けつけてくれた。田辺や津村、戸崎に、満面の笑みを見せる内田の姿もあった。そんなメンバーを見て「皆、いじって来たけど、お陰で張り詰めた気持ちを和らげてもらえ、ありがたかった」と思いつつ、苦しんだ1月半を冷静に振り返る自分がいた。

 「川田先輩からは『この勝てない期間を、いつか勝てるから、と軽く考えていては進歩しない。しっかり向き合う事が、今後の成長につながるはず』とも言っていただきました。実際、悩み、考えて、正直、苦しかったこの1カ月半の自分と向き合った経験を、これからの騎手人生に活かさないといけないと考えています」

多くの仲間に囲まれての1000勝達成セレモニー。勝てない間、イジって来た先輩騎手の姿も……
多くの仲間に囲まれての1000勝達成セレモニー。勝てない間、イジって来た先輩騎手の姿も……

 今回のインタビューは1000勝を達成してすぐに申し込んだ。しかし、その時は「正直、もうあまり触れてほしくないんです」という返事が来た。本人の気持ちがそうであれば仕方ないと、むしろ申し訳ない思いになり、承諾した。しかし、それから4日後、三浦本人から「やっぱり受けます」とLINEが入った。メンタル面でのダメージと成長の両方を感じさせる4日間だと感じた。産みの苦しみを味わった43日間の71連敗は、三浦皇成を必ずや更に成長させてくれる事だろう。1000勝ジョッキーの今後の手綱捌きに注目したい。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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