Yahoo!ニュース

ダノンキングリーが前走最下位から巻き返してGⅠを勝てた理由とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
安田記念のゴール前。ゼッケン11番がダノンキングリー

デビューからしばらくは順調だった

 2018年10月、2歳でデビューしたダノンキングリー。いきなり連勝すると、翌19年、3歳初戦となった共同通信杯(GⅢ)も快勝。皐月賞(GⅠ)とダービーでは共に3番人気に支持された。

19年、デビューから3連勝で共同通信杯を制したダノンキングリー
19年、デビューから3連勝で共同通信杯を制したダノンキングリー

 しかし、皐月賞では勝ち馬と同タイムながら3着に敗れるとダービーも伏兵ロジャーバローズにクビだけ届かず2着。秋には毎日王冠(GⅡ)でアエロリットやインディチャンプ、ペルシアンナイトといった古馬のGⅠ馬達を一蹴したが、続くマイルチャンピオンシップ(GⅠ)は5着に敗れた。

 古馬となった翌春も中山記念(GⅡ)はラッキーライラック、ソウルスターリング、インディチャンプにペルシアンナイトらに快勝し、大阪杯(GⅠ)で1番人気に推された。ところがまたしても僅差の3着。なかなか栄冠には手が届かなかった。

 それでも管理する萩原清は言う。

 「結果的に勝った負けたというのはともかくそこまでは順調。とくに問題はありませんでした」

19年の日本ダービーでダノンキングリー(左)はロジャーバローズの2着
19年の日本ダービーでダノンキングリー(左)はロジャーバローズの2着

丁度1年前に狂った歯車

 しかし、続く安田記念で歯車が狂った。

 「勿論、走れると判断して送り込んだわけですけど、正直、状態面に関しては良い頃のそれにはありませんでした」

 結果、7着に敗れた事でひと息入れた。こうして約5か月ぶりに競馬場に姿を現したのが昨秋の天皇賞(秋)(GⅠ)だった。

 「コンディションは悪くありませんでした」

 指揮官は当時をそう述懐する。

 しかし、結果がついてこなかった。12頭立てのシンガリ12着。勝ったアーモンドアイからは実に2秒9も離され、この馬にとって初めてといってよい惨敗を喫した。

 「本来の走りではありませんでした。状態は悪くないと考えていただけにここまで負けるとは、敗因の掴み辛い負け方でした」

 もっとも最後の直線で勝負圏内から脱落した後は鞍上が無理をさせていなかった。つまり「この時計差や着順がイコール能力ではないですよね?」と声をかけたが、それは何の慰めにもならなかった。

 「そのあたりを差し引いても負け過ぎです。レース後の感じも決して良いとは言えなかったので、思い切って間を開ける事にしました」

 結果、安田記念(GⅠ)まで8ケ月以上の休養となった。この間については次のように語る。

 「放牧に出したけど、中間、何回かトレセンには戻しています。ただ、レースに向けて臨戦態勢が整わなかったので、また放牧するというのを繰り返しました」

 具体的には「3歳時に比べてダメージが残るようになった」と言う。つまり、レースへ向けて調教を強くすると、フィジカル面がギブアップの声をあげたという事だろう。

20年、安田記念のパドック。このあたりから歯車が狂った
20年、安田記念のパドック。このあたりから歯車が狂った

8ケ月かけて出走レベルに

 その結果、8ケ月以上のレース間が開いてしまったわけだが、逆に考えるとこの安田記念はついに臨戦態勢が整ったという事か……。

 「状態を考えて出走レベルにはなったという事です。それでゴーサインを出したけど、自信があったかと言われると、そういうわけではありません。というか、どんなレースでも自信なんて持てません」

