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GⅠの檜舞台で、実の息子を下ろした指揮官に、その理由を伺い、心境に迫る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
今週末のNHKマイルCに出走するモリアーナ

ダメ元で入った競馬の世界

 「そろそろミヤビに重賞を勝たせてあげてくださいよ」

 約1年前、笑いながらそう言ったのは武藤善則調教師。2022年6月5日、東京競馬場で行われた新馬戦をモリアーナが勝った直後の事だった。あまりに強い競馬ぶりに祝福の声をかけると、冒頭の言葉を口にした。

 武藤に「ミヤビ」と言われたのはその時、手綱を取っていた武藤雅騎手。武藤調教師の長男だ。

武藤善則調教師
武藤善則調教師

 武藤善則が生まれたのは1967年3月だから、現在56歳。父に勧められた競馬学校を「ダメ元で受験」(武藤善)すると、合格。この世界に入った。

 「未経験者だったのでついていくだけで大変でした。3年後の騎手試験も一度不合格となり、留年。1年後の試験も障害で落ちて本来なら不合格だったけど、試験官がもう一度チャンスをくれたので、何とか合格出来ました」

 86年に騎手デビュー。89年にはニシノミラーで重賞も勝った。しかし……。

 「その後、怪我も多く、乗り数が減ってしまいました」

 そのため調教師への転身を図ると計ると、5度目の受験で難関を突破。2年間の技術調教師を経て、2003年に開業した。

 「調教師は人付き合い等、騎手時代とはまた違った大変さがあり、気の休まらない仕事でした」

息子が騎手に

 更に気の休まらなくなる出来事が起きた。

 98年に生まれた長男の雅が17年に騎手デビュー。当時、雅は父から次のような事を言われたと語っていた。

 「父親が調教師という恵まれた環境だからといって甘えるな」

 その言葉に嘘はないだろう。しかし、実の息子を気にかけない親などいない。落馬による長期休養等もあり、苦しむ雅騎手に「少しでも早く重賞を勝ってほしい」という思いを善則調教師は持ち続けていた事だろう。そんな中で現れたモリアーナ。雅を背に新馬戦を快勝すると、続くコスモス賞も勝利し、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)では2番人気に支持された。

約1年前に新馬戦を快勝した際のモリアーナ
約1年前に新馬戦を快勝した際のモリアーナ

獅子の子落とし

 ところがそこで12着に敗れるとクイーンC(GⅢ)が3着でニュージーランドT(GⅡ)も4着に敗退。今週末に行われるNHKマイルC(GⅠ)ではついに横山典弘騎手への乗り替わりが発表された。

 「プロの騎手として結果を残せなかったのだから、仕方ないでしょう」

 息子を鞍上から下ろすという非情の決断に、父はそう言った。言葉ではそう言いつつも、唇を噛む表情に、その心境が見てとれた。

 “獅子は我が子を千尋の谷に落とす”と言うが、雅騎手は「父に二度とこんな決断をさせないように」と更なる努力をする事だろう。まだ25歳の若さの彼が、これを糧に一段と成長する事を願うと共に、今週末のモリアーナの好走にも期待しよう。

クイーンC出走時のモリアーナ
クイーンC出走時のモリアーナ

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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