 では、なかなかゴーサインを出せなかった今までと、今回とはどんな差異があったのか。何か工夫や修正の成果があったのか?と問うと、答えた。

 「工夫するのは当たり前だし、調教しながら修正していくのも当然です。今回のダノンキングリーに関して具体的に言えば、体の使い方が課題だと思えたので、いかにトモの動きを良くするかを、乗り手と相談しながら進めていきました。その結果、手応えを掴めるところまではきたので、出走に踏み切ったという事です」

 その復帰戦が、昨年は7着に敗れた安田記念であり、その時の覇者グランアレグリアがまたしても出走してきたわけだが、こういった相手関係については「考えないようにした」と続ける。

 「GⅠだし相手が強いのは百も承知ですからね。相手云々というのはとくに考えず、それよりもまずキングリーの状態をあげる事だけに集中しました」

萩原(左)とグランアレグリアの調教師・藤沢和雄(20年撮影)
萩原(左)とグランアレグリアの調教師・藤沢和雄(20年撮影)

レース当日、最も良い状態に

 では、実際に安田記念当日の愛馬は、司令塔の目にどう映ったのだろう。

 「レース当日は今までの過程の中では最も良いと思えました。だからと言って満足出来るレベルかと言われると必ずしもそうではないけど、今まででは1番良い状態だと思えました。だから(初騎乗となる)川田(将雅騎手)君には現状だけを伝えたところ、彼も『イメージは出来ている』という事だったので、後は任せました」

 こうしてスタートが切られると、五分に出た。中団の位置取りと道中の手応えに関しては次のような思いで見ていたと言う。

 「返し馬とギャップがあるというか、レースの方が良い走りをしていると見えました。ジョッキーが返し馬で状態を掴んだのだと感じました」

 すぐ後ろに圧倒的1番人気のディフェンディングチャンピオン・グランアレグリアがいたが、そちらには目もくれず、ただ自らが送り込んだ馬の走りだけを見ていたと続ける。

 「最後の直線で外に出した時は『反応してくれ!!』という気持ちで見ていました。というか『本当に反応出来るのかな?』という気持ちの方が強かったです」

 ジリジリと伸びると、最後はインを急襲して追い上げたグランアレグリアの猛追をアタマだけしのいだ。

 「勝てた事そのものより、勝った事でオーナー始め関係者の方が喜んでくれたのが何より嬉しかったです」

 淡々とそう語るものの、本心はどうだろう? 良かった頃のパフォーマンスを考えれば、忸怩たる思いはあったのではないだろうか?

 「勿論、そういう思いはありました。良かった時の競馬を考えれば、今回の安田記念の走りが出来て当然の馬ですから……」

 とはいえ競走馬を常に良い状態で保つ事の難しさは誰あろう現場の最前線を行く調教師が最も分かっているはずだ。皐月賞で惨敗しながらもダービーまでの短期間で巻き返したロジユニヴァースもそうだが、調子を落とした馬を立て直すのもまた卓越したスキルなのではないか?と問うと、これにはかぶりを振って答えた。

09年ロジユニヴァースでダービーを勝った時の表彰式にて。左が萩原調教師
09年ロジユニヴァースでダービーを勝った時の表彰式にて。左が萩原調教師

 「確かに良い状態を保つのは難しいし、競馬なので様々な外的要因で負けてしまう事は多々あります。でも、まずは馬の能力を殺さずに引き出してあげる、つまり、能力を発揮出来る状態には保たなくてはいけません」

 こう言うと、改めて自分に言い聞かせるように続けた。

 「ようするに、調子を落としてしまう事自体を恥ずかしいという気持ちにならなくてはいけないと考えています」

 今後に関しては「以前に比べてダメージが残るようになったので、そのあたりも考慮するとあまり長い距離は使わないと思う」との事。王座に就くのは難しいが、その座を守るのは更に難しい。新マイル王は果たしてどうやってこの座を守り続けるのか。今後の動向に注目したい。

安田記念を制し、今後の更なる活躍が期待されるダノンキングリー
安田記念を制し、今後の更なる活躍が期待されるダノンキングリー

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